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第63話 絶倫領主、妻と離縁させられる

 海の底には陸の上と違う世界が広がっていた。


 精海竜王の神威に荒れ狂った空からは考えられない、穏やかで澄んだ海の世界。

 色とりどりの魚たちが戯れるように泳ぎ、宝玉のような珊瑚が輝く。漂う海藻すらも美しい。そこは、陸にいる時には気がつかなかった桃源郷であった――。


 こんな世界がモロルドのすぐ傍にあったとは。

 しかし、なぜいまさら精海竜王は、俺をここへ誘ったのか?


「ケビンよ。これなるはワシの結界術。お主が見ているのは、幻の龍龍海峡だ」


「……精海竜王⁉」


 海底へと沈む俺に合わせるように、姿を現す岳父。

 最近よく見る童子の姿をとった彼は、悲しそうに眉根を寄せて俺を睨んだ。


 どうしてそんな顔をするのか。

 なぜ、彼は自らの結界術を発動し、こんな光景を俺に見せるのか。

 岳父の意図が分からず困惑する俺の前に――。


「セリン!!!!」


 俺を助けようと駆け寄った、糟糠の妻が姿を現した。

 彼女も実の父と同じように悲しげにその表情を翳らせて。


 なにが起こるのか、なにを言われるのか。

 彼女の表情で俺は察した。


「ケビンよ。ワシはお主のことを買いかぶっておったようだ」


「……待ってください、精海竜王! 俺は、ただ、大切な人たちを守りたくて!」


「そうだ。それは王に最も大切な資質。民を想い、民に尽くす。仁徳によって政をなす。ワシはそなたの中に、確かに王道の気を感じ取り、我が娘のセリンを嫁がせた……」


 しかし、と、精解竜王は苦しそうに呟いた。


 彼の苦々しい台詞とともに、海中に築かれた楽土がその姿を変えていく。


 隆起した岩に粉砕された珊瑚礁。

 巻き上がる濁った潮流から逃げ惑う魚たち。

 中には石に潰されて息絶える者もあった。


 さきほど空に見た嵐のような――いや、それよりも凄惨な地獄が広がっていた。

 そして、それは俺が操った『石兵玄武盤』によるものなのは明らかだった。


 精解竜王が溜め息を吐く。


「我はこの地の海竜たちの王にして、この海に棲まう生き物たちの王である。そして、大地に蔓延る人間たちを相手に、覇をもって対する精海の覇王なり――」


 精海竜王の結界術の中を、紫の稲光が駆け巡る。

 たちまちに、俺が見ていた光景は消えて、世界は暗闇と閃光に包まれた。

 その中で――恐ろしき竜の面影を称えた童子が、その鉄仮面を向ける。


 冷たく輝くのは赤い瞳。

 これまで受けた温情の欠片も感じられないそこに、彼の決意は表れていた。


「ならば、この精海を荒らす者とは相容れぬ。ワシは、精海の覇王という責務に従い、お主と戦わねばならぬ……! モロルド領主、ケビンよ!」


「……そんな! 我らは手を取り合って、やっていけると! そう信じて、同盟を結んだのではなかったのですか!」


「あぁ。だが、ケビンよ……お前は手にした力に溺れ、我が領域を侵した。民を苦しめ、平穏を乱し、災禍を振りまいた汝を許すことはできない」


「では! セリンは! 我が妻のセリンはどうなるのですか……!」


 精海竜王の背中に侍っていた妻が、びくりとその肩をわななかせる。

 どうか聞いてくれるなと俺に訴えかけるように。


 我が妻はその藍染めの着物の袖で口と顔を隠す。

 それでも俺の耳に彼女の嗚咽が届いた。


「セリンとは離縁してもらう」


「そんな……!」


「ケビン……いや、モロルド領主よ! やはり、人と竜はわかり合うことなどできぬ! 我ら竜と人、この地に栄えるのどちからのみ! ここに雌雄を決しようぞ!」


 せめてもの情け、心を整理する時間をやろう。


 そう精海竜王が呟いて背を向ける。

 黒と紫の世界の中に消えて行く岳父。

 そして、俺の妻――セリン。


「セリン! 行くな! 行かないでくれ! 君に見捨てられたら、俺は……!」


「旦那さま……すみません! 私ではどうすることもできないのです! 私は精海竜王の娘! そして、この龍鳴海峡の覇者の娘なのです! 最初から、貴方とともにはいられない……そういう宿命だったのです!」


「宿命だなどと! だったらなぜ、俺たちは出会ったのだ……!」


「…………あぁ、ケビンさま!」


 俺の名を呼べど、その姿は霞と消えゆく。


 かくして俺は妻とともに、精海竜王の加護を失った。


 再び俺はモロルド家祖からの宿敵である、精海竜王と事を構えることとなった。

 これは宿命か、それとも運命の悪戯か。


 なんにしても、ララに続けてセリンを失った俺の心は『石兵玄武盤』によって地獄と化した、この海のように荒み果てていた。


 いったい、俺はどこで間違ってしまったのか……。 


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