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第61話:大事な教え

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 住居跡の前で火を起こして食事の準備。

 大きな獲物が手に入ったので量を気にせず食べられるのが嬉しいのか、ユユはウキウキしながら串に肉を刺していく。

 そんな折、グラッドから切り出した話があった。


「作業しながらでいい。話しがあるんだ」

「お肉の分ぐらいは付き合ってもいいわ」


「村で起きた揉め事の件だが、ああいうことは必要以上にするな」

「…………はあ?」


 さっきまで食事前の和やかだった場の空気が――ピリッとしたものに変わってゆく。

 ユユの眉間にしわが寄り、切れ長の目が細まった。


「ぶつかった男をぶっとばした後、倒れて動けなくなった相手を殺しかねない勢いだっただろ」

「…………」

「脅すにしてもやりすぎだ。あんだけ恐怖を味わえば余計なことをするとは考えにくい」

「あたしが悪いって言いたいの?」

「そういう話じゃない」

「そういう話でしょ?」


 ピリピリした空気が広がっていく。

 二人からさほど離れていない木の上に居た小動物がこぞって逃げ出していった。


「何? 同族の人間を傷つけられてムカついた? あんたは自分が襲われてもそこまで怒ってなかったはずだけど、一体何がそうさせるのかご教授してもらえるのかしら?」

「……人間と魔族の関係が悪いのは知ってるがな」


 グラッドは悪いと表現したが、少なくともユユにとっての世界における人間と魔族はそんなものでは済まない。敵対してるのはしょっちゅうだし、やってはやり返しの強い憎しみを抱くケースも不思議に思わない。過激になれば相手の根絶を望む者だって十分にあり得る。


 そういう意味ではユユは比較的穏健派に属するが、それだって人間側からすれば脅威に映る。自分より強い相手を、その気になればいつでも殺せるのでは? そう思えてしまう者を恐れるのは自然なことだ。


「大した理由もなく相手を害すると、それは自分に返ってくる。怪我をするのは痛い。死ぬのはもっと痛いし怖い。だから当たり前のように憎しみや恐怖をばら撒くのは良くない事なんだ」

「…………ワケがわからない。結局は強いあたしに――魔族は人間を傷つけるなって言いたいんじゃないの?」


「違――」

「違わないでしょうが!!」


 大声を上げて立ち上がった際にガシャン! と近くにあった器や肉がひっくり返った。


「どうせあんたも人間側に立つんでしょ。そうよね、魔族なんて信用できないもの。あの男の方からあたしにぶつかってきて、腕を痛めたからちょっと付き合えなんていう馬鹿な口を黙らせたって信じないんだ!」

「信じてないわけじゃない」


「じゃあなんで?」

「何度でも言ってやるよ。やりすぎるなって話しだ」


「意味が分からない。……あーあ、やっぱりあそこでトドメを刺しておけばよかった。今からでも引き返してやっちゃおうかしら」

「笑えない冗談は止めろ」

「…………止めさせたいなら止めてみなさいよ。あんたがその気になれば出来るんじゃない?」

「………………」


 グラッドは押し黙った。

 ユユの挑発するような言動を受けても、傍に置いてある槍に手をかけることすらしない。

 代わりに、じっとまっすぐにユユの顔を見つめている。少しの悲しさと哀愁を漂わせる視線は彼女の怒りをわずかに増幅させたが、それよりもずっと強い罰の悪さと嫌なもやもやを生み出していた。


「……ッ、あんたはやけに変わったヤツだと思ってたけど、やっぱり普通の人間と

一緒みたいね」


 そう吐き捨てて、魔族の女はその場から歩き去っていく。

 ――逃げ出すように。


「おい! どこに行く気だ!」

「あたしの勝手でしょ!!」


 ユユは、とにかくその場から離れたくてたまらなかった。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



(むかむか……むかむかむか……ああーーー、ムカムカする!)


 腹立たしさと不愉快さを紛らわすように、近くにあった背の高い植物に鎌で八つ当たりをする。そんなもので気分は晴れないが、そうせずにはいられなかった。


 何に怒っているのかが理解できない。

 グラッドに怒っているのは間違いない。ただ、何故か自分に対しても怒りを発する己がいた。


 その理由が『弱い人間が自分に指図をしたから』にあると初めは思った。

 人間風情のグラッドが、強い魔族の自分に対して生意気なことを口にしたからだと。

 付け加えるなら人間より長生きな魔族であるユユは、グラッドを見かけの若さから自分より遥か年下だと認識しているのも拍車をかけている。例え相手が完全に正しかろうと子供から諭されれば納得はしづらい。


 ただ……うろついている内に、違う感情が生まれていた事実に気付いた。

 上手くまとまらない。素直に認められない。自分の頭がおかしくなったのかと思ってしまう。


 ――魔族のユユハディ・アカム・ナハトは、人間のグラッドが自分の側に付かなかったことを悲しく感じている――。


(……あり得ないわ)


 そんな気持ちを人間に抱くのはこれまで一度もないし、それはこれからもである。

 あるとすれば人間だからではなく、非常に認めたくはないが自分より強い者だからだ。強者が敵になるのは損しかなく、最悪の場合は生の終わりに繋がる。

 自身に芽生えた小さなナニカを、ユユは弱肉強食の教えでもって納得させていく。


 その内に、ぽつりぽつりと頭に何かが落ちてきた。


「うわっ……降ってきた」


 見上げた空の色が黒く染まっていくにつれて雨の量が増えていく。

 変わる天気を察知したユユは、外套を着こみながら近くにあった大木の下に駆け込んだ。


 雨足はすぐに強くなっていったため、彼女はしばらく木を背に両膝を抱えて座り込む。気温が低くなったのか、多少濡れた影響か。少しだけ寒くて……その感覚が、まだ自分が一人ではなかった昔を思い出させてしまう。


 ――あの日も雨が降っていた。

 子供のユユは母親に抱きすくめられながら、大事なお話しをしてもらっていたのだ。


『ユユ、私の大事な娘。よくお聞きなさい』

『この世界は弱肉強食です。強くなければ生きる事はできません』

『あなたは強くなりなさい、とても強い者になりなさい。いつでも。どこでも。どんな時でも。一人でも生きていけるように』

『もし、それが出来なかったとしたら――――』


「出来なかったら……なんだったかしら」


 他にもいくつか大事に話してくれた事があったはずだが、上手く思い出せなかった。何十年も前の話なので無理もないが、母の教えはユユに生き残るための道標となっている


 ただ今回のような不満を解消する方法は教えてもらっていない。

 そんな記憶は欠片ひとつも存在しなかった。


(あの後しばらくして、母は私の前から姿を消した……。今となっては死んでるのか、生きているのか……)


 もしもっと長く一緒に居たのなら――多くの知識を授けてくれたのか。

 考えるだけ意味の無いことではあるが、思い出したのなら何か意味があるのではと考え込むのもいいかもしれない。


 そう思った矢先。


「!」


 ユユは近づいてくるモンスターの重い足音を聞いた。

 既に補足しているのか、大きめの気配がまっすぐに近づいて来ている。


「いいわ、ちょうどむしゃくしゃしてたの。八つ当たり相手になってもらおうかしら」


 大木の下から離れて、比較的視界が確保できる開けた場所まで移動していく。


 獲物が逃げたと判断したのか。

 ユユを追いかけるために草木を破壊する音が激しさを増して、ちらちらと追ってくるシルエットが見えた。

 長くのびたナマズ髭と尾を持った大きな猫のようだが、足が六本あってスピードがあるモンスターだ。


 先手を取るように、ユユが走りながら光の矢を何本か放つ。

 モンスターは飛来物を軽やかな動きで回避したあと、的を絞らせないように左右にステップを踏み始めた。


「スピード勝負ってわけ? 生意気な」


 ならば避けられないような攻撃を撃てばいい。

 そう考えたユユが集中して魔力を高めると、視界の隅っこに黒いナニカを捉えた。


「ん!」


 振り向いた瞬間、追ってきた個体とは別の同型モンスターが牙と爪を光らせて飛びかかってくる。

 魔法をキャンセルして大鎌で迎え撃とうとしたが、奇襲に対して魔法を止めた分だけ少なからず反応が遅れてしまう。


 牙と爪は当たりはしなかったが、ほとんど体当たりを受けたような形でユユの華奢な体がふっ飛ばされてしまった。


「うっくッ!?」


 衝撃に呻きながら吹き飛ばされた先は斜面になっており、降っている雨でぬかるんだ土は下の方まで一気にユユを滑らせていく。体勢を立て直すために鎌を突き立ててもすぐには止まらない。


(まずい。この状態で上から追撃されたら……!)


 二匹のモンスターが飛びかかってくる軌道を予想しながら、目だけは斜面の上を睨む。そこには何故か立ち止まってじっと見下ろしている敵の姿があった。


 チャンスを逃したとしか思えない謎の行動を疑問に感じていると、不意に地面の感触が無くなった。


「え」


 彼女はすぐに気づく。

 自分の身体が放り出されるような形で宙に浮こうとしていると。


 斜面の先には見えていなかった崖が隠れており、高さは相当なものだ。下の方には川が流れているようだが、そもそも落下した時点で命が怪しい。


「きゃああああああああ!!?」


 反射的にブレーキをかけるために突き刺していた鎌をぎゅっと握りしめると、硬い石に当たったような感触がして、なんとか崖の先ギリギリで踏みとどまれた。


 運がいい。

 しかし、それも上に登れればの話だ。 

 ユユの全身は鎌を頼りに崖からぶらさがっているようなものなのだから。


「こっ、んのっ……」


 伸ばした手で岸壁を掴むと、ぼろりと脆かった部分が崩れて、破片が真っ逆さまに落ちていった。


(落ち着け、落ち着け。こんな笑えないやられ方があってたまるものか)


 なんとか這い上がろうと再チャレンジを試みる。

 だが、足場もなくぶら下がっている不安定な状態でやれる事は少なく、もたもたしている間にもズズズッとゆっくり鎌の刃が抜けていく嫌な感覚が止まらなかった。


 ほんの十秒にも満たない時間。

 体感ではその十倍はあった猶予の間、ユユは必死に脱出する術を探した。


「こ、っんなものーーーーーーー!!」


 大声だって上げるし、気合いも入れる。

 だが、無情にもタイムリミットは短すぎて。


 ――ガコッ。


(あ……)


 頼みの綱が外れた音と共に、今度こそユユは完全に投げ出された。

 こうなれば後は落下の衝撃に備えるしかないが、不意に高所から落下していく最中ではそれもままならない。


「――――やだなぁ」


 ユユの口から、素直な言葉が漏れた。

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