朧花を納めた棺桶は、今炎の中に送られた。若き戦士が斃れたことへの悲しみを人々は叫ぶ。そして確信する。ユーグラスは影術師団にとって絶対的な敵であると。
参列する果吉はその柩に敬礼を送った。涙が頬を伝う。付き合いが特別長いわけではない。だが、死地に共に立った経験は何より深い絆を二人の間に生んだ。
寂しい。復讐が萌えた心を抱きながら、雪の退けられた道を歩く。墨を流し込んだような曇天。夕方の冷たくなった空気。子供の笑い声も聞こえてこない。村全体が死んだようだった。
屋敷の自室に戻るとどうにも自分が抑えられなくなって、半狂乱に叫びながら腕を振り回した。纏わりつくあらゆる感情をなぎ倒すように。
落ち着いた。いや、疲れただけだ。腰を下ろして、手を叩く。
「限りなき黒。満たされぬ器。虚ろなる心。現れよ、呪怨の黒犬」
彼の影から伸びた糸が、二つの頭を持つ犬を編み上げる。犬は擦り寄ってきて、果吉はそれを撫でた。
バディを失うのはこれが初めてではない。理想の世を実現するための戦いに犠牲は付き物だった。だが、18の少女の死は初めてのことだった。慣れたつもりの喪失が、こうも心にナイフを突き付けるとは思わなかった。
(呪縛が必要だ)
キジマとの戦いを思い返す──。
あのビルで対峙した彼。真っ直ぐな目をしていた、と果吉は思った。柔軟に動く肢体に翻弄され、氷を生み出す術の条件を満たせなかった。相手に術について伝えることを無詠唱の条件としている果吉は、それを達しなければ戦闘力が半分以下に落ちる。
何とか式神を召喚して攻勢に転じたものの、ニェーズの甲殻は頑丈で、犬の牙を通さなかった。地球人であれば肉を裂き骨にまで達するほどの一撃を食らわせたはずだというのに歯形を付けただけだった事実は、彼に危機感を覚えさせた。
そこで考えた。破壊された場合10時間のインターバルが必要となる代わりに、結界やニェーズの甲殻に対して貫通力を有する。その呪縛と効果の上で戦うのだと。
呪縛を課すことに、特別な儀式は必要ない。ただ誓えばよい。そうするという強い意志が何よりのファクターだ。あらゆる世界に通じる理と言える。魂と世界に宣誓されたルールなのだ。
その上で、魔力の消費量を増やす。
(確実に殺す)
念ずる。指を鳴らして式神を消し、立ち上がる。部屋の隅に立てかけてある斧を腰に引っ掛け、歩き出した。向かうのは、鉄傑の部屋。縁側を取って、一番奥の座敷へ。
「鉄傑様」
と跪き、障子の向こうに声をかける。
「どうした」
「出撃の許可をいただきたく」
「好きにしろ。しかしバディを失ったばかりだろう」
「故に、でございます。この感情が消えぬうちにヨウマを殺しに行きたいのです」
「……死ぬなよ」
「ご心配なさらず」
とは言っても、生きて帰る保証はどこにもなかった。ヨウマは強い。それを認めた上で、命を賭けなければならない。怖いと思えば嘘になる。だがやらねばならぬ。右腰に斧があることを確かめて、立った。
◆
時は昨晩まで遡る。ヨウマの呼んだ救急車が、グリンサと彼を乗せてシェーン義肢研究所に到着した。手術室の扉の上にあるランプが、光った。
ヨウマはそれを見て、ベンチに腰を下ろした。死にはしないだろう、というのがシェーンの見立てだった。魔力から生まれた純粋な氷であるから感染症の恐れは少ないだろう、とも言っていた。
だが、それでできることがヨウマにあるかというとそうではない。彼女も腕を貸していたから、それで義手が付けられることを祈るばかりだ。
右掌を見てみる。表面に配置された感覚素子が、ケサンの糸で肩の神経と繋げられている、手。常時一定量のケサンを消費し続けるが、手の内の感覚が必要な剣士という身分故、仕方ないと受け止めていた。
グリンサのケサン量が義手を動かすに不足しているとは、彼も思わない。間違いなく動くはずだと信じていた。だが一抹の不安が過る。眼だ。義肢を作るのが趣味のシェーンでも、眼は用意できないのではないかと彼は思うのだ。
そうして、3時間が経過した。疲労が出てきて眠くなってきたところで、扉が開いた。血に濡れた手術着のシェーンが出てきた。
「どう?」
簡潔に問う。
「腕は義手にしたが、眼は駄目だった」
「難しいの?」
「ヒトの視力を完全に再現しようと思うと、どうしてもね。まあ彼女にはゴス・キルモラがあるから、戦闘で支障をきたすことはそうないだろう……」
マスクを外す。
「義手は君と同じタイプだ。クリムゾニウムをフレームにつかって、意志の力に反応する。君のおかげでデータが集まってね、感覚素子配置の最適化もできた。今度改良してあげよう」
「タダならするよ」
「それじゃ商売上がったりだ──それじゃ。よく休むことだ」
シェーンは去っていく。ヨウマは誰もいなくなった手術室の扉を見つめていた。
そして朝が来た。
「動く動く!」
グリンサがベッドの上で左腕をグルングルンと回してみせた。
「気持ちはわかるけどさ」
とヨウマはその傍らの丸椅子に座って言った。
「いいねこれ。ちょっと重いけど」
リハビリ用のお手玉を3つ、サイドテーブルの上から取り、ヒョイッと投げる。ジャグリングだ。左目には黒い眼帯があって、それを見るとヨウマは少し嫌な気持ちになる。あと1分早ければ失わずに済んだのだろうか、と。無意味な仮定を繰り返している彼の肩を、グリンサは叩いた。
「暗いこと考えてるでしょ」
そういう彼女の顔はいつになく真剣だった。
「……うん」
「私のミスは私の責任。背負わないで」
「でもさ──」
「それ禁止」
彼女は少し顔を綻ばせる。
「心配しないでって。私強いからさ」
「……わかった」
俯き気味に小さな返事をした。
「お嬢様とはどう?」
「カラオケ行ったよ」
「青春だねえ。お姉さん、そういう話全然なかったからなあ」
「修行ばっかりしてた?」
「ま、師匠が団長だからね。遊ぶ暇なんてなかったよ」
そう話す彼女がどこか遠い目をしているように、ヨウマには思えた。
「影術師団、次は何をすると思う?」
彼は問う。
「さあ……」
グリンサは右手を顎に当てた。
「ちょっと話変わるんだけどさ」
と言ったのはヨウマだ。
「本国は団員の使う術について掴んでるの?」
「何も知らないってわけじゃないんだろうけど、教えてくれないんだよねえ。嫌がらせかなあ」
本国も総督府も差別の解消に力を注いでいるものの、現場レベルでは未だに蔓延っているのが事実だ。何かと理由をつけて情報提供の申請を却下する担当者がいても、不思議ではない。
「でも、私たちは負けない。負けるわけにはいかない」
「そうだね」
二人は目を合わせた。共有される炎。
「じゃ、僕は帰るよ」
「待機?」
「うん、キジマとダバラが待ってるから」
「怪我しないようにね」
「わかってる」
拳を突き出す。グリンサがぶつけた。義手同士の、硬い音だった。
◆
すっかり早くなった日暮れが、このフロンティア7に訪れる。オレンジの光がビル群を色づける中、果吉は立っていた。煉瓦で覆われた地面。広場の奥にあるステージの上で、彼は一人の女子高生を氷で拘束していた。
その前に、ヨウマが現れる。目が合えば、彼は鯉口を切った。
「決着をつけましょう」
果吉が口を開く。しかしヨウマは答えない。軽蔑と憎悪を瞳に湛え、接近するだけだ。
「少し話をしましょう」
果吉はそんな彼を見下ろしながら言った。
「自分は軍人でした。しかし妻子を亜人に奪われ、影術師団となることを選びました。貴方はなぜ戦うのですか?」
「親父に育ててくれた恩を返すため。無駄話がしたいなら死んでからしてくれない?」
「これはお手厳しい。今から殺す相手のことを少し知っておきたかったのですが」
「今から死ぬのに?」
ヨウマは彼の背後にいる女子高生を見る。氷漬けにされている状態が続けば、やがて低体温症で死に至る。時間はない。
「始めよっか」
魂の扉を開く。急激に上昇した身体能力で、瞬間的に間合いを詰めた。ステージ上で繰り広げられる剣戟。斧と刀のぶつかり合いは、やはりヨウマが優勢だった。
「人質までとってこれだけ?」
斬り結び押しあいながら、彼はそう言った。
「自分の魔術は氷を生成する術」
果吉は質問には応答せず、自分のことを語りだした。
「そして今、術について開示したことで、自分は無詠唱での氷の生成が可能になりました」
ヨウマの背後に鋭利な氷柱が現れる。それを非人間的な第六感で捉えた彼は、瞬時に反応して雷の槍で相殺した。その姿勢から回転の勢いを乗せて、果吉に斬撃を浴びせる。防御はわずかに間に合わず、斧が弾き落された。
次の一撃でおしまいにするつもりで放ったヨウマは、しかし予想外に防がれたことに驚いた。氷の剣が果吉の右手に握られていたのだ。
「自分は生成できる氷の質量に限界を設定しています」
トッ、と離れた果吉がまた話した。
「この開示によって自分の氷の強度は3割増しになります」
「そんなの握ってたら指が凍り付いちゃうんじゃない?」
「ええ、そうですよ」
まずい、とヨウマは思った。情報を引き出すことは、すなわち術の強化に繋がってしまうことに気づいたのだ。
「これによって更に氷の強度が向上……並の術では撃ち抜けませんよ」
「じゃあ試そうか」
雷の槍を投擲。確かに受け止められた。
果吉は剣を弾丸に変えて飛ばしてくる。結界で防ぐも、次から次へと飛来する高速飛翔物体にヨウマは動けなくなった。結界の精密な操作はまだ行えない。時間がそれを許さなかったのだ。
突然、二つの頭を持った黒犬が飛び出してきた。結界があるから──と思った彼は、次の瞬間肝を冷やすことになった。結界が一瞬にして喰い破られたのだ。そして犬は消える。その僅かな隙を突いて、氷が飛んできた。顔面への直撃コースだったそれを、頭を横に倒して躱す。氷は頬を掠めて飛んで行った。
「いい反応速度です。ただの身体強化ではありませんね? 魂側からの強化でも行っているのでしょうか」
「正解。察しがいいね」
「伊達に36年を生きていませんよ」
話は聞き流して、ヨウマはケサンの刃を飛ばす。氷の壁がそれを阻む。ピシッ、と横一文字に傷が入った。2発目、3発目。浅い傷は浅いままで、破壊の目途は立たなかった。
彼は接近を選んだ。刀を熱し、壁に突き立てる。いくら硬かろうと、氷は氷だ。熱に触れれば溶けていく。だが溶ければそれを補うように氷が生まれて、刀が完全に覆われてしまった。引き抜こうとしている内に氷が手元まで迫って、彼は武器を手放すことを余儀なくされた。
しかしそれは敗北を意味しない。印を結んで徒手の分身を2体生み出せば、本体を判別することは不可能になった。果吉が壁の一部を剣に変えて攻めてくる。ヨウマは分身を盾に、隙を作ろうとする。突撃させた分身が刺され、消えようというところで雷の槍に変えて攻撃を仕掛ける。右肩を穿った。
果吉は剣を落とす。その瞬間。龍の頭の形をしたエネルギーの塊が、果吉の胸を貫いた。意識が消えるまでのわずかな間に、彼は自らの生が無為でなかったか考える。きっと意味はあった。そして、この死は終わりではない。
仰向けに倒れた。氷は消えて、女子高生も解放された。刀を拾い上げて鞘に納めたヨウマは、救急車に向かって手を振った。空を見上げれば、一番星が輝いていた。