吹雪いていた。視界は真っ白に染められて、1歩進むだけで体力が削られていく。そんな中でヨウマはとある2階建ての家を前にしていた。ブロック塀の向こう側、屋根に雪を乗せたその建物は、暗い雰囲気に包まれていた。
「ここ、か」
その隣にはキジマ。ガラス戸は血で濡れている。パトロールカーのサイレンが喧しく響く。扉に手を掛けたヨウマだが、それの動かないことに顔を顰めた。
「キジマ」
「おう」
呼ばれたキジマは身体強化の乗った蹴りで扉を吹き飛ばした。そこで待っていたのは頭のない女ニェーズの死体だった。エプロンを付けていた。
「どこにいると思う?」
キジマが尋ねた。
「2階かな」
鋭敏な第6感がそう告げる。血液がべったりと付着した階段を足音を慎重に登っていくと、下品な笑い声が聞こえてきた。
「
「さっき派手な音もしたしな。そろそろ来る頃だ」
それを聴いた二人は駆け上がり、そこにあった戸を蹴破った。
「
「3日ぶりだね」
ヨウマは言いながら刀を抜いた。そして次の瞬間には走っていた。唐版士が得物を構えるより早く、エルアウスを蹴り飛ばした。窓を破り、その向こうに落ちていくのを認めてから、残る方を向いた。
「キジマは落ちたのをお願い。僕はこいつをやる」
「任せたぜ」
キジマがいなくなり、二人になった子供部屋。10歳くらいだろうか、二段ベットの前には背丈180センチほどの子供のニェーズが、切り開かれた腹から内臓を引きずり出されて死んでいた。
「なんで亜人がそんな嫌いなわけ?」
「俺は下らんヤクザだったんだが、ちょっと亜人を脅かしたら弟分を殺されてな。理不尽だと思わねえか?」
「理不尽なのはそっちだよ」
それで会話を打ち切って、斬りかかった。黒刃が白刃を打つ。電燈の生む影の位置を把握しながら防御に徹する相手を、ヨウマは苛烈に攻め立てた。
イニ・ヘリス・パーディの力も惜しみなく解放し、苦し紛れの突きをすり抜けて足払いをかけた。あとほんの僅か、というところで唐版士は飛び上がってそれを避け、ヨウマの頭上から長巻を振り下ろす。
それも容易く見切って、喉を狙うヨウマ。その右足が、影を踏んだ。抜かった。そう思った時には遅かった。大きな手が足首を掴んで動きを止めた。そこに迫る、重き刃。受け止めて、押し合う。
「早く死ねよ! 糞ガキ!」
唐版士は容赦なく攻撃を加える。その最中でヨウマは拘束を脱する方法を探していた。ダバラの報告では、彼奴の式神の肉体は簡単に斬れるのだという。ならばそれを試したいが、その隙を敵は与えない。よくわかっている奴だ、と少し褒める気にもなった。
何度も長巻の刃を弾いていると、段々と手の感覚がなくなってくる。ケサンも減ってきた。動体視力が落ちているのを感じるのだ。
(保ってあと5分だな……)
燃費の悪さはイニ・ヘリス・パーディの弱点だった。
「そろそろ終わりにしようぜ」
「そうだね、僕も疲れてきた」
ゴキッ。嫌な音が下から聞こえてきた。足首の辺りの骨を折られたのだろう。だがやることは変わらない。
唐版士は銃の形を作った左手をヨウマに向ける。その意図を理解したヨウマも、左手を突き出した。
「空の鳴動」
「捩れて歪んだあの日の希望」
「黒雲を切り裂く一筋の光明」
「ここにあったはずの明日」
「天を打ち砕く確かな一撃」
「それでも終わりへと進め」
「震霆!」
「終閃!」
二つの雷が正面から衝突した。相殺し、喰らい合う光と光。勝ったのは、ヨウマだ。極めて高密度に圧縮されたエネルギーが、唐版士の右肩を消し飛ばす。それでも彼は止まらない。落下する長巻を左手で掴み、乱暴な刺突を繰り出す。首への直撃コース──しかしそれはブラフだった。首を傾けて躱したその刹那、背中に激痛。蹌踉した彼は、頭を掴まれる。体が反転した直後に、熊に押し倒された。
馬乗りの姿勢から、一方的な殴打。殴打。殴打。頭が潰される──ヨウマは確信した。熊がダブルスレッジハンマーの予備動作に入った瞬間、彼は刀を握りしめ、その胸を刺した。途端、崩壊する大熊。そこに襲い来る、唐版士。血を流す顔面でヨウマはしゃがみ込み、横薙ぎを躱した後一気に体を持ち上げ、心臓を貫いた。
勝負はそれで決した。唐版士は血まみれの床に仰向けに斃れ、手から離れた長巻が空虚な音を立てて転がった。しかし立てないのはヨウマも同じことだ。右膝をつき、荒い呼吸をする。
「キジマ、大丈夫かな……」
呟きながら左胸に掛けられた無線機で救急車を呼ぶ。顔は酷く腫れて、不細工だった。
◆
時は少しばかり遡る。エルアウスが突き落とされたその直後のことだ。
「君の
2階から落ちたというのに彼は不敵な笑いを浮かべていた。返事はせず、キジマはナックルダスターの嵌められた拳を構える。
「限りなき黒。満たされぬ器。虚ろなる心。現れよ、呪怨の梟」
エルアウスの影から黒い梟が現れる。
「
梟がキジマに近づいて、炎を吐いた。彼は前進してそれを避け、風の刃を纏った拳を突き出す。外れた。だが頬まであと1寸というところを過ぎていった刃はそこに切り傷を残した。
「
右手で血を拭い、左腕に梟を止めながら言う。
「君の
キジマは返答をしないまま右ストレートを繰り出した。梟が間に入って、止めた。強引に押し切ろうとする彼だが、梟の翼はまるで鉄のカーテンだ。
それでも臆せず、何度も拳を叩きつける。破壊を恐れたエルアウスが剣を抜いて梟を肩に乗せた。上からの斬撃をキジマは甲殻で弾いて、愚直なほど真っ直ぐに攻撃を繰り返した。
風の刃を消す。全身にケサンを巡らせ、動体視力と思考速度、そして脚部を集中的に強化する。エルアウスの斬り上げを半身で躱して、その腹に拳を叩き込む。浮き上がった体から出てきた吐瀉物がキジマの頭にかかった。
そして着地と同時に足を踏みつけ、顔面に一撃。頬骨を割った。
「これで……止めッ!」
身体強化に回していたケサンを右拳に集め、流し込む準備をする。だが、エルアウスの右手に梟がいない。体を止め、右へ左へ目を動かす。間一髪、視界の端から離れた炎を腕で受けた。そのまま風の刃でそれを掻き消し、再び敵に向かう。
その僅かな時間に、エルアウスは攻撃の姿勢をとっていた。剣先が鼻を掠めていく。梟が飛来して視界を遮る。うざったく思ったその時、鋭い痛みが右胸を襲った。深々と突き刺さっているのは、銀色の剣。ゆっくりと引き抜かれた後、キジマは崩れ落ちた。
「唐版士!」
エルアウスは相棒の名前を呼ぶ。返事はない。
「そうかい……」
ツーッ、とその血の流れる頬を涙が伝った。
サイレンの音が増える。吹雪の止んだ道を、装甲車が走っていた。
「
梟を消し、剣を納め、右手の人差し指と中指を立てる。すると、消滅した。初めからそこにいなかったように。
◆
「いやあ、お互い思った以上に大変だったな」
バスの中、ダウンコートのキジマが隣に座るヨウマに向かって言った。あれから2日。ヘッセによる治療で腫れていた顔も元に戻った。冬休みに入った街は学生で賑わい、車の中も地球人が多かった。一方でニェーズの姿は少ない。
「でも終わってない。多分、エルアウスはキレてるよ」
「そうだな。いつ復讐に来るかわかんねえしな」
ガタン、バスが揺れた。
「召喚術で逃げるの阻止できねえかなあ」
雪の積もった街並みを眺めながらキジマは呟いた。
「魔術を封じる結界もあるけど……必要な魔力を考えたら無駄らしいよ」
「なるほどなあ」
会話は鈍行的だ。ゆったりとした空気が二人の間に流れる。流れてくるコマーシャル。
「結婚はYASHIRO!」
まだ縁のない言葉をヨウマは聞き流す。
「もし僕が死んだらさ──」
ふと思いついて、そんなことを口にした。
「やめろよ。考えたくねえ」
視線を窓の外に向けたままキジマは言った。
「俺の眼が黒いうちは死なせねえよ」
「わかった。やめとく」
深雪を頼む、と言いたかった。だが、いや、やはりと言うべきか。そのような託し方はあまりにも無責任だ。
「今日うち来る?」
「お、いいな。邪魔させてもらうぜ」
キジマが来る、と深雪にメッセージを送る。時刻は15時半。既に日は傾き始めている。鶴瓶落とし、なんて言葉をヨウマは思い出した。
「オパラさんに訊くって言ってたやつ、どうなった?」
「銃の話?」
「ああ」
「んー……特に収穫はなし。ゲートの反応があったわけじゃないから、裏切者が色々したっぽいのはわかったんだけど」
「またそれか。とっとと見つけ出して豚箱にぶち込んでほしいぜ」
「ほんとにね」
ガラスの向こうでは雪が降り始めた。静かに、降り積もる。雪は嫌いでない。それはヨウマの感情だ。大家の息子がやってくれるから雪掻きの苦がない、というのが大きいのかもしれない。ただ、音を吸い込むような白い物体が愛おしいように思えるのだ。
「スパイ、かなり深いところに食い込んでるのは確かだ」
こちらを向かないキジマに、ヨウマは話しかける。
「いつ見つかるか賭けるか?」
「賭博は違法だよ」
「へいへい、わかってますよ」
ようやく彼はヨウマを見た。通じ合った証か、拳を突き合わせる。
「居住区前、居住区前~」
覇気のない声が到着を告げる。窮屈な通路をすいませんすいませんと言いながら通って、降りた。
「じゃ、晩飯の時に呼んでくれよ」
「うん、じゃあね」
ブルルッ、とキジマの体が震えたのをはヨウマは見た。雪は強くなる一方だ。
(僕も雪掻き手伝おうかな)
思い付きを胸に抱えながら、彼も歩き出した。
その日の夕食はすき焼きだった。IHコンロの上でグラグラと煮える鍋に、
閑話休題。肉を取ったヨウマは鶏卵に付けてそれを口に運ぶ。
「ちゃ、ちゃんとふーしなきゃだめですよ」
「大丈夫だって──熱っ」
やり取りをキジマは笑顔で見ていた。角のこともすぐに受け入れてくれたこの場所が愛おしかった。そのためなら、命を賭けられる。