目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

選択

 鉄傑は自室で瞑想を行っていた。結跏趺坐の姿勢で、静かに目を閉ざしながら精神の奥深くへと沈んでいく。だが、そこに入り込んでくるものがあることに気づいて、瞼を開いた。


「そうか、果吉もか……」


 寂しく呟く。死した団員の魂は鉄傑の中に保管される。ある目的のために。


「随分お早いですのね」


 鉄傑の精神の中で、朧花の魂が呆れたように言った。畳の敷かれた茶の間のような空間に、生前の姿をした彼女は座っていた。


「不甲斐ない限りです」


 踏み込んだ果吉が頭を掻きながら答えた。


「ヨウマですか?」

「ええ、人質を取って1対1に持ち込んだのですが、駄目でした。ユーグラス最高戦力の一角、相応の実力者ということなのでしょう」

「亡くなってから分析しても無駄でしょうに」

「全くその通りです」


 彼は静かに腰を下ろした。真ん中にあるちゃぶ台の上には茶の注がれた湯飲みがあって、彼はそれを静かに飲んだ。


「もうこの手で亜人を殺せないこと、残念ですわ」

「わかります。しかし、我々の死は無駄ではありません」

「そうですね。わたくし達の敗北も想定した計画、鉄傑次第ですが信じましょう」


 障子戸を開いて、鉄傑が現れた。


「一矢報い得たか」

「いえ、残念ながら」

「そうか。悔しいな」

「はい、心から」

「その魂、無駄にはせん。よく休んでくれ」


 果吉は深々と頭を下げた。


鄭目ていめ妖狐ようこを囮にして、唐版士とエルアウスに総督を殺させようと思うのだが、何か意見はないか?」

「ヨウマにしろグリンサにしろ、かなりの手練れです。囮が30分稼げるかもわかりませんよ」


 果吉の助言に、鉄傑は驚いた顔を見せた。


「それほどか」

「『彼』が流す情報以上に見積もった方がよろしいかと」

「信用ならんものだな。その『彼』も」


 鉄傑はフン、と鼻を鳴らす。


「『彼』の目的はあくまで既存秩序の破壊……」


 リラックスしている二人を交互に見やりながら彼は言う。


「正直なところ、その先何を望んでいるかもわからん」

「それでも利用価値はあるのでしょう?」


 朧花が言った。


「しかしニェーズだ。例外なく亜人は殺す」


 それまでの利害関係の一致のみが、ユーグラスの中枢と彼らとを結びつける唯一の道だった。


「む、ヒトが来た。それではな」


 鉄傑の姿が障子戸の向こうに消える。


 そして現実へ。火増が立っていた。


「お邪魔だったかにゃ?」

「いやいい。なんだ?」

「『彼』から連絡が入ったにゃ。凩檜橋は当分総督府から動かないみたいだにゃ」

「そうか。なら都合がいい……連絡をしておいてくれ」

「あいあいさー。任されたにゃ」


 誇張した敬礼で彼女は応える。


「警備の配置はどうなっている?」

「今送るにゃ──」


 火増はジーンズのポケットから携帯電話を取り出して、ファイルを送信した。


「ふむ、中々に厳重だな。入口には金属探知機と結界に、武装した者が複数人。中には更に警備員がいる……」

「動きを察知されれば七幹部とヨウマが出てくる可能性もあるにゃ」

「一筋縄ではいかんか……」

「ま、いざという時はウチがやるにゃ。鉄傑も出る準備をした方がいいと思うにゃ」

「そうだな。それも選択肢の内に入れておこう」


 鉄傑は腰の刀に手を置いた。


「自己召喚用のマーキングを内部に設置するよりなさそうだな」

「結界を通り抜けるのにだいぶ魔力を使わないと難しいにゃ……妖狐ちゃんに相談してみるにゃ」


 トントン、と携帯電話を触る火増。


「そうか。私は契者様に会ってくる。顔を見せろとお怒りだからな」

「いってらっしゃいだにゃ~」


 送り出されたのは、早朝の世界。遠くに昇る朝日が見えて、彼は目を細めた。チチッ、と鳥の鳴く声が聞こえる。鶏が朝を高らかに告げる。


(嫌な朝だ)


 仲間を悼みながら庭を歩く。草履から伝わる、地面の感覚。過ぎ去っていく風に頬を撫でられ、その冷たさに苦い顔をする。


 果吉の死は軽いものではない。一時的にだが魔術符生産がストップしてしまう。ならば管理を補佐していた者に穴埋めをさせて、影術師団に相応しいレベルに成長してから昇格させる。ではその教育は誰がするのか。それを依頼しようというのが、彼の外出の目的だった。


 離れの前に着く。縁側に上がり、障子に向かって膝をつく。箏の音が響いていた。


「契者たる連佐れっさ様、起きておいでですか」


 箏の音が止んだ。


「要件は手短に」


 聞く者を安心させるような低音は、男の声だった。


「新たな団員を選定しなければならなくなりました。つきましては、契約にご協力を願います」

「名は?」

王打わんだ閃太郎せんたろうです。果吉の補佐をしていた男です」

「顔を見たい。案内せよ」

「仰せのままに。連絡をする時間を頂けませんか」

「構わん」

「少々、失礼いたします」


 縁側から降りて、電話をかける。


「閃太郎か?」

「ええ、鉄傑様、何か御用でしょうか」

「君を影術師団に迎えようと思う」

「身に余る光栄です。ご期待に応えられるよう、粉骨砕身の思いで修行を積みます」」

「魔術符生産の管理も頼む。十分に引継ぎができているわけではないと思うが、頑張ってくれ」

「ええ、お任せを」

「それではな」


 切る。再び縁側で跪いた。


「ご案内いたします」

「うむ」


 と出てきたのは中年の、橙色の和服を着た背丈160センチほどの小柄な男だった。面構えは男前といったところだ。腰には金色の飾り太刀を下げ、頭を垂れる鉄傑を見下ろしていた。


 鉄傑がこうも恭しく接するのは、彼の信条にその理由がある。言語魔術を至高の魔術と考える彼にとって、それを行使する力を与えてくれる愛された魂は何より敬うべきものだった。人類種が持つ力。それは言語。その特別な能力によって繰り出される言語魔術ほど素晴らしいものはない。彼はそう考えていた。


 ヘッセなどという鉱物に頼る魔術を、彼は言語魔術と同列に扱っていなかった。魔術の行使は一つの肉体と一つの魂で完結するべきだというのが持論だった。


 この世に存在する魔術は言語魔術だけでいい。そしてそれを使うのは純粋種だけでいい。穢れた亜人種は例外なく消し去り、言語魔術師が何の憂いもなく過ごせる場所を作るのだ。


 そんな彼の思想の根幹には、火増の存在がある。生まれつき召喚術を扱えた彼女は、何の因果か反魔術を掲げる宗教に傾倒している家に産まれた。そんな家から逃げ出した彼女を拾ったのが、9年前。親友を亜人に殺されたことが影術師団に入った理由なら、楽園を築くことは彼女が理由だ。


 地球人類が初めて亜人と接触したのは、120年前。久化きゅうか23年のことである。魔力を秘める鉱物クリムゾニウムを核に、異世界とのゲートを開けるようになったことが切っ掛けとなった。


 『発見』された異世界の共通点は、クリムゾニウムの鉱脈が存在すること。地球の地下を流れる、惑星の魔力とでも言うようなものから得られるエネルギーを貯蔵できるそれは、魔力変換機と組み合わせて無尽蔵のエネルギー資源として広く普及した。


 その一例が電気自動車だ。安価な電気がなければここまで広がりはしなかっただろう。この小さな村でも、農業機械は全て電動である。石油を燃料として用いることも考案されたが、環境負荷の観点からあまり受け入れられなかった。


 そして、クリムゾニウムの利用について日本は他国の一歩先を行っている。魔力を扱いやすい電気に変換する装置を作り出したのも日本である。


 古来、言霊術として魔術が栄えてきたこの国は、その歴史に蓄積された知識によって魔術大国として極東に多大な影響力を有している。一方でヨーロッパやその宗教観を引き継ぐアメリカでは魔術は社会的に受容されるまで時間がかかり、日本ほどの発展を見せていない。愛された魂の管理体制も杜撰である。


 だが、異世界との繋がりでそのギャップは埋められつつある。やがてパワーバランスが崩れ、戦争が起こるのではないかと危惧する専門家もいる。そうなれば皇国は自らの勢力圏を維持するために亜人を動員してでも戦うだろう、と鉄傑は思っている。


(亜人にこの国の未来を任せるわけにはいかない)


 全くの狂気である。


 さて、二人は閃太郎の勤める、魔術符生産所の前に立った。外目ではそれとわからない、シンプルな外観の木造住宅だ。屋敷のある丘の麓にあって、その屋根には青い旗が掲げられていた。


 引き戸をガラガラという音と共に開けば、文机に向かう者が10人ほど。その間を歩いて様子を見ている、作務衣の上から鍛え上げられているのがわかる肉体の持ち主が閃太郎だ。額に大きな傷跡のある男だった。


「閃太郎!」


 と鉄傑は呼びかけた。


「こちらからお伺い致しましたというのに」


 閃太郎は土間に膝をつけながら言った。


「それに、連佐様まで」

「この者と契約をすればいいのだな?」

「ええ、お願い申し上げます」


 鉄傑が閃太郎の手を取って立ち上がらせる。閃太郎と連佐が並ぶと、どうしても前者が見下ろす形となる。それが居た堪れなくて、彼は跪いた。


 連佐は太刀を僅かばかり抜いて、右親指に切り傷をつけた。


「飲め」


 と血の滲んだ指を差しだす。


「失礼致します」


 そこから落ちてきた血の一滴を、閃太郎は飲み込んだ。ドクン、と心臓が強く脈を打った。胸の奥に入り込んでくる異物感。まるで挿入されたような感覚だ。全身の毛が逆立つような不快感の後、それら全ては一瞬の内に消え去った。


「式神を出してみろ」


 連佐に促されて閃太郎は腕を伸ばして手を叩き、呪文を唱える。果吉にそれだけは教わっていた。


「限りなき黒。満たされぬ器。虚ろなる心。現れよ、呪怨の──」


 そこまで言って、少し考えた。使役できる式神は先天的に決定されている、というのが果吉の言だった。魂に尋ねてみる。自分は何を呼び出すのか……。


「大鷲」


 差し込んでくる光が映し出す影に、1羽のオオワシが現れる。黒い糸で編まれたそれは飛び上がり、主の肩に乗った。


「それでいい」


 連佐が無愛想に言った。


「訓練に励み、己の式神を理解せよ。自らに何を課すか、考えておくとよい」


 踵を返した連佐に、残された二人は頭を下げ続けた。


「同じ鳥なら、エルアウスに教えを乞うといい。式神はそれだけでは大した力がない……呪縛を使って強化するんだ」

「はい、承知しました」

「まあ奴は屋敷にそう帰ってこないが……通達はしておく。期待しているぞ」


 そう言って、鉄傑はその場を去った。空を見上げる。灰色の雲が出てきた。雨が降るやもしれん、と彼は睨んだ。


(ヨウマを排除する手段を考えねばな……)


 傘はない。速足で、丘を登った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?