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第140話 宰相、魔王を誅する

 くそっ! くそっ! くそっ!


「ケビンめ! よくも、よくも……よくもやってくれたな! なぜこの私が! モロルドの正統なる領主であるこの私が、この地から逃げねばならんのだ!」


「うるさいでありんすな。魔王さんの怪我に触りますやろ、静かにしてくりゃれ」


「もごっ! もががががががっ!」


 モロルドと大陸の間に流れる内海――の上。

 私と魔王、そして氷女の三人は、夜の海を徒歩で移動していた。


 氷女が海面を凍らせて通り道を造る。

 精海竜王の加護がなければ、船で渡ることができない内海だが――凍らせて渡るとは誰が思うだろうか。

 ケビンたちの裏をかいて、俺たちはモロルドからの脱出を図っていた。


 とはいえ、怒りは収まらない……ッ!


「なぜだモロルドよ! 我が先祖代々の土地を、なぜ捨てて逃げねばならぬのだ! このようなことは間違っている! きっとなにかの間違いだ! くそっ、神よ……なぜ貴方はこの清廉なる私に、ここまでに苛烈な試練をお与えになるのか!」


「…………清廉w」


「なにがおかしいッ! ケビンのような、サキュバスの血が混ざった領主など論外! 私こそがやはり、モロルドの領主にはふさわしいのだ!」


「…………か、カイン。もそっと、静かに、してくれ、なのじゃ!」


 ケビンとカミラの戦いの後、私たちはぼろぼろになったカミラを回収した。

 なにやら勝利の余韻に浸っている彼らは、カミラが生きていることに気がついていない様子で、楽にその身を回収することができた。


 とはいえ、激戦――神の使徒を名乗る、不遜なセイレーンの攻撃――により、カミラは再起不能の状態まで傷ついていた。


 このまま、ケビンたちと戦い続けることは無理だ。

 そして、この土地に潜伏し続けるのも難しい。


 今の俺は不本意ではあるが、カミラの使徒にして魔王の下僕である。

 となるとを主の命を助けるのが最優先だ。結果、カミラが負った傷を癒やす土地と時間を求めて、俺たちはモロルドを離れる選択をした。


 氷女が、膨大な魔力を持っていたのが幸いだった。

 辛い選択だが仕方ない。

 しかし、一時のこと。


 魔王カミラの強さは、遠目で存分に見させてもらった。

 彼女が真にその力に覚醒したならば、ケビンたちなどひとたまりもないだろう。


 ケビンの下にはヤバいセイレーンがいるが――。


「奴に対抗することができる者がきっといるはずだ! おい、氷女よ! 大陸に渡ったら、あのセイレーンを倒すことができる者をみつけるぞ! それから、私たちもさらに力を付けて、再びこの地に戻ってくるのだ!」


「はいはい、わかったでありんす。こりひん人でありんすなぁ……」


「のじゃあ、けれどもケビンの言う通りなのじゃ! 妾(わらわ)も負けっぱなしは嫌なのじゃ! 絶対に、あの天使――力天使ステラエルにキャンと言わせてやるのじゃ!」


 それはまだ見ぬ仲間に期待しよう。

 他力本願上等。領主とは人をよく使える者よ。

 それもまた人々の上に立つ者に求められる器量であり才覚なのだ。


 幸いなことに、俺とカミラ、そして氷女には無限の命がある。

 時の制約は受けない。最悪、ケビンが死んでからでも、モロルド島を取り戻せればそれでよい。まあ、それでは私の溜飲は下がらないが――。


 とにかく!


「力をつけて一から出直しだ! カミラ、そして氷女よ! 私が再び、モロルドの領主となるために、その力を貸せ! いいなッ!」


 ここは戦略的一時撤退。復権の時期を待とう。

 為政者には時に忍耐も肝心。断腸の思いで、俺はモロルドを諦めた。


 まあ大丈夫だ。

 ケビンに精海竜王の娘が娶れたのだ。

 私だって有能な家臣を見つけることはできるだろう。


 それにカミラという切り札がある。

 亜人の力を頼るのは少し気が引けるが。

 この切り札が手中にある限り、きっと勝機はある――!



「なにを言いはるやら。ワッチらは、魔王さまの使徒でありんす。カインさんの命令なんてどうでもよござんす」


「のじゃ、モロルドばかりに気を取られても仕方ないのじゃ。もっと、妾(わらわ)たちが支配するのに適した、ちょうどいい土地がどこかにあるはずなのじゃ……!」


「ふざけるなお前ら! いいか、絶対にモロルドは取り返すんだ……!」


 私たちの旅路はこれからだ!


◇ ◇ ◇ ◇


 モロルドより北にある大国。

 千年の歴史を誇るその国は、東洋世界の中心――いや、この世界の中心と言っていいほどの文明と人の坩堝であった。


 天文を紐解く学術に、火器やからくりを作り上げる科学力。

 詩歌に彫刻絵画といった芸術。広大な大地から集められた豊富な作物。

 そして――この大国の統一を担っている、強大な兵力。


 精強な兵と戦馬、戦車に戦船。

 西洋の軍よりもさらに洗練された戦術。

 もしも、西洋と東洋を隔てるように、広大な砂漠が広がっていなければ、大陸はこの国家により支配されていたことだろう。


 東洋にその覇を唱える超大国は『殷』という。

 正真正銘の文化大国。そして、今まさに栄華の最中にある国だった。


 そんな大国の北の果ては国境付近の山嶺。

 神仙が修行をする山の頂に――赤い雷光が飛び交っている。

 黒い鱗に覆われた四つ足の魔物が、岩肌を削って暴れ回る。それは、その身体を襲う赤い雷光を振り払うような動作だった。


 人よりも遥かに大きな漆黒の獣。

 その動きがぴたりと止まる。

 瘴気を孕んだ息を吐けば、その瞳が妖しく煌めいた。


 狙いを定めたのは、彼の前に立つ黒髪の偉丈夫部。

 漆黒の獣より小柄にもかかわらず、それを威圧する『何か』を持った男であった。


 大国の礼服に身を包んだ彼は、その袖の中から赤い宝剣を取り出す。

 神仙の呪文が彫られたそれに、ふっと男が息を吹きかければ――たちまちにその刀身に赤い雷光が走り、大気が震える。

 そして――霊峰の空が漆黒に染まった。


「……さて、魔王よ。最後に言い残すことはないか?」


『……ウゥウゥ、アウゥウウウウッ!!!!』


「ふっ、獣心に四つ足の魔物では、言葉も通じぬか。やれやれ、強大な力もこのような獣に宿っては、力の持ち腐れという奴だな」


 漆黒の獣が後ろ足で地面を蹴って宙に舞い上がる。

 その手を組むと、猛獣は槌のように拳を男に振り下ろす。

 しかし、黒髪の偉丈夫は少しも怯まない――。


 雷光を走らせる宝剣を掲げ、彼は静かに唱えた。

 自らの得物の名を――!



「仙宝『九天応元』……ッ!」



 たちまち、宝剣から八方に赤い閃光が散ったかと思えば、雷の竜となって黒い魔物に襲いかかる。それぞれが意志を持った生き物のように、くねりうねって押し寄せてくるそれに、漆黒の獣は翻弄され、身を焼かれ、貫かれ――あっという間に絶命した。


 あまりにも圧倒的な力の差。

 持って生まれた力でも覆せぬ、格の違いが両者にはあった。

 魔王の力をもってしても。


 山頂を包んでいた闇が晴れたかと思うと、そこから人影が降りてくる。

 瑪瑙のような複雑な色味をした短い髪に少女のような華奢な身体。

 白色に金色の刺繍が施された着物。


 そして――ステラと同じ六つの翼。


 彼女こそは四大天使。

 智を主神より賜りし、賢天使アビエルだった。


「でかした、聞仲! おぉっ、あの凶暴な魔王ココ・ペリが跡形もない! これで魔王討伐は完了だ! やっと天界に帰ることができる!」


 そして黒髪の男の名は聞仲。

 大国を預かる宰相にして千年を生きる神仙。

 俗世にありながら仙界と交わる、異色にして異能の者であった。


 アビエルの言葉に、聞仲は振り返りもせず宝剣を懐にしまう。


「……やれやれ、これでよかったのかアビエル? 随分、骨のない相手だったぞ?」


「いやいや、魔王というのは人を食らい、魔を統べて成長するもの。まだ、力を得る前であったからお前でも倒すことができたが……」



「安心しろ、私が負けることはない……ッ!」



 振り返った黒神の偉丈夫。

 その額に現れた第三の瞳が魔性の輝きを放つ。

 静かに荒ぶる神仙に、大天使は息を呑んだ。


 その力に怯えるように。

 一方で、どこかその武威に惹かれるように。


 賢天使アビエルは主神フリージバルの命を受け、この大陸の魔王を討伐するために転生した。そして、その先で類い稀なる才気を持つ神仙こと聞仲に出会った。

 大国『殷』の隅から隅までを差配し、この大陸を牛耳っている男。


 大国の陰の王。

 そして、神仙さえも黙らす下界において最強格の神仙。


 この男ならば、きっと魔王を倒せる。

 アビエルはそう考えた。


 彼女の本来の力を解放しても、拮抗できぬほどに成長しきっていた大陸の魔王。

 それと相対させるべく、アビエルはすべてを聞仲に己の使命を打ち明けた。そして、十分にその危険性を話し、魔王殺しへの協力を彼に願った。


 神仙である前に、大国を導く元帥である彼は「それが我が国の利益となるなら」と、二つ返事で協力を受け入れ――そして、あっという間に倒してしまった。


 というのが、ここまでのあらましだ。


「ふむ。念のために公明を待機させておいたが、無駄だったか」


「さあ聞仲よ! さっさと魔王核を破壊してしまうのだ! その宝剣で……!」


「ふむ、そういえばそうだったな……」



 赤い雷撃により身を焼かれた魔王はすでに絶命している。

 ただ、その力の源である魔王核は壊れていない。


 ステラエルと違い、アビエルは魔王退治に魔王核の破壊が必要なことを伝えている。

 あとはそれを砕けば、彼女の仕事は無事に終わる――。


 はずだった。


「少し、気が変わった」


「え? ちょっと、聞仲⁉」


 しかし、ここであろうことが聞仲が思いがけない行動を取った。

 彼は露出した魔王核に手を伸ばすと、それを漆黒の獣の死骸から引きずり出す。

 そして――自分の口の中に放り込み、ひと息にのみ込んでみせた。


 ただでさえ、強大な神威をまとったその身体から、陽光よりも眩しく激しい仙力が放出される。それは、彼の身体に魔王核が適応した証拠であり――。


「ふむ、なるほど。悪くはない感じだな」


「な、なにをしているのだ、聞仲! それではお前が、魔王になってしまうではないか!」



「あぁ、そうだな。それで殷の安寧を守ることができるならば――俺は魔王にでも、神にでもなろうではないか。いや、神さえも越えてみせてやろう!」



 魔王聞仲が新たに誕生した証拠に他ならなかった。

 その額に輝く第三の目に赤い輝きが混じる。


 もしや、聞仲は最初からこれを狙っていたのか。

 そもそも彼は自分になんと言って協力を申し出たのか。

 賢天使は、目の前に顕現した新たな魔王が、どこか醒めた表情で自分の話を聞いているのを思い出し、ひそかに戦慄するのだった。


 かくして、大陸にあらなた魔王が君臨した。

 大きな野望と大きな力を持った、おそらく人類史において最強の魔王が。


 彼が大国の宰相という身分であったのは、人類にとって不幸中の幸いだったか。

 あるいは最大の不幸であったか……!


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