「すまない、本当は食事が終わってから渡そうと考えていたんだが……タイミングを間違えてすっかり料理が冷めてしまった」
「いいえ、大変美味しいです」
「口にあったならばよかった」
キール様は少し恥ずかしそうに、そっぽを向いてそういった。
こんなに美しいのに、やっぱりどこか可愛らしいところがある人だな。
「そういえば私が王都を離れてすぐに襲われたと聞いたが、大丈夫だったか?」
「はい……私は、大丈夫でした」
「そうか、側にいれなくてすまなかった。優秀な護衛をつけてはいたのだが……」
「シュバルトさんのことですか?」
「ああ。リアの自由を邪魔しないよう遠巻きから目を配れ、と。それが少し甘かったらしい」
もっとちゃんと護衛で固めればよかった、と怒りからか拳を震わせている。
だから私はその手を上からそっと握る。
「でも守ってくれました」
拳の震えがぴたりと止まった。
「キール様から頂いた指輪が、守ってくれました」
「……そうか。あれが役に立ったか」
「ええ、命を救われました。それにメイドのメリンダも自分の身を呈して守ってくれて……」
「慕われているのだな。彼女がなんとか命を繋いだところまでは報告を受けている。そういえば彼女は一緒に来たのだったか?」
「ええ。本当は怪我をしていたので連れてこないつもりだったのですけれど。あの子ったら荷台に潜り込んで勝手についてきちゃったんです」
「はは、そうか。彼女には会って礼をいっておかないとな」
そういえば結局メリンダ、来なかったな。
今頃何をしているんだろう?ご飯食べられているといいけど。
「ところでリアは神殿に行ったのだったな? 天啓についてなにか分かったか?」
「私の天啓は魔力を象るものだ、といわれました」
「象る? つまりはあの蝶のように、か」
キール様は顎に触れながら、テーブルに置かれた白いナプキンを見つめる。
きっとあの日、飛び立った蝶を思い返しているのだろう。
「それで少しでも魔力を使えるようにって、バレアさんという方のもとで少し学ばせて頂きました」
「バレアのところで? そうか……。あいつは良くしてくれたか?」
少し不安そうな顔で訪ねてくるから、思わず笑っちゃった。
「なぜ笑うのだ?」
「だって……不安そうな顔をするなっていうキール様こそいつも不安そうな顔をしているので」
そんな顔をしていたか、と誤魔化すようにグラスを口に運んでいる。
「バレアさんは良くしてくれましたよ。なんでもキール様には恩があるとかいってましたし」
「恩? いや、あるのは……借りだけだ」
とても返しきれない……借りがな、とキール様は憂いを帯びた瞳で呟く。
それは自分に言い聞かせるように、小さな声だったから。
だから私は、聞こえていないふりをして話を変える。
「そういえばこちらに向かう間、ずっと練習していたので、」
私はポーチから刺繍のしてあるハンカチを取り出した。
「色々なことができるようになりました。例えば……」
ハンカチに魔力を込めると、刺繍された蝶が輝きだす。
やがて刺繍の蝶が飛び立つかと思われたその瞬間、
刺繍を媒介にして、ハンカチ自体を蝶として具現化したのだ。
「これは驚いたな」
「刺繍をしてある方がイメージしやすくていいのですけど、実はなくてもできるんです」
私は手を上に向けて広げると、手の上に花を象った魔力を形成した。
最初は虹色、つまり魔力色の花しか作れなかった。
けれど一度作りたいものを刺繍してみると、不思議と本物そっくりに作れるようになっていた。
ハンカチで作った本物そっくりの蝶は、魔力の花の密を吸いに舞い降りてきて——。
「なんという美しい光景だろうか」
「気に入って頂けてとっても嬉しいです」
「他にも何かできるのかい?」
「ええと、旅の間にできるようになったのはこれくらい……あ、あとはオバケも作ったんでした」
「オバケだと? なぜそんなものを……」
「実はここへくる間にお祭りをしていた街を通ってきて、その時に——」
食事が終わって、デザートが出てきて。
それを食べ終わっても。それでも話は尽きなかった。
どんな話もキール様が笑って聞いてくれたからかな。
「おや、もうこんな時間か」
壁にかかった時計をちらり見やると、キール様はそう口にした。
思わず私も見てみると、どうやらもう日が変わってしまうくらいの時間だったようだ。
「長旅で疲れているだろうに、引き止めてすま……」
「すまなかったはなしですよ? 私が会いたくて来たんですから」
私は指先でキール様の唇をそっとふさいだ。
こんな夢のような時間の終わりに謝罪なんて欲しくない。
「そうか、そうだな……。じゃあ、ありがとう」
「え、なんでですか?」
「私もリアに会いたかったからだよ」
そういって腰を抱き寄せられて、また唇を重ねる。
それは少しお酒の匂いのする、大人のキスだった。
「それじゃあおやすみ、リア」
部屋まで送ってくれたキール様は、そのまま自室へと戻っていった。
どこまでも紳士な対応で、惚れ直してしまいそう。
「あー……溶けちゃう……」
さっきのキスを思い出して私はひとり身悶えていた。
そして熱くなった顔を手で覆い、ベッドに倒れ込む。
むぎゅ——。
なぜかそんな感触があって、慌てて
そこには幸せそうな顔で惰眠をむさぼる、メイドの姿があった。
「むにゃむにゃ。もう食べられませんってー」
はぁ、私は安堵とも呆れともつかない息を吐いた。