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第58話:ダーシーとの語らい

 毛布を切り取って籠の中に作った寝床に、メイブはちょこんと座っていた。

 本来はネコが寝床にするようなものである。

 ダーシーが用意してくれたようだ。


(はあ…、わたくしめはこの部屋から出ることができません。どうも”不平等を愛する魔女”の封じ込めの結界が張ってあるようです)


 室内をぐるりと見回し、メイブは切なくため息をつく。使う魔法は全て結界に吸収されて不発に終わる。かなり強力な〈領域〉ドメインだ。


(腐っても最古参の魔女の一人…。お元気な時のご主人様なら軽く破れますが、今はお身体の調子が戻っていません。トロータしゃんやブランディーヌしゃんに助けを求めるのも難しそうです…困ったのですよ)


 主と魂を共有する使い魔は、主の体調の影響を多少なりとも受ける。

 ロッティが本調子でない今、メイブ自身の魔法も出力が落ちていた。近くにいそうな魔女に救援を出す魔法も、結界に阻まれてしまっていた。

 温かな熱を発する暖炉に顔を向ける。とても豪奢な部屋だった。

 アディンセル王国は一年の大半を雪に閉ざされている。その為室内で過ごす時間が多いことから、内装がとても発展していた。

 壁紙や家具も細工が美しく、貴族や富裕層の屋敷は凝ったものが多い。


(ここは”不平等を愛する魔女”の屋敷でしょうか。”不平等を愛する魔女”は拠点を持たない魔女だと思っていましたが)


 ロッティのように『癒しの森』を所有し拠点にしている魔女や、”霊剣の魔女”モンクリーフのように人間の所有物を拠点にしている魔女もいる。

 ”不平等を愛する魔女”が拠点を有している噂は聴いたことがなかった。

 連れてこられて目を覚ました部屋は、とても薄暗かった。今いるこの部屋は、子供部屋のような内装をしている。そして『六花の聖夜りっかのせいや』の装飾品オーナメントも豪華に飾られていた。


(ご主人様の小屋おうちにも、そろそろ『六花の聖夜りっかのせいや』の飾りつけをしなくちゃですのに。こんなところで捕まっている暇などないのです。でも…)


 脳裏にダーシーの暗い表情かおが浮かぶ。


(ダーシーしゃんが心配になってしまったのです。あんなに傷つき疲れ果てた心を、わたくしめは初めて見たのですよ。それに、暗く禍々しい色さえ感じました。

 ”不平等を愛する魔女”めは、一体何を企んでいるのでしょう。『ヴォルプリエの夜』がどうのと……あ)


 『ヴォルプリエの夜』のことを思い出し、メイブは跳びあがった。


(ご主人様に早く『ヴォルプリエの夜』のことをお教えしなくてはいけませんのに!)


 1000年に一度訪れるという、魔女にとって特別な日。それが近づいている。

 ロッティの親友”覆しの魔女”アデリナ・オルネラスを助けられかもしれないのだ。


(ああ…、フィンリーしゃんが知らせてくれているかもしれませんね)


 ちょっと慌てたが、フィンリーのことを思い出して落ち着く。


(フィンリーしゃんは、無事に『癒しの森』に辿り着けたでしょうか。大丈夫ですよね…)


 静かにドアが開く音がして、ダーシーが戻ってきた。


「メイブ、お腹空いてるでしょ」


 ダーシーの手には、沢山のクッキーが盛られた皿がのっていた。


「ぴよ!」

訳:[ナッツ入りクッキー!]


 香ばしい匂いですぐ判った。


「これは私が焼いたものだから、安心して食べていいよ」


 籠の中で立っているメイブに、ダーシーはクッキーを差し出した。


「ぴよ」

訳:[ありがとうなのです]


 メイブは素直に受け取ると、パクッと食いついた。

 ちょっと砂糖が多かったが、とても美味しくてパクパクと平らげてしまった。


「もっと食べてね」


 ダーシーはメイブを掴んで、クッキーの皿に置いた。

 空腹だったので遠慮せず5枚も食べて、メイブは小さくゲップする。


「ぴよぴよ」

訳:[ダーシーしゃんは、お菓子作りがうまいですね]

「ありがとう。料理の手伝いもいっぱいしてたから、大体の料理は作れるの」


 感情を削ぎ落したような声音だったが、肌色の悪い顔には小さく笑みを浮かべていた。


「他にも食べたいものがあったら言ってね、作るから」

「ぴよ~」

訳:[紅茶が飲みたいのです]

「ああ、飲み物…用意してくるね」


 ダーシーは立ち上がり、慌てて部屋を出て行った。



* * *



 陰気な雰囲気を纏っていたから、てっきり無口なのだとメイブは思っていた。しかしダーシーは相変わらず感情が削げたような声だったが、色々と質問を飛ばしてくる。


「メイブのご主人様って、何をしている人なの?」

「ぴよぴよぴよ、ぴよぴよぴよ」

訳:[ご主人様は”癒しの魔女”で、普段はお薬を作って街の薬屋さんへ卸したり、依頼があれば出向いて治療したりしているのですよ]

無料タダで治療してくれるの?」

「ぴよ」

訳:[もちろん]

「へええ…」


 心底感心したようにダーシーは目を瞬いた。


「無料で治療してくれるお医者さんがいるんだ」

「ぴよぴよ」

訳:[ご主人様は魔女で、お医者ではないですよ]

「そっか」


 ダーシーは茶色いチョコレートにコーティングされたドーナツを手に取った。


「ご主人様はお料理できるの?」

「ぴよぴよ!」

訳:[大得意なのですよ!わたくしめはご主人様にお料理を教わったのです]


 えっへんと胸を張った。


「良いご主人様にお仕え出来て、メイブはイイね。私のご主人様は最低だった」

「ぴよ…」

「もっと小さい頃はね、ご主人様は私のお父さんだから「お父さん!」って、抱き着いて甘えてみたかったの。頭を優しく撫でてほしかったの。「ダーシー」って名前を呼んで、そして笑いかけてほしかった」


 ダーシーは手にしていたドーナツを、いきなりブンッと勢いよく投げ捨てた。

 ドーナツは壁に当たり、溶けた部分のチョコレートが壁紙にこびりついた。そしてドーナツはコロコロと床を転がった。


「私もね、あんな風に蹴り飛ばされたり、殴り飛ばされたりして壁にぶつかったの。そしたらね、血が壁紙についちゃって、掃除させられたのよ」

「ぴよ…」

訳:[ダーシーしゃん…]

「私のせいじゃないのに、うんと怒られるの。残飯のご飯だってもらえなくって、何日もひもじい思いをして。

 とばっちりを受けるのがイヤで、他の使用人たちの誰も私に優しくしてくれなかった。でもしょうがないよね。ご主人様たちに逆らったら、お屋敷から追い出されちゃうんだもの」


 ダーシーは立ち上がると、投げたドーナツを拾い、壁紙についたチョコレートをドレスの裾で拭き取った。


「リリーは怒らないと思うけど、もう誰にも殴られたくない…」


 肩を落とすダーシーを見て、メイブは俯いた。


(『心を癒す』固有魔法を使ったところで、ダーシーしゃんの心の傷は、そう簡単には癒えないでしょう…。安心できて安全で、優しい大人が傍についてて守ってくれて。

 時間をかけて、じっくりダーシーしゃんとお話を繰り返して、ゆっくり癒してあげないと。無理強いは逆効果になってしまうのです)


 悲鳴すらもう力を失い、しかし助けを欲している傷ついた心。

 どうやればあそこまで深い傷を、負わせることが出来たのだろう。魂まで傷が届いている。想像もつかないくらい、残酷な所業だ。

 すぐに癒してあげられない己の不甲斐なさに、メイブは忸怩たる思いに沈んだ。


(助けてあげたいのです、本当に。心からそう思います)


 ダーシーは戻ってきて椅子に座ると、手にしていたドーナツに齧りついた。


「ぴよ!」

訳:[汚いですよ!]

「大丈夫よ。こんなにきれいな床に落ちたものだし。私のご飯はいつも、生ごみとか残飯とか、汚い床に落ちたものとか、そういうのが主食だったから」


(ロナガン伯爵とやら…地獄で成敗されてしまえばいいのですよ!もう死んじゃってますが)


 メイブはダーシーの肩に飛び乗って、ダーシーの頬に頭を押し付けた。何故かそうしてあげたかった。


「メイブの頭、ふわふわだね。くすぐったい」

「ぴよ」


 メイブはちょっと考えたが、やや遠慮がちにダーシーの頬に頭をスリスリした。


「羽毛がつるつるして、気持ちいいね」


 感触を楽しむように、ダーシーは目を細めた。

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