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第62話 絶倫領主、仙宝を暴走させる

「そんなララさん……!」


『カイン・モロルド! 貴方はなんということを!』


 美しい白い髪が血に染まっていた。

 どんなに泥にまみれ、煤にまみれても、美しく輝いていたララの自慢の髪が。


 その白い肌も血に濡れていた。

俺が声をかけるとすぐに上気し、温かく色づく彼女の頬が。

 草の民に戻り、獣人本来の肉体美を備えた色白な身体も――。


 すべて、無惨に壊されていた。


「この女を取り戻しに来たんだよなぁ、ケビン! 獣人の嫁と聞いてピンときた! こいつも、お前の女なんだろう! 流石は淫魔との合いの子だ! 節操がない!」


「…………カイン、お前は!」


「お前が私から、領土を奪ったというのなら! 私はお前から、愛する者を奪おう! ケビンよ、どうだ……愛した者を失う気持ちは! 絶望は!」


 狂ったようなカインの哄笑はしかし、俺の心になにももたらさなかった。


 ただ、ララを失った悲しみだけが、胸の中に渦巻いていた。

 いや、何かがぽっかりと、俺の胸から抜け落ちてしまった。


 いつも、俺に優しかった、ララ。

 困っていると、すぐに察して手を差し伸べてくれる。

 けっして自分だって強いわけではない。

 ただの女の子なのに。


 心優しく、真面目で、ひたむきな――そんな彼女が、どうしてこんな凶行に遭わねばならないのだろう。


 俺には分からない。

 この世に神がいるならば、なぜこのような辛い役目をララに与えたのか。


 いや……。


「もう、いい」


「…………旦那さま?」


 神が俺たちに味方しないなら。

 運命が邪魔をするのなら。


 俺たちのようなはぐれ者たちに、安息の地がないというなら。


 ならば、全てを破壊してやる!


「マスター! ここで仙宝を使うのはお控えください! 中にはまだ多くの人が!」


「石兵玄武盤よ! この地のすべてを蹂躙せよ! カインの隠れ家も! 奴隷商売の拠点も! 港も! 船も! すべてすべて……悉く粉砕してみせろッ!!!!」


 懐から抜いたのは黒天元帥から賜った仙宝。

 地脈をたぐり、地形を変形させ、陸はおろか海さえも自在に操る、摩訶不思議な宝器。

 俺の叫びに応じ、盤はただちに手の中で回転し、その力を行使した。


 第六艦隊旗艦フェイルノートの船底が揺れる。

 床を突き破って隆起したのは六角形の岩。


 足場から突き上げられたカインは、天井を次々に突き破って外へと放り出される。

 そんな無様な弟を追って、俺は破れた船倉から飛び出そうとする。


 そんな俺の手を、強くセリンの手が引き留めた。


「いかないでください! 旦那さま! 貴方がなさろうとしていることは、修羅の所業です! お願いですから、どうかお心をお鎮めください!」


「すまないセリン! 愚かなことをしているということは分かっている! だが、大切なものを傷つけられて、怒れぬような男でいたくないのだ!」


 俺の手の中から、こ大事なものをこれ以上奪わせてなるものか。

 セリンを、ステラを、ルーシーを、ヴィクトリアを――ララのような目に遭わせてなるものか。これ以上、こんな理不尽に俺の大切な人を巻き込ませたりしない。


 そのためならば、俺は人知を超える仙宝の力も借りよう。

 神とも魔とも恐れられよう。


 四海に悪名を轟かし、覇によってモロルドの平和を勝ち取ってみせる。

 武によってこの地を災いから遠ざけよう。


 愛する人々を守るために、俺は今――修羅になる覚悟を決めた。


 セリンの手と瞳を振り切り、俺は船の外へと飛び出す。


「道を作れ石兵玄武盤! カイン――あの男は、百回殺してもまだたりぬ!」


 歩みに合わせ海の底から現れる石柱。

 それを駆け上って、暗い空に打ち上げられたカインに肉薄する。

 すでに全身を強く殴打し気を失っている元領主を、さらに玄武盤が生み出した礫によってうちのめす。


 海の中から射出された岩により、カインの身体がへしゃげる。

 脇腹を撃たれ、腕を折り、顔の皮を裂かれる。


 だが、俺の怒りは収まらない!

 ララが受けた恐怖は、痛みは、悲しみは、こんなものではないのだ!


「カイン! もはや兄とは思わぬと、お前は俺に言ったな! 俺もだ! お前のような鬼畜を、一時でも弟と思ったのが間違いだった! 我が玄武盤によって死ぬがいい! 安心しろ、楽には逝かせん! 最後に兄として……人の痛みを刻み込んでやる!」


 空を飛んだ石礫を集めて巨大な岩とする。

 天空に現れた巨大な石柱に、一瞬だけ意識を取り戻したカインが、つんざくような悲鳴を上げた。だが、それがなんだというのか。


 まるで剣の先のように、鋭く尖った石柱を――俺は、玄武盤に命じてカインへと振り下ろす。真上から飛来した大岩により、愚かな元モロルド領主は海底へと沈んだ。


 だが、だが、だが、だが……ッ!!!!


「こんなものでは足りない! もっと! もっともっとだ! 俺のララを! 大切な友を! 奪った罪はこんなものでは償えない!」


 再び岩を隆起させ、俺はカインを海から引き上げる。

 まだ微かに息があるそれを、今度は針山のような岩礁に放り出す。

 繰り出される石柱に合わせ、カインは血を吐いてその上で踊った。


「旦那さま! いけません! 玄武盤の力にのみ込まれています!」


「マスター! これ以上はいけません! マスターの弟君の命にも! マスターの精神にも影響があります!」


「コケーッ! コケッ、ココココ、コケーッ!」


『落ち着きなさいモロルド王! 玄武盤の生み出す力にのみ込まれてはいけません! 力は正しき者に御されてこそ、真の力たり得るのです! そのように、ただ周囲を傷つけるだけの暴力を振るうのは、人の上に立つべき人間がもっとも避けること!』


 セリンが、ヴィクトリアが、トリストラム提督が、エムリスさまが、俺を諫める。

 だが、そんな言葉になんの意味があるというのだろう。


 もしも話し合いで平和が勝ち取れるなら、ララは――!!!!


「ララは! 死なずに済んだんだ! 誰も不幸にならずに済んだんだ! なら、俺はこの力を使う! 俺の力で、モロルドを守ってみせる! たとえ――覇王と呼ばれても!」


『ほう、我を差しおいて覇王を名乗るか――うぬぼれるのも大概にせよ、小僧!!!!』


 その時、精海に嵐が巻き起こり暗雲が空に立ちこめた。

 星の瞬きの代わりに、激しい稲光が天を覆ったかと思えば、暗い闇の中かから大きな影が鎌首をもたげる。


 カインを口に咥えた海竜が、俺を赤い瞳で睨み据えていた。


 それなるは、遥か東の海の果てを統べる海竜の王。

 モロルドの歴代領主を苦しめた精海の覇王。


 精海竜王。


「なぜここに岳父どのが! 止めてくださるな! これは我が兄弟の諍い!」


『黙れたわけが!!!!』


 海どころか世界を震わせる咆哮が響く。

 襲いかかる音の波に、石柱の上から俺は吹き飛ばされた。


「旦那さま!!!!」


 後ろに控えていたセリンがすかさず俺に駆け寄る。

 しかし、それを待っていたとばかりに、精海竜王は再び大きな咆哮を上げた。


 セリンの手が俺を掴むことはなかった。

 俺は為す術もなく、精海竜王のテリトリーである海底へと沈んでいった。

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