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17.ご遠慮させていただきます

 しばらく沈黙が流れ、キール様がようやく口を開く。


「おい、カルミナ。何の冗談だ?」

「どうやら、そこのお嬢様に見破られてしまったようなので」


 私がキール様の婚約者だと知っている人はかなり少ない。

 両親を除けば、ここのお屋敷の人たちしかいないといってもいい。

 それなのに、初めて外出した日に誘拐されることなんてあるのか?って、そう思ってた。

 だから誰かが、外部に伝えたんじゃないかって疑いたくはないけど、心の奥底でどこか疑っていて。

 私を誘拐したあの無精髭の男と、彼女の顔立ちがそっくりだったことに気がついて思わず尋ねてしまった。

 はっきりいって迂闊だったとしかいえない。


「疑われたら終わり。つまり、ここでの仕事はもう終わり」

「……最初からか?」

「ええ、もちろん」

「お前がここへきて10年は経っているだろう」

「それくらいかけないと信用なんて得られないでしょう?」


 カルミナと呼ばれたはバカにしたように笑う。

 それから敵意のこもった瞳で私を睨むと、歯茎をあらわにして叫んだ。


「お前のせいでッ! 終わったんだよッ! ああんッ!?」


 突然豹変したその態度に、私は背筋が凍る思いだった。

 カルミナは自分の髪を荒々しく掴むと、力任せに引っ張る。

 ずるりと栗色の髪が抜け落ちて、地毛であろう黒髪があらわになった。


「ところで兄貴は無事? いや……標的のあんたが無傷なんだから無事なわけないか」

「あの男は……あなたのお兄さんだったの?」


 私が尋ねると、カルミナは愉快そうに笑った。


「だったらなんだよ? どうせそこの辺境伯が殺したんだろ!?」

「カルミナ、なぜこんな事を?」

「なぜって……なんのためにアタシがあんな小娘、いやババアの世話係に手ぇ挙げたと思ってんだよ」

「情報を流すため……か?」

「それだけじゃあない。これを頂いておこうってね」


 カルミアは胸元から瓶を取り出して自慢げに揺らす。


「これを採るのには苦労したよ」


 そこに入っているのは真っ赤な液体。おそらく……チェリエの。

 キール様は眉根を寄せ、極めて鋭い声を出した。


「それはやめておいた方がいい」

「うるせぇ、道をあけろッ! 邪魔したらこいつを殺すッ!」

「キール様、私には構わず賊を討ってください」


 バルティさんは顔色を変えずにそういった。

 けれど、キール様は動けない。シュバルトさんも同じだ。


「はは、できないと思ってたよ。死ねないお前らは逆に周りの死を極端に怖がるからね。10年も見てきたんだ、そんなのはよく知っている」


 そういいながら、カルミナはどんどん出口へと近づいていく。

 ついには扉を蹴り飛ばし、外への道が開けた。

 このまま見送るしかないのだろうか、と誰もがそう思った瞬間。


「ふんっ!」

「何ッ!?」


 バルティさんがカルミナの腕を力ずくで振りほどく。

 首筋に添えられていたナイフは、僅かに肉を裂くだけに留まった。


「クソがぁッ!」


 カルミナは口汚く叫ぶと、ナイフを振りかぶった。

 袈裟斬りで振られたナイフを、僅かに体を後ろに傾けてかわしたバルティさんは、カルミナの腕をナイフごと蹴り上げる。

 ナイフはくるくると周り、音もなく絨毯の上に転がった。


「さて、終わりです。知っていることを全部話してもらいましょう」

「はは、死んでもゴメンだねッ!」


 シュバルトさんだけじゃなくて、バルティさんも強いとは……恐ろしいオジサマたちだ。

 援護しようといくつかのつぶてを創造していたけれど、必要なかったみたい。


「もう逃げられませんよ」


 バルティさんがずいとカルミナに近づいてその腕を掴んだ。

 これでもう大丈夫だ、とその場の空気が弛緩した瞬間だった。


「ぐ、ぐふっ……」


 突然、バルティさんの胸から血が吹き出した。

 膝をついて、うつ伏せに倒れ伏すと、赤い絨毯が更に赤く染まっていく。


「これは……兄貴ッ!?」

「まさか、あいつが来たのか?」


 警戒したキール様は腰に手をやったが、城の中なので剣を佩いていなかったらしい。

 私は急いで魔力の剣を象ると、彼にそっと手渡した。


「ウチの妹をいじめてんじゃねえよ、おい」


 カルミナの後ろに、無精髭のあの男が突然出現した。

 街でキール様に貫かれたはずの四肢には、乱雑に布が巻かれ、布は赤く滲んでいた。

 手にした長剣からは、バルティさんのものであろう血がポタポタと滴っている。


「貴様っ!」


 キール様が地面を蹴り、一瞬のうちに男へ迫った。

 風切音を置き去りにするほどの速度で魔力の剣が振りきられる。

 しかし、男が突然その場から消えたことで剣は空を切った。


「そんなもん俺には当たらねえよ」


 カルミナの横に出現した男は、妹だという元侍女を引き寄せた。


「やり合ってやってもいいが……こいつもいることだし、ひとまず退散させてもらうぜ」

「待てっ!」


 キール様が男に向かって剣を突き出すが、距離が遠くて間に合わない。

 私は咄嗟に魔力の剣へ力を込め、その刀身を一気に伸ばした。

 それによって目測を誤ったのか、男の腹に深々と剣が刺さる。


「……くッ……」

「兄貴ッ!」


 男は苦しそうに呻きながら、カルミナと共にその姿を消した。

 次に現れたのは城から伸びる橋の上。

 橋向こうの詰所にいた兵士たちが慌てて捕縛に動くも、間に合うはずもなく。

 その場に大量の血痕を残して、二人の姿は見えなくなった。


「また逃がしたか……厄介な天啓だ。それよりもバルティだ。ラケナリアっ!」


 倒れているバルティさんの様子を診ていたラケナリアさんが首を振る。


「ううん、これは命に関わる傷だねぇ」

「……なんとかなりませんか?」


 シュバルトさんが悲痛な顔でラケナリアさんに詰め寄った。

 その必死な表情からは、バルティさんへの情がありありと伝わってくる。


「そりゃ助けることはできるさ。でも……配血が必要にはなるね」

「それしか方法がないのなら仕方ありません! ではすぐに準備を」

「ああ、わかったよ」


 そういって、シュバルトさんとラケナリアさんが揃って準備に向かおうとした時だった。

 バルティさんが苦しそうな声をあげ、ラケナリアさんの白衣の裾を掴んだ。


「もう……私はダメ……なのでしょう?」

「それは……」

「いいえ、これから配血をします。そうすれば問題なく助かります」


 言い淀むラケナリアさんに被せるように、シュバルトさんが力強くバルティさんを励ます。

 しかし、バルティさんの答えはあまりにも予想外だった。


「いえ、配血は……ご遠慮させて、頂きます……」

「バルティ、何をっ……」

「そうかぃ。人のまま死にたいってのなら、それもいいだろうさ」


 顔面を蒼白にしたシュバルトさんとは対照的に、ラケナリアさんは納得した顔で頷く。

 キール様は無言でバルティさんの側にしゃがみ込み、その手をしっかりと握った。


 その日、コルヴィン城からは一人の侍女と、一人の家令がいなくなった。

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