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第61話 元領主、絶倫領主の逆鱗に触れる

「コケーッ! コケッコッコ! コケェエエエエッ!」


「……うぅん! 見事なまでのニワトリだ!」


「人がこんなにも簡単に、鶏になってしまうなんて……!」


「……ピーガー! 判別不能判別不能! 内蔵するデータベースに、このような容姿&遺伝子的特徴を持つニワトリは存在せず! 新種のニワトリです!」


『まぁ、私が無理矢理魔法で変えた、ニワトリですからねえ。しかし、トリストラム提督は、鳥にしてみると意外と美味しそうですね。とくに喉元――せせりのあたりが!』


「ココココ、コッケェッ⁉」


 翼を広げぴょんと跳ねる青いニワトリ。

 どうやら、姿形が変わっただけで、意識はしっかりとあるらしい。

 ブルブルと震える青い鶏――ことトリストラム提督は、助けを求めてひょいとセリンの胸に飛び込んだ。


 おいこら、そこは俺の場所だぞ。


「……くっ、はっはっはっは! ざあぁないなトリストラム! この私を殴った罰が当たったのだ! 悪魔に与する者を、神は見ているということだなぁ!」


「コケーッ! コッコッコッ! コケッコーッ!」


「ふはははっ! ニワトリになってしまっては、希代の名将も形無しだな!」


 ただ、トリストラム提督に釘を刺すのは後だ。

 カインを取り押さえなくては。


 レンスター王国に見捨てられた彼には、もはや味方は誰もいない。

 奴隷商売に携わっていた部下がまだ数人残っているかもしれないが、エムリスさまに睨まれた時点で逃げ出すことだろう。


 そんなカインが自棄を起こすことが怖い。

 俺も王宮に勤めていた身だ。追い込まれた人間の恐ろしさはよく知っている。

 強引に罪を逃れようと、彼らは簡単に凶行に及ぶ――。


「カイン、おとなしく我々に投降しろ。安心しろ、お前はあくまでレンスター王国の貴族だ。俺がお前を裁くようなことはない」


「それでも、エムリスさまに睨まれては俺はおしまいだ……」


 狂気に取り憑かれたカインが立ち上がる。

 ゆらりと左右に揺れた肩に生気はなく、頬からは完全に血の気が引いていた。

 ともすればニワトリになっていたという恐怖――からではない。


 母国に居場所を失い、故郷にも居場所がない。

 寄る辺のない状況に彼は絶望しているようだった。


 ふと、その頬の端がつり上がる――。


「ふはははっ! ケビン、まんまと俺を陥れたな! そんなに領主の座が欲しかったか! そうだろうなぁ、妾の子として生まれたせいで、年下の俺に仕えなければならなかったのだからなぁ! 本来ならば、お前がこの領土を受け継ぐはずだったのだ!」


「違う! そんなことは思っていない! 領主になったのはただの成り行きで!」


「黙れ、黙れ黙れぇッ! もはやお前のことを、兄とは思わぬ!」


 そう言うや、彼はセリンに突進してきた。

 普段ならばすぐに雷撃で払う彼女だが――トリストラム提督を抱えているせいで反応が遅れる。とっさに、俺とヴィクトリアが庇った。


 カインの身体つきは王宮勤めの文官とたいした変わらない。

 なので、ぶつかられてもたいした痛みはなかったが――。


「ははははッ! そうすると思ったよ! お人好しのケビン!」


「くそっ! カイン、逃げる気か!」


 セリンを守ったことで、に俺たちの陣容に隙が生まれる。

 まんまとカインは俺たちの包囲を抜け出し、船長室から飛び出すのだった。


 ここから逃げていったいどこへ行くのか。

 頭を過ったのは、捕らえられた幼馴染み。


 この場を切り抜けるために、カインに残された手はそう多くない。

 敵対する国の領民を人質に取り、この場から逃げおおせるのがせいぜいだ。


 そうはいかない――!


「セリン、ヴィクトリア! カインを追いかけるぞ! ララが危ない!」


「了解。ララさまの人命を優先。セーフティーモードで追跡します」


「あの目、なにをしでかすか分かりませんものね! わかりました、旦那さま!」


「コケーッ!!!!」


『すみません、私が間違えてトリストラムに魔法をかけたばっかりに……!』


 俺たちはすぐさま、逃げるカインを追いかけた。

 幸いなことに、冷静さを欠いたカインの逃亡は単調で、俺たちをけむに巻くだとか、罠に嵌めるだとか、そういうことはしてこなかった。


 ただ、なりふり構わぬ様子で水夫たちを押しのけ、船内を駆けずり回るカインの姿は、なんとも痛々しいものがあった。ここまで追い込む必要があったのか。

 カインだって、好き好んでこのようなことになったのではない。

 奴隷売買にしても、彼が望まざる部分があったはずだ。


 俺たちは不幸な行き違いの末に、こんな所にたどり着いてしまった。

 一歩間違えば、この構図は真逆だったかもしれない。


「エムリスさま。カインについてですが、モロルドで預かることはできませんか?」


『おや、情けをかけるつもりですか? しかし、モロルドの領民は、彼が自分たちの街に砲撃をしかけてきたことを知っています。とても歓迎するとは思えませんが?』


「もちろん、罪は償わせます。ただ、兄として……彼が立ち直らせたいのです」


 お人好しがすぎるだろうか。

 そんなことを思って黙り込む俺を、隣を走るセリンが笑う。


「本当に、旦那さまらしいですね」


「……セリン!」


「けれどもそれこそが、王の器というもの。私は、力で人を従える覇者に嫁いだつもりはございません。人徳でもって領民を導く王に嫁いだつもりです」


 そう言って、セリンは信頼の眼差しを向けた。

 俺の行く道を肯定するその真っ直ぐな眼差しに、心が救われた気分だった。


 人徳でもって領民を導く王か。

 俺に、なれるだろうか……!


「コケッ! コケコケコーコケッコー!」


『トリストラムが言うには、この下が捕虜を収容している船倉だそうです!』


「カイン観念しろ! 大丈夫だ、お前はまだやり直せ……!」


 飛び込んだ暗い船倉の中央。

 そこにたたずむカインの姿があった。


 扉に背を向け、壁を見つめる彼の目には、もはや狂気の光さえない。

 絶望の闇に囚われ、夜の海の波にその瞳はたゆたっていた。


 なにがあったのか?


 戸惑い息を呑んだ俺の目に、闇の中から液体が伸びてくる。

 船の通路で焚かれた燭台に照らされ、徐々にその色味が鮮やかになっていく。


 それは、闇よりも濃く深い紅色。

 そして、その先には――。


「…………ララッ!!!!」


「お前の大切なものを、奪ってやったぞ、ケビン!」


 俺の幼馴染み。

 白虎の獣人が倒れていた。

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