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第62話:きらきらと

 時の流れがいきなり遅くなったかのように、ゆっくりゆっくりと崖上が離れていく。


 その内、意識が遠のいて目の前が真っ暗になって――――。



「―――! ―――れ!!」



 声が聞こえた。

 彼女の名前を呼びながら、躊躇なく崖を滑り降りてくる変な人間の声が。


「捕まれッッッ!!!」


 半ば無意識にユユが伸ばした手を、グラッドはしっかり掴んでから自分の方へと体ごと引き寄せた。


「離すなよ!」


 そう叫んだグラッドは準備していた槍を岸壁に深く突きさして急ブレーキをかける。ガリガリと岩肌を削る硬い音が響くが、槍は決して折れることなく二人を支え続け――――なんとか踏みとどまる。


「……ふぅ~~~、危ない危ない」


 ほっとした声を出しながら、グラッドが近くにあった太い木へと乗り込む。

 ようやく得た足場の安心感は、さっきまで落ちていたせいでより大きなものとなった。


「ユユ、おいユユ」

「…………」

「もう大丈夫だぞ。こっから登る必要はあるが、落下する心配はなくなったからな」

「なんで……来たの?」


 彼女が発した第一声は、助けてもらった者がするにはそこそこ辛辣に聞こえたかもしれない。

 それでも“信じられない”と書いてあるその表情を見たのなら、別に嫌味が言いたいわけではないとすぐに気づける。


 だからグラッドは素直に返した。


「一緒に居た奴が崖から落ちかけてたんだぞ。助けに行くに決まってるだろ」



 何気ない言葉。

 グラッドにとっては当たり前のものだったソレが、ユユの胸の内を大きく揺さぶった。



「……自分も死ぬとこだったでしょう」

「生憎と不老不死の呪いをかけられた身でね。一番下まで落ちたところで死なないさ」


「だからって……」

「何か理由がないと納得できないっていうなら、お前が崖から落ちるような目に遭ったのがオレのせいだからって事にしておけよ。さっきの口論がなきゃ、心配して追いかけることもなく、今頃は焼いた肉を喰ってたんだから」


「………………それは、そうかもね」

「そこは少しぐらい否定してもいいんだけどな……まあいいか。ほら、さっさと登って引き上げてやるから、離してくれ」

「離す?」

「掴んでる手を、だ」


 視線が下りた先では、ユユの手がしっかりとグラッドの服を握っていた。

 捕まれと指示された時からずっとだったため皺がよってしまっている。ユユは慌てて手を解いた。


「う、上にはモンスターが居るはずよ。あたしはそいつらに落とされたんだから」

「六本足のヤツなら倒したぞ。邪魔してきたんでな」

「いつの間に……」


 グラッドがあのモンスターに負けるとは思わないが、少々時間はかかるはずだ。なのに彼の口ぶりからは雑魚を倒した程度のニュアンスしか感じられない。


「でも、そうか。ユユを崖に落とした奴らだったなら倒して正解だったな。匂いで追いかけてこられても厄介だし」



 あえて大きな笑みを作りながら、グラッドが続ける。



「仲間に手を出すような輩は許せないからな」



 ユユははっと息を飲んだ。

 目の当たりした笑顔が切っ掛けとなって、母の教え――その続きが蘇る。



『出来なかったとしたら――――』

『その時は、何の躊躇もなく、損得に関係なく、誰かのために動く――そんなお人好しで……あなたを大切にしてくれる者を頼るといいでしょう。あなたのお父さんのような、ね』



 孤独の闇を携えていた瞳の奥に、木漏れ日のような光が灯る。

 降り続いていた雨はよほど気まぐれだったのか。ゆっくりと止んできて、雲間か

ら太陽が覗きこんでいた。


 薄暗かった崖の谷間が、きらきらと綺麗に輝いている。

 そのきらきらは何故かグラッドの周りでより強く煌めいているみたいだった。



 大した時間も書けずに崖下から脱出したあと。

 グラッドに背負われながらユユは拠点への帰路を戻っていた。登った後になって、実は足を痛めていたのが発覚したからだ。


「村で傷薬を買ってるから、戻ったら使ってやるよ」

「……迷惑をかけるわね。足が治ったら薬草を採ってきて倍で返すわ」


「…………ええっ?」

「なによ」


「いや、お前は人に謝れない性質だと思ってたから驚いたんだ」

「あまりに不愉快なんだけど?」


 ゴンゴンと軽い拳骨を頭に落とすと、ちっとも痛くなさそうな抗議が返ってきた。


「いて、いて。それが恩人にする態度か」

「あんたが変なこと言うからでしょ。この変人め」

「いいぞその調子だ。そっちの方がユユらしい」

「……ふんっ」


 どっと疲れが出てきて、ユユは抵抗することもなく身体を大きな背中に預けた。以前の彼女であればもっと拒否反応が出る行為なのだが不快にならない。むしろその逆だった。


「……あ……ありが、とぅ」

「ん、なんか言ったか?」


 絶対に聞こえているはずなのに、グラッドは聞き逃したかのように問い返した。天然か意地悪なのか、あるいは人間嫌いを気遣っての行動なのか。ユユには分からなかった。


『分からないことは分かるものから学びなさい。強くなるためには、強いものから学びなさい』


 これも母の教えのひとつ。

 身体を預けている人間は、どちらも満たしているだろう。


(こいつから学ぶのは、ちょっと気に入らないけど……利用するって思えば我慢してもいいか)



 素直になれない魔族の女。

 その心境に大きな変化が生まれていることを、彼女自身がまだまだ自覚していなかった――。

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