「貴方が人ならざるものであるとは、薄々感じておりましたモロルド国王。あの石兵八陣は、神か魔の血筋にある者しかできない芸当です」
「神か魔の血筋……?」
深く頷いた利発な青年提督は俺の手をしっかりと握る。
淫魔の子と蔑まれ、その出自から理不尽な扱いを受けてきた俺を、自分と対等の人間として扱ってくれた。
その目の端に涙さえ浮かべて。
そして――。
「カイン・モロルド! お前は、王に続いて犯してはならぬ、我が国にとって神聖なるものを愚弄した! その罪はもはやお前一人の死ではあがなえぬぞ!」
「ヒッ……ヒィイイイイッ!!!!」
彼は急に振り返るや、弟のカインを叱責した。
そのいかめしい形相にカインが哀れにもその場に小便を漏らす。
饐えた匂いが船長室にたちこめたかと思えば、トリストラムが弟の頬を張った。
どうも妙だ?
なぜそこまでする?
俺のために怒っている――というわけでは、どうやらなさそうだ。
ならば、いったい何にトリストラム提督は激怒したのか。
「なにを……なにをおっしゃられるのですか、トリストラム提督! そいつは、淫魔と人間の間に生まれた、我らの天敵なのですよ! 悪魔の同胞なのですよ!」
「黙れ! もしその言葉が本当ならば――我らが王国はこの大洋に、ここまでの版図を広げることはなかったであろうよ!」
「な、なにを……!」
「レンスター王国摂政――エムリスさまは、海の精と人の間に生まれた半妖だ! お前は国母とまで言われた閣下を、人ではないと侮辱するのか! 彼女が起こした奇跡によって、レンスター王国は何度危機を救われてきたことか! 今の国王――アルトリウスさまを見出したのも、エムリスさまの夢見の力だ!」
「ば……バカな! そんなバカな! エムリスさまが、半妖だなんて……!」
「知らぬのも無理はないだろうな! 田舎領主よ! いや……今はただの田舎者か!」
あまりに衝撃的な話だった。
未だ幼いアルトリウス王に代わり、国務の一切を取り仕切っている女宰相。
希代の魔術師と知られ、その呪いは海さえ越えると恐れられる大魔女。
エムリス閣下が、俺と同じ身の上だなんて。
『トリストラムの言った通りです。たしかに私――レンスター王国摂政エムリス・マーリンは、海の精を父に持つ半妖の身。いいえ、ここは取り繕うべきではありませんね。モロルドの王に習い、本当の素性を明かしましょう。私も淫魔と人の間に生まれた存在です』
どこからともなく声が響く。
聞いたことがない女性の声。落ち着き払いどこか冷たさを感じる声の主は、一度も会っていないのに、レンスター王国の女宰相だと俺を納得させた。
「旦那さま! どこからともなく声が! 千里を越えて届くとは、なんという仙術!」
「神仙たちに迫る強力な魔術です。なるほど、このような傑物が西洋にもいるとは」
妻たちも彼女の声を聞いたらしい。
あわてふためくセリンたちを横目に、俺はトリストラム提督と顔を見合わせた。
「そうか、それで私がサキュバスとの子と知っても、驚かれなかったのですね?」
「あぁ。エムリスさまの御業を、私は何度もこの目で見ている。石兵八陣も、彼女が造り上げるところを見ていた。まさか我が艦隊が餌食になる日が来るとは思わなかったが」
『私もです。まさか、この世に私と同じように、淫魔との間に生まれた人間がいようとは。もっとも、彼はサキュバスで、私はインキュバスという違いはありますが……』
海の向こうの女帝は、そう言うや気の抜けたため息を吐いた。
レンスター王国を列強へと導いた女宰相だ、どんな苛烈な女かと思ったが――。
「意外と、エムリスさまは可愛らしい御仁なのですね」
「なっ……! モロルド国王! それは流石に、聞き捨てなりませぬぞ!」
『まぁ、嬉しいことを言ってくださいますね、ケビンさま。いやはや、才に任せて宰相になったはいいものの、女としての自分を置いてきぼりにしてしまい……いささか寂しい想いをしているのですよ。かわいいだなどと、幾百年ぶりに言われました』
「エムリスさま! またそのように、悪戯に戯れを!」
どうやらお茶目な方らしい。
俺の軽口にも、気を悪くすることなく応じてくれる。
少し、その人となりに興味が湧いた。
「…………旦那さま、流石に他の国の宰相に、手は出しませんよね?」
「出すわけないだろう! なにを言っているんだ、セリン!」
「手を出す可能性……0.001%! 可能性はゼロではありません!」
「ヴィクトリアも! なにをバカな……!」
「あぁん♥ そんな、私のような年老いた魔術師に欲情するだなんて……♥♥ やめてください、私はまだ幼い王を育てる身なのですから……♥♥ あぁ、いけません、いけませんよ、モロルド王♥♥ アルトリウスが見ている前で、そんな激しくぅ……♥♥♥」
「「エムリスさまぁ⁉」」
そして、さっそく嫁に釘を刺された。
おまけに女帝にもからかわれた。
男としては踏んだり蹴ったりだが、国としては思わぬ目が出た。
こうなっては、もはやカインに逃げ道はない。
脳に響く声が半オクターブ上がる。
『カイン・モロルドよ。妾は、そなたのような心の卑しい者を見つけ出すため、あえてその出自を秘匿し、多くの謎を抱えて生きる謀略の将である。もちろん、お前がこのモロルド進軍に際して、数々の嘘と奸計を巡らしているのも承知していた』
「なっ……そんな! 全てを知っていたというのか!」
『東洋の覇王、精海竜王を内海に擁し、大陸にも近く、神仙にも縁のあるモロルドは、おそかれはやかれ我が版図から取り除くつもりであった。しかし、追放した矢先に、瞬く間に領地を繁栄させた者がある。その男の器量を見定めるつもりで、あえてお前の浅ましい謀略に乗り、我が臣トリストラムを向かわせたが、よもやこんなことになろうとは』
すべては西の魔女の掌中。
やはり対話を選んで良かった。
エムリスさまの知謀と偉業は知っていたが、まさかここまでとは。
敵対していれば、万に一つもモロルドに勝ち目はなかっただろう。
そして、だからこそ、弟に救いはない――。
『カイン・モロルド! 妾を欺き、陛下に背き、悪戯に我が兵を失わせたお前を、許すわけにはいかぬ! その身をもって罰を受けるがいい!』
「そ、そんな! ど、どうか……どうかお慈悲を!」
『慈悲などない! さあ、我が秘術を食らうがいい……鳥さんになっちゃえ~!!!!』
いろんな意味ですごい秘術だな。
感心すればいいのか、呆気にとられればいいのか。
迷っているところに――青白い光が船長室を包んだ。
はたして、俺がおそるおそる目を開けると。
「こ、コケッコー!」
一羽の青い鶏がそこにはぽつんとケビンの前に立っていた。
『やっべ。間違えて、トリストラムに魔法をかけちゃった……えへ☆』
「「「エムリスさまぁ⁉」」」