「おまえらはまだ、人間の本質について、まるで理解しちゃあいねえ」
「……」
「いいか、ウツロ? おまえみたいなやつは、極めてレアケースなんだぜ? 世間を見てみろ。人間としての存在をまっとうしているってなやつが、どれだけいると思う? てめえのことは棚に上げて、すきあらば他人に指をさし、そいつがどんな目にあおうが、知ったこっちゃねえ。むしろ飯ウマだ。パンとサーカスをよこせだあ? 潤沢にあるじゃねえか、てめえらの養分がよ!」
ウツロと
鬼堂総理の言うことには、一理以上あるかもしれない。
俺たちの考えていることは、しょせん理想論なのか?
そんなふうにみずからを懐疑した。
「何も言い返せんか? そうだ、おまえたちの考えているとおりさ。人間論だなんてのは、しょせんは理想論なのさ。よりよい人間を目指そうだなんて連中ばかりなら、この世の中は少なくとも、いまよりもずっとマシな世界になっている。そうじゃねえか、あ?」
何も言えない。
そのとおりすぎる。
「与えてもらうのが当たり前、そのくせ1ミリでも気に食わなければ、鬼だ悪魔だと唾を吐きかけてきやがる。少しは俺らの気持ちも考えてほしいもんだ。どう思う? まるで大量に置いてあるゆりかごの中の赤ん坊を、たったひとりでめんどうを見てる気分なんだぜ? ガキみてえな年寄りと、年寄りみてえなガキばっかだ。俺はそんなクズどもの親か? てめえのめんどうくれえ、一度でいいからてめえで見てみろってんだ」
劇毒のような言葉の応酬。
しかし表現こそ過激ではあるが、鬼堂龍門の言説は思いのほか的を射ている。
二人の心はだんだんとぐらついてきた。
「しかしな、ウツロ。それでも俺は国民を見捨てたりはせん。なぜか? 俺は国家に忠誠を誓っているからだ。特定の誰かじゃねえ、おまえの大嫌いな、概念としての国家だ。その国家を守るためなら、どんな末路でも受け入れるつもりでいる。それがたとえ、後世において最悪の暗君・暴君だったとののしられるようなことだろうがな」
彼らには見えた。
どす黒い悪党のひとりだとばかり思っていた鬼堂龍門が、不思議なことにいまは光り輝いて見える。
なぜだ?
これが悪のカリスマというものなのか?
いや、果たしてそれは、悪と呼べるものなのか?
そもそも、「悪」とは?
わからない、何も……
二人は次第に、思考の迷宮へと陥っていった。
「正直言って、ここでおまえらの手にかけられたら、どんなに楽なことか。それほどのものを、俺は背負ってるんだぜ? わかるか? この重さが?」
もう言葉を発する気力すらない。
仮にあったとして、何を言うことがあるというのか?
現実、そうだ。
俺たちの考えてきたことは、やはりあくまでも理想にすぎず、目の前に座る男・鬼堂龍門の言うことこそが、まさに現実なのではないか?
大きく見える。
これが国家を背負う者の器だとでもいうのか?
石像にでも変えられてしまったかのように、ウツロと万城目日和はまったく動くことができなくなった。
「やっぱり、退屈な話だったな。わりい、大人の言うことなんて、そんなもんさ」
鬼堂龍門はすっくと立ちあがり、向こうのほうへ歩いていく。
二人はあいかわらず、みじろぎすらできない状態だった。
「今回は痛み分けってことにしてくれや。だが日和、もしその気になったのなら、いつだって俺を殺しにきていいんだぜ? 寝こみだろうが、国会答弁中だろうがな」
何も返せない。
少し曲がった背中。
しかしそこには、何者をもよせつけない王者然とした覇気が漂っていた。
「風邪引いちまうから、とっとと帰って温まんな」
彼は片手を挙げ、そしてアトラクションの奥へと消えていった。
あとには夜をほのかに照らす遊園地の明かりと、静かに降り注ぐ雨音だけが残される。
「ウツロ、俺……」
万城目日和の顔はくしゃくしゃにゆがんでいる。
茫然自失、まさにその単語がぴったりだった。
「日和……」
二人は自然に身を重ねた。
体が冷たい。
早くここから移動しないと。
互いにそう考えた。
もぬけの殻になったウツロと万城目日和は、魂を抜かれたようにとぼとぼと歩きはじめた。