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僅かな平和

 2日ほどで退院したヨウマは、暗いニュースばかりを知らせるスマートフォンを左ポケットに入れて病院の敷地を出た。空気は刺すように冷たく、コートに包まれた肢体をブルリと震わせた。


 業務中の負傷についての治療費は、会社が持つことになっている。そのお蔭で頻繁な入院も財布を薄くはしなかった。だが、味の薄い病院食は嫌いだった。


 昼のことである。ぼんやりとした陽光を受けながら歩き出そうというところで、一台の黒塗りの車が彼の前に停まった。窓が開いて、サングラスの男が身を乗り出してくる。


「ヨウマさん」


 落ち着いた声は、冬治だ。


「お嬢様から迎えに行けとの指示を受けまして」

「別にいいよ。わざわざそんなことしなくても」

「駄目!」


 後部座席の窓が開いたと思えば、優香が強く言った。


「はいはい」


 と呆れ気味に答えてヨウマは後部座席に座った。地球人向けの車に乗るのは久しぶりだった。ちょうど良すぎて窮屈にさえ思えてくる。


「また怪我されたらもう私耐えられない」


 真っ直ぐな、そして悲痛な瞳が彼に向けられる。


「……気を付ける」


 約束はできない。眼を逸らしながらヨウマは答えた。そんな彼の顔を、優香は掴んで自分に向けさせた。


「殺し合いなんだ、怪我しないなんて言い切れないよ」

「嘘でもいいから」


 嘘は嫌いだ、とは声に出なかった。


「私のこと好きなら、約束して」

「ずるいよ、そういうの」


 そう言われて、優香は引き下がった。


「好きだよ、それは認める。でもできないことは言わない。わかってほしい」

「うん……」


 不服そうに彼女は頷いた。その顔の横から、ヨウマは外を見る。アサルトライフルを肩にかけた、黒いジャケットと帽子の国家憲兵が闊歩する。本国から総督府を警護するために送られてきた者達だ。その配備を彼は病室で知った。地球に赴いた時、愛された魂を守っていたのも彼らだった。


 銃。そう、銃だ。あの日優香を襲ったオビンカも銃を持っていた。フロンティア7では流通していないもの。地球とのパイプが必要なもの。


(なんであいつらは銃を持ってたんだ?)


 一介の犯罪者が持てる武装ではない。あらゆる輸入品はゲートで検査される。密輸を行うには自前のゲートを用意するか、何らかの手引きで検査されないようにするしかない。


(オパラ、何か知ってるかな)


 自分の思考の正しさを証明するものを探していた。


(明日会社に行ったら聞いてみよう)


 優香の手が頬から離れる。顔の向きを戻そうとしたヨウマの唇に、彼女は唇を重ねた。


「お願い、無事でいて」


 涙を流しそうな眼で、彼女は言った。


 家に着けば、深雪が出迎えた。


「怪我は大丈夫?」

「は、はい。少し時間がかかるってお医者さんは言ってました」

「ケサンが少ないのかな」

「そそ、そんなことも言ってました」


 彼女はヨウマと優香の繋がれた手を見た。その左手は自分のものだ、という感情が湧いてきた。金属の右手をとり、引っ張る。


「ごご、ご飯できてますよ」


 味噌の匂いが漂ってくる。


「み、味噌煮込みうどんです。寒いですからね」


 ツェゾアーデーンブタ肉と、ネギや人参。クリムゾニウムの混ざった赤みがかった白く太い麺。それが一人用の小さな土鍋の中で犇めいている。もくもくと上がる湯気が視界を埋めた。


「お正月さ」


 と優香が話し出す。


「友達とパーティしたいんだけど、いい?」

「新年会? 別にいいけど、どこで?」

「できれば結界の中がいいよね?」

「そっちの方が安全だとは思う」


 ズルルッ、とヨウマはうどんを啜った。


「深雪ちゃんも来る?」

「しし、し、知らない人が多いのは、ちょっと……」


 小さくなりながら深雪は答えた。


「そっか。そうだね」


 慣れた様子で優香は返事をした。


「僕は外で警備してればいい?」

「できれば一緒にいてほしいかな~……なんて」

「わかった。いいよ。キジマと冬治に手伝ってもらう」


 優香にはある計画があった。それをひた隠したまま、食事を進めたのだった。





「それで、次はどうするんだ?」


 畳の上で車座になって、影術師団は集まっていた。その中で唐版士が声を発したのだ。


「国家憲兵も出てきて、逆に動きにくくなったんじゃねえか?」

「フロンティア7との関係を考えて、本国が治安維持に積極的に介入することはないだろう。暗殺はあくまでポーズ……既存秩序を破壊するという意思表示だ」


 鉄傑が言う。


「支配体制の確立は後回しでいい……どうせそれを実現するには人手が足りんのだ。まずは亜人を消し去らねばならない。妖狐、結界の解除はできそうか?」

「恒久的には無理。一時的に結界の機能を削ぐことはできるけど」

「どれだけ保つ?」

「長くて1日。そのためにはここを覆ってる認識阻害結界を解除して、冥道衆結界班の全魔力を注ぐ必要がある」


 彼女は赤い髪を揺らした。


「それはまずいな……」


 鉄傑は顎に指を当てて思案した。


「それに、今日明日でできることじゃない。鉄傑にこないだ渡したのだって、一週間魔力を込め続けてやっと偽装持続時間を15分に乗せてる。全員分を作ろうと思ったら魔術符生産を止めないと無理だよ」

「ああ、そうだな。ユーグラスの影響力を削いでいくことを主眼に置く方がいいだろうな」


 彼は仲間を見渡した。異論はないようであった。


「鉄傑」


 とエルアウスが呼びかけた。


「ヨウマはthreat脅威だ。イルケも。唐版士は危うく殺されるところだった……どうにかならない?」

「奇襲ができればそれでいいが、奴らはそういう隙があるようにも思えん。地道に削っていくほかないだろう」


 セーターにキュロットスカートの火増が正座から横座りに姿勢を変えた。


「居住区のニェーズを皆殺しにすることを目標にするにゃ?」

「そのつもりではある。しかしそれをするにはユーグラスを弱らせねばならん」

「じゃあテロの計画を立てておくにゃ」

「任せたぞ」


 彼女は大袈裟な敬礼をした。


「ところで」


 と言ったのは陽議だ。白衣を着ていた。


「私たちの死も含めた計画があると聞いたが、どんなものなんだ?」

「……もういくらか追い詰められたバアイに伝えよう」

「勿体ぶるねえ。それほど重大なのかい?」

「一手で状況を逆転させるものだ」


 ヒュウッ、と陽議は口笛を鳴らした。


「ならとっとと使えばいいじゃないか」

「斃れた者の魂を使うのだ。強い魔力を持った魂をな」

「だから死んだ者の魂は鉄傑の中に保存される、と」

「そういうわけだ」

「七幹部を捕らえて使えばいいのでは?」


 緑の腹巻を巻いた高禍が尋ねた。


「正直なことを言うと、私も頼りたいわけではないのだ。あくまで最悪の状況に陥った際の保険だ」

「なるほど……」


 彼はそれ以上の質問をしなかった。鉄傑が右を向けと言うなら右を向く。彼はそういう人間だった。


「当面の目標はイルケ、グリンサ、ヨウマの3名を排除することとする」


 鉄傑は立ち上がってそう言った。


「ジクーレンはどうするにゃ?」

「まともに戦って勝てる相手ではない、ということは報告でわかっている。だがこの世に万能など存在しない。ジクーレンだけが残っても、大局に影響は与えんさ……」


 彼の口角が上がった。


「果吉ちゃんの報告にあったキジマ。消すにゃ?」

「さあな。所詮ヨウマのおまけに過ぎん。どこかで死ぬだろう」

「ダバラというのもいたよ」


 鄭目が付け加えた。彼はオレンジ色の髪をオールバックにしていた。猫背で、何かを抱え込んでいるようにも思える。


「新しい七幹部だったな。大した者ではないのだろう?」

「まあね。次は殺せると思う」

「ならそれは任せる。エルアウス、唐版士、お前たちが核だ。私は都合上あまり積極的に動けん」

「Okay」

「おうよ!」


 威勢のいい返事を聞いて、鉄傑は二度三度と頷いた。


「今日の会合は以上とする。来てくれたこと、感謝する」


 彼が礼をすれば、皆返した。朧花と果吉の喪失は、決して小さなものではない。戦力的にも、心情的にも。だがそれは終わりではない。


(なんとしても成し遂げなければならない)


 言語魔術師の楽園を作る。迫害されたあらゆる言語魔術師のために。


 各々立ち、去っていく。ここは屋敷ににいくつかある離れの一つ。結界によって外に声が漏れないようになっている。それを利用して、会合以外の使われ方もしていた。


「今日もスるにゃ?」


 一人残った火増がセーターを脱ぎながら訊いた。答えはわかりきっていた。鉄傑は黙ったままその胸に指を這わせる。そして押し倒し、強引に口吻をする。そうして、愛を貪った。





 冬季のフロンティア7はよく冷える。平均最高気温は5度と低い。雪も多く、雪掻きを怠ればたちまち閉じ込められてしまう。ヨウマの住むアパートは大家の若い息子が率先して行っているお蔭で、外出に苦はなかった。


 そんな雪の降りしきる昼間、赤い半纏の優香はリビングの炬燵で課題をやっていた。


「何やってるの?」


 部屋から出てきたヨウマが問うた。


「複素数……将来使うのはわかるけど……」


 ぶつぶつとした声で発せられた続きを、ヨウマは聞き取れなかった。


(複素数、なんだっけ?)


 そう思った彼だが、問いを重ねることはやめた。集中している優香を見ていると、そんな気持ちになった。


 優香は理系らしい、ということを彼は知っていた。情報系の大学に進んで、人工知能とやらの研究に携わりたいのだという。一片も理解できないことだが、だからといってそれを阻害する理由はない。夢があるのはいいことだとジクーレンも言っていた。


 ユーグラス警備会社の採用試験は、高校卒業程度の学力と相応の身体能力が求められる。が、教育にあまり関心のなかった歴史を踏まえて、採用試験を受けるにあたって学歴は問われない。実際、ヨウマは中学在学中に採用試験の勉強をして合格したのだ。だが1年もすれば何を学んだのかはすっぽり抜けてしまった。


 ナピに徹底的に仕込まれたあの日々を思い出す。学校から帰ればそれを大きく追い越しての勉学が課された。それがヨウマを優等生たらしめたことは事実だが、あまり良い思い出ではなかった。


 椅子の一つに座る。洗い物を終えた深雪が向かいに座った。


 黙ったまま、頭の中で唐版士を思い起こす。次に出会った時どう戦うかをシミュレーションしていたのだ。長巻の齎すリーチの有利を覆すには、イニ・ヘリス・パーディの力が不可欠だ。しかし、それは同時に自身にタイムリミットをかけることになる。式神を影に隠す戦法も対策せねばならない。


 何がどうできる、という具体的なことは浮かんでこない。それでも影を踏まないように気を付けようということは決まった。


(もう少し魔術を使って攻めるべきかな)


 脳天を一撃で貫けば、それで終わる。可能かどうかは別として。


「あ、あの、ヨウマさん」


 深雪が視線をあちらこちらに揺らしながら言った。


「今日の晩御飯は何がいいですか?」

「さっき食べたばっかりだしな……」


 背凭れに体重を預けたヨウマのポケットで、携帯電話が鳴った。出動だった。

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