目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

対峙 鄭目と妖狐

 鉄傑と火増は、ほぼ同時に帰還した。畳に上がった彼女は振り返って、


「奇遇だにゃ」


 と言った。


「そうだな、成果は?」

「ないにゃ」

「奇遇だな、私もだ」


 少しの間笑い合った。庭に出れば、真っ青な冬空の下で剪定をする高禍の姿があった。黒いコートを着て、同じ色のズボンを穿いていた。短く切り揃えられた後ろ髪が揺れている。


「お帰りなさい」


 と彼は言う。


「お前も飽きんものだな」

「趣味ですから」


 パチン、と枝が切り落とされた。


「風が冷たいな」

「ええ。日も随分短くなりました。体調にお変わりはありませんか?」

「問題ない」


 そう言って鉄傑は縁側に腰を下ろした。雲が足早に流れていく。季節はせっかちだ、と彼は思う。少し気を抜けばあっという間に過ぎ去ってしまう。時だけを積み重ねても何になるわけでないと知りながら、戦うことを選び続けていた。


Welcome backおかえり


 ちょうど庭を歩いていたエルアウスが挨拶をした。その隣にはバディもいる。唐版士は新調した長巻を背負っていた。


「ヨウマはkillしたかい?」

「怪我はさせたが、魔術医がいればすぐ治るだろうな。首を刎ねられなかったのは私の弱さだ」

「リーダー、準備はできてるぜ」


 唐版士が掌を拳で叩いた。その顔は獲物に餓えた獣のようだった。


「連絡した通り、決行は明日だ。鄭目と妖狐は既に潜伏している」


 唐版士とエルアウスが揃って頷いた。


「生きて帰れよ」

Of courseもちろん。どっかりと構えてくれればいいよ」

「増援が必要なら呼べ。総督府内部へのマーキングは完了している」

「これが終われば、フロンティア7は俺たちのものになるんだな?」

「ああ。頼む」


 火増は庭に下りて、猫と戯れていた。会話に切れ目ができたことを聞き取ってから、振り向いた。


「ウチは式神を破壊されたからしばらく使えないにゃ。あまり期待しないでほしいにゃあ」

「地球人一人殺すのにそんな手間はかからねえよ」


 ヘツ、と唐版士は笑ってみせた。一陣の強い風で、地面に落ちた葉が舞い上がった。





 今34歳のエルアウスの産まれはアメリカの貧民街である。物心つく前に亜人のギャングに攫われ、日本に売り飛ばされた。それからは地獄の日々だった。男娼として生きていくことを強制された彼は徹底的にその身体を凌辱され、幾人もの男を受け入れた。


 そんな彼は自身のアイデンティティを守るために名前を偽った。18の時にはエルアウス・バタールという偽名を使うようになった。そういう生活を続け、性病に罹り飽きた頃、唐版士と出会った。男漁りをしていたわけではない。ただ亜人への憎しみを抱いた彼を、冥道衆として迎えようと思って探していたのだ。


 産みの親のことはわからない。育ての親は親と呼ぶのが憚られる存在。冥道衆に加わるその日、後者を殺した。ナイフで。29回刺した。自然と笑いが零れた。殺人の快感。唐版士と共に夜のスラムを飛び出した時、星の輝きが一層増したように見えた。


 彼にとって、唐版士は救世主だった。亜人の血に濡れた唐版士を見るたび、心の奥で躍動する感情があるのを感じた。この男なら信じていい。亜人に虐げられることのない世の中を作ってくれる。崇拝にも近い思いを抱いた。


 そんな彼に、鉄傑の思想はあまりにも眩しかった。輝ける未来。何からも解き放たれることができる。気が付けば手を伸ばしていた。それが茨に包まれた希望だと知って。


 それでも血を流すことに厭いはなかった。愛された魂との契約を経て影術師団に加わった彼は、方々で亜人を殺して回った。火を吐く梟には、『5分ごとに羽根を休めさせる』という呪縛の上で燃やし尽くすまで消えない炎を手に入れた。頼りになった。腕の長い亜人、翼のある亜人、それら全てを焼き捨て、今ここで座禅をしている。体を巡る魔力の流れを感じ、ゆっくりとした呼吸の中で整えていく。


 傍らに置いた携帯電話がアラームを鳴らす。


The time has come時は来たれり


 左側に置いていた剣を下げ、立ち上がる。


「エルアウス」


 唐版士が襖を開けて言った。


「Okay。行こう」


 彼らは屋敷の玄関に立った。そして戸を3回叩いた。それからそれを引けば、殺風景なビルの一室が待っていた。割れた窓から差し込んでくる日の光。一度目を合わせてから、二人は歩き出した。





「情報が入りました」


 パトロールカーの中で、グリンサとダバラはダッシュボードから聞こえてくるオパラの声を聴いていた。


「影術師団メンバーの駆擦かけずり鄭目と唯利ただり妖狐が銀行を強襲。手の内がわかりません。注意してください」

「式神のこともわからないの?」

「本国が情報を提供してくれないのです。危険な任務になると思いますが、どうか、御無事で」


 その言葉が終わると同時に、銀行の前に着いた。ギリシア建築風の門の向こうが、ガラス窓越しに見える。血は流れていないようだった。


「状況は?」


 グリンサが銀行を取り囲む社員に尋ねた。


「何とも……」


 そのニェーズは力なく首を横に振った。


「人質、取られてるんだよね」

「ええ。銀行を訪れていた15人を解放する条件として、現金を要求しています。交渉も試みていますが、どうにも」

「軍資金集めか……」


 彼女は顎に指を当てる。左手は太刀の柄に置く。


「どうにか突入する隙を作らなきゃだね」

「中の様子がもっと確認できればいいんですが」


 とダバラ。


「そうだねえ」


 そう言いつつ、グリンサは辺りを見渡した。3桁を超える社員が道路を封鎖し、犯人の喉笛を掻き斬るタイミングを窺っていた。


「人質に怪我人は?」

「まだいません」

「犯人の武器は?」

「妖狐は刀を持っています。鄭目は素手ですが……狼男だと人質の一人が言っていました」

「解放されてるの?」

「地球人は解放されました」

「へえ……」


 意外と良心的なところがあるのだな、という意の声だった。


「グリンサさん、急がないと」


 ダバラが急かす。


「落ち着いて。何か嫌な感じがする」

「感じって……」

「これはただの勘なんだけど、わざわざ人質を取ってるのが怪しい。何か意図がある」

「だから軍資金を集めたいんでしょう!?」


 彼は声を荒げた。


「違う。ニェーズが憎いならさっさと皆殺しにすればいい。少なくとも影術師団は亜人を生かすようなことはしなかった。でも、今回は違う……別の計画が動いてるのかも。オパラに連絡してくる」


 そう言うとグリンサは返事を待たず先程下りたパトロールカーに戻って、無線機を取った。


「──そういうわけで、厳戒態勢でよろしく」

「貴方の勘を信じましょう。ヨウマさんとイルケさんを本部で待機させます」


 もう一人欲しいところだな──車から顔を出した時そう思った。失礼な言い方だが、有象無象が群れたところでそれはそれでしかない。もう少し頼れる人物が必要だ。そんな風に考えていると、1台の装甲車がやってきた。その後部ハッチから下りてきたのはマンバンヘアの精悍な少年。


「ジャグくん!」


 グリンサは声を上げて歓迎した。


「説明は聞きました」


 と彼。


「壁の向こうから狙撃します」

「じゃ、私たちは内部の情報を渡せばいいんだ」

「感覚の共有をお願いします」

「私できないよ。ダバラは?」

「いえ……」

「じゃ、作戦変更だ。ちょっと!」


 グリンサは近くを歩いている社員を呼び止めた。


「壁って何センチある?」

「調べさせます」


 と社員は足早に去っていった。


「何をするんですか?」


 ダバラに問われて、彼女は壁を指さした。


「破壊術で吹き飛ばして、強行突入する。不意を突くにはこれしかない」

「そしたらケサンを使いすぎませんか」

「ヘッセを使わないなら何とかなるよ。ま、任せなって」


 ドン、と彼女は胸を叩いた。


「ただタイミングは選ばなきゃね。隙ができたら一気に突撃して方を付けよう」


 そう言う彼女に、後の二人は頷いた。


「監視カメラの映像が来ています」


 社員の一人が走り寄ってきて言った。


「いいところで教えて」

「了解。……頼みますよ」


 社員はケーブルが吞み込まれているトラックのコンテナに乗り込んでいった。


「壁の厚さ、わかりました!」


 また別の男性社員が駆けてくる。


「10センチのコンクリートです」

「しんどいなあ」


 正直な感想を彼女は口から出してしまった。


「うーん、戦闘になったら私使い物にならないかも。任せたよ」

「ええ、お願いしますよ、ダバラさん」

「え、僕ですか」


 流れるように責任を押し付けられた彼は頭を掻き、溜息を一つ吐き出してからこう言った。


「任されました。先頭に立ちますよ」

「男はそうでなくっちゃ」


 グリンサは話しながら壁に触れる。


「二人の視線がこっちに向いてないタイミングで合図出して!」


 その指示を受けて、コンテナの中からサムズアップがニュッと出てきた。


「二人は私の後ろに」

「了解」


 20分。彼らは待った。雪が降り始めて、手が冷たくなる。風も強くなる。動かない彼らを押すようだった。


「今です!」


 声がしたと思えば、爆音がざわつく街に響いた。ケサンを内側に送り込まれた壁は四方八方に破片を飛ばし、カツン、カツンと硬質な音を連続して立てた。


「行って!」


 ダバラとジャグが踏み込む。前者は剣を抜き、後者は両手の間に生みだした太陽から熱戦を放つ。それは真っ赤な髪をした若い女の左肩を貫いた。影めいて黒い狼の皮を被ったような男が二人に向かって走った。その爪はダバラの剣とぶつかり合い、押し合った。


「やろうか、最高の殺し合い!」


 男は鄭目。女は妖狐。殺し合いが、始まった。





 一方で、ヨウマとイルケ。談話室で出動を待つ二人は落ち着いていた。


「お嬢様とはどうなの?」


 とイルケが白湯を片手に尋ねた。


「別に……仲良くできてると思う」


 控えめな返事をした。もうすぐ冬休みということで居住区内でできる楽しみを探している彼女を、ヨウマは止めない。それに振り回されるのも楽しかった。深雪の傷もそう大事なく快方に向かい、心の荷物がいくらか下りた気持ちだった。


「それならいいのだけど。この間一緒に出掛けたっていうのを聞いたわ」

「見られてたの?」

「手を繋いで街中を歩いていたら噂にならない方がおかしいわ。嫉妬しちゃうわあ」

「やめてよ、恥ずかしいじゃんか」


 ヨウマは手を振ってそういう思いを振り払おうとする。だが纏わりついてくる。


「若いうちに恋愛をしておきなさい。きっと糧になるわ」


 すっとイルケが立ち上がった時、天井のスピーカーがチャイムを吐いた。


「総督府に影術師団。繰り返します。総督府に影術師団。至急出動を」


 走り出したイルケを彼は追った。そして装甲車に飛び込む。


「飛ばしますよ!」


 運転手が一気にアクセルを踏み込めば、ぐっと来たGが彼らを揺らす。しんしんと雪の降る街を、灰色の車は飛んでいった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?