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156. 恐れていた瞬間

「ふぅ……、ビックリしちゃうわよね……」


 囁くような独り言が、静寂の中に溶けていく。幽遠ゆうえんな闇の向こうで、運命の歯車が音もなく回り続けていた。


 ヌチ・ギたちの猛威もういに抗うすべを持たぬ非力な自分に何ができるのか? 彼らの放つ異形いぎょうの力を、この身一つで防ぐことなど到底できない。神殿には幾重もの結界が張り巡らされているはずだが、それとていつまでも持ちこたえられるとは思えない。


 レヴィアから託されたのはただ一つ、火山の噴火を引き起こすボタン。しかし、この切り札は本当に効果を発揮するのだろうか? 炎の海と化すことをいとわぬ彼らに、劇的に効くとは思えない。もちろんレヴィアの仕組んだ噴火なのだ。直撃させれば致命傷となるかもしれないが――――。火口に誘い込み、動きを止める。そんな都合の良い機会など、自分一人でどうすれば作り出せるというのか。


 ドロシーは立ち上がると、迷いに揺れる心を振り払うように両手で頬を叩いた。


「私だけなんだから、頑張らなくっちゃ!」


 キュッと口を結ぶと腕を組み、ブンブンと首を振るドロシー。銀髪が揺れる――――。


 世界の未来と、愛するユータのために必死に思考を巡らせていく。


 その時だった。突如として大地が咆哮ほうこうを上げた。


 激震が神殿を揺るがし、パラパラと洞窟の上の方から破片が降り注ぐ――――。


「キャーーーー!」


 ドロシーは悲鳴を上げながら椅子にすがりついた。足下の大地が、怒りに震えているかのようだ。


「ドラゴン! 出てこいっ! そこにいるのは分かってんだ!」


 火口を取り巻く外輪山のいただきから、容赦なき声が轟く。


 モニターの映像が自動的に拡大され、ヌチ・ギの姿が浮かび上がる。その背後には五人の戦乙女ヴァルキュリ峻厳しゅんげんな面持ちで控えていた。


 ついに来てしまった――――。


 ドロシーは震える手で頭を抱え込む。


 心の底から恐れていた瞬間がやってきた。世界の命運を決する防衛線の火蓋が、今まさに切られようとしている。しかし、武器は火山の噴火ボタンだけ。まさに絶体絶命だった。


「どうしよう……」


 囁きが、虚空に消えていく。


 しかし――――。


 今この時、最後の砦に立つのは自分なのだ。誰も代わりはいない。


「おい! 無視するなら火山ごと吹き飛ばすぞ! ロリババア!」


 ヌチ・ギの嘲罵ちょうばが、冷たい風と共に神殿に降り注ぐ。


 ドロシーは深く息を吐くと、凛然りんぜんと立ち上がる。迷いを捨て、覚悟を決めた瞬間だった。今こそ、自分にできることを――――。


「あら、ヌチ・ギさん。美女さんをたくさん引き連れてどうしたんですか?」


 火口の上に浮かび上がったドロシーのホログラムは、毅然とした態度で問いかけた。


「おい、小娘! お前に用なんかないんだ! さっさとドラゴンを出せ!」


 苛立ちをにじませる声が、火口内に反響する。


「んーーーー、ドラゴン……ですか? どちら様ですかねぇ?」


 ドロシーは平静を装いながら、必死に時を稼ぐ。震える指先を、相手に悟られまいと懸命に抑え込む。


「何をとぼけてるんだ! レヴィアだ! レヴィアを出せ!」


「んーーーー、レヴィア様……ですね。少々お待ちください……」


 ドロシーは席を離れ、静寂に包まれたポッドへと足を向けた。


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