「で、よくわからないけどさ――なんかナナとのお散歩になったわけだよね」
「うーん――?」
ナナは首を傾げて、怪訝そうな顔をした。
「二人でエポの街を歩いてくれ。どこでもいい」
それだけを言って、ガンファは部屋に籠ってしまい、ナナと私は黙ってそれに従うしかなかった。宿を出て、あてどなくぶらぶらとしてみたが、特に変化もなく、とうとう日が真上までたどり着いてしまった。エポの標高が高いせいか、太陽がいつもよりも強く肌を焼いてきている気がする。
「慎重なのはよくわかるんですけど、どういう作戦なんでしょうね、ガンファさん」
「さあ――? あいつのことは信用してるし、よく気づく奴だとは思ってる。なんだけどさ――今回ばかりは全く意図が読めない。赤の司祭が来たら、私だけで守り切る自信、あんまないよ?」
すると、必死に袖を引っ張り、ナナは訴えかけてくる。
「ちょ、ちょっと怖いこと言わないでくださいよ! 嘘でも守ってあげるくらい言ってくれないですか」
「うんうん、頑張る」
「不安でお腹痛くなってきました――」
腹を押さえる仕草に、あまり恐怖は感じられない。緊張はしているようだが――。
「というか、何か今日、あざとい動きするね。ロマンス小説の読み過ぎ!」
「だから! メルンさんもガンファさんもそのいじり方やめてください! ロマンス小説は空想の話で! 私はそんな影響されてませんから!」
力いっぱいの主張ではあるが、普段の立ち居振る舞いや言動、なんとなくヒロインっぽい挙動。あまり説得力がない。
「はいはい」
「説得力ないなーって思いました!?」
「お、ナナもわかるようになってきたね。これは神授医になれる日も近いかな?」
「からかわないでくださいってば!」
ナナはいつも通り、私の冗談に頬を膨らませる。二割増しだ。
緊張はまだあるが、だいぶほぐれてきたようだ。肝心のナナが委縮していては、もしものときに動きづらくなってしまう。このぐらい気が抜けていた方がいいだろう。
「ま、リネーハのときの観光みたいにさ。肩の力抜いておきなよ」
「あ、あのときは――まあ、いいです。じゃあ、どっかで甘い物とか食べれたり――」
「エポにあるかなあ、そんなところ――テキトーに聞いてみるか」
その後は、いつも通りの観光だった。買い物をして、食事をして、見学をして――あまりに平和すぎて、つい私の気も緩んでしまいそうなほど。ナナも途中から緊張した様子もなく、はしゃぎまわり、夕方頃には、逆に静かになってしまった。
「はしゃぎすぎでしょ、へとへとじゃん」
「つい――」
ふふ、と笑うナナの肩越しに、エポの街の往来が伺える。皆が皆、家へと戻り、明日の準備を始める時間なのだろう。
「うーん――」
それにしてもこのまま帰ってもいいものか悩むものだ。だが、ガンファの言いつけは達成しているし、夜の街を連れ回すような愚は冒す理由はない。
「ナナ、とりあえず帰ろうか。お腹も空いたし」
「そうですね、大体回りましたし!」
「――あんた、今日なんでわざわざ散歩したかって、忘れてない?」
「えっ、いやっ、やだなあ、メルンさん。ちゃんと覚えてますよ。赤の司祭を――」
ぐっ、とナナの身体が傾いた。その身体が横倒しにされる。
「ナナ!?」
気づかなかった。なぜ気づかなかった。こんなにも、こんなにも目立つ赤が通り過ぎたのに――何のきっかけもなかった。すでに赤の司祭はそこにいたんだ――。
「ナナ! ナナ! 返事して!」
私はナナに駆け寄り、その身体を起こす。細く、筋張った首筋には、赤黒い噛み跡が浮かんでいた。ナナの身体が重い。意識を失っているからか、ひどく――。
「どこまでも、兆候がないから、少し焦ったぞ――」
違う、これは――。
ナナの身体が、服が、変容を起こしている。しかし、あのグロテスクな有様ではない。小柄な腕は骨から太くなり、肩は二回りも大きく広がりだす。
「き、貴様――何者だ――」
聞き覚えのある声――赤の司祭は初めて声を出した。
「とうとう声を出したか。その声は――エポだな。道理でおかしいわけだ」
変容しきったその身体がゆらりと立ち上がる。その背格好は細身だが、鋭い目をしており、常に威圧的なオーラが滲んでいる。ハウゼの、最も血気溢れる、狩人の象徴の部分を集めた男――ガンファだ。
「ハルキュイネがいくら暴走したとて、あの優しい妹は戦い方など知らぬ。知るはずもない。『妬みしのハルキュイネ』は、人を愛することしか知らないからな。ゆえに、あの狡猾で卑劣で、幾分も隙を与えないのは、一部神の業ではない。外道の業だよ」
「あんた、ずっとナナに化けてたわけ――!?」
その問いに、ガンファは不敵な笑みを返した。
「俺の神授医としての把握能力も、捨てたものではないだろう。もっとも、妹が授けてくれた噛跡がなければ、ここまでの変容は出来なかったがな」
「妹、だと――まさか貴様――ファーレか――!」
赤の司祭は震える指を差す。それは驚愕というよりも恐怖に震えていた。
「不可逆に顔も声も、変容させていたからな。貴様らは、妹の喪失を苦に自殺したと、そう思い込むことにしたようだが――俺はそこまで優しくない」
ガンファが首筋を擦ると、そこには噛跡が浮かんでいた。しかし、赤黒いわけではなく青白く優しい光を放つ祝福。
「『咀嚼が理解を及ぼすように――』」
「『無駄だ、エポ』」
ガンファのその一声が、浮かび上がった槍を塵に返していく。
「貴様の力は、ハルキュイネに由来するものだ。今の俺の前で、そのどれもが意味を成さない」
ガンファの目が青く光りを放った。
「『消えろ、偽りの化身』」
赤の司祭はその一言に立ち消える。
――遠く、祈り場から悲痛な叫び声が響いた。
「いつから化け――いや、というか説明が欲しいな」
ガンファは首筋を数度擦ってから、その身体をほぐすように何度か跳ねた。
「メルン、お前にはナナと散歩をしてこいと、ナナには部屋で待機しろと告げた。元からお前は、ずっと俺と散歩していたわけだな。それにしても、あの接し方は興味深かった。俺も関係構築の方法を見直すべきかもしれないな」
「うっさい、そんなんは後で教えるよ。それで?」
「赤の司祭の意図――いや、ハルキュイネとエポの意図に気づいたのは、二回目に襲われた時だ。俺は、赤の司祭との戦いを、生ぬるいと感じていた。頭はいいが、どうにも戦い慣れていない印象だ。しかし、二度目の殺気と戦略――明らかに別人だった」
「それは確かにそう。でも、それだけでよく分かったね?」
「きっかけはナナの言葉だ。ハルキュイネが暴走しているかもしれない――ならば、暴走したハルキュイネは最初からナナを狙ったはずだ。しかし、一番初めのとき、赤の司祭は俺にも噛跡を与えようとしたのだ。これはおかしな行動だ。俺に噛跡を与えたところで動きを止められるわけではないし、わざわざ不意を突いた行動がそれでいいはずがない」
「なるほどね。それで赤の司祭がすり替わっていることに気づいた、と」
「ハルキュイネがエポの民の欲望のために使われていたことは昔から気づいていた。そうなれば、最初の赤の司祭は――ハルキュイネからの助け舟だった。そう考えられる。ならば、あの噛跡もまた、俺に授けられることに意味がある――ここは賭けだったがな」
「いくらハルキュイネが妹だったからって、無茶するね、ガンファも」
「ナナは散々苦い目を見てきただろう。ここでまたそんな目に遭う必要はない――そう思っただけだ」
ガンファは、祈り場の方を見つめた。
人々はざわついているものの、祈り場に足を踏み入れようという者はいない。
「ハルキュイネに会いに行くぞ。この偽りの繁栄を――妹の犠牲を、終わらせる」