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第27話 ゲッター・デメルング

「クロックタワーを挑発した足で、まさか本当にここへ来るとはね、ディオティマ?」


 黒衣の麗人は鋭いまなざしをディオティマに送った。


 ドイツ大使館、応接室。


 迎え入れた駐日ドイツ大使、ディアフローネ・ナイトリンガー子爵夫人は、いらいらした様子で手袋ごしにキセルをふかしている。


 ドイツの秘密結社、ゲッター・デメルングの大幹部のひとりで、吸血鬼一族の頭領でもある。


「わたしの一族とベアトリックスの一族は、遠い昔から血で血を洗う争いを続けてきた。かつてあなたはその双方に近づき、自分の都合のよいようにさんざんひっかきまわしたわよね? あの事件でせいで、わたしたちはあやうく、共倒れになるところだった。その落とし前もろくにつけず、つくづくツラの皮の厚い女だわよ」


 こんなふうに面前の客人へ向け、思いつくままに罵詈雑言を浴びせかけた。


(まあまあ、ディアフローネ。天下の魔女ディオティマのこと、何か素敵な考えがあるに違いないんだわ)


 モニターに映し出されているのは、エリーザベト・ヘッポバーン元帥夫人。


 やはりゲッター・デメルングの最高幹部のひとりで、組織のナンバー・ワンであるキール・キルヒキュラーガー総統のサポート役だ。


元帥夫人マルシャリン、油断はなりませんことよ? どうせまた狡猾な知恵を働かせているに決まっているのです」


 ディオティマは悠々と、ブラックコーヒーをすすっている。


「何か言ったらどうなの? 今度はいったい何をたくらんで――」


桜切さくらぎり


「……」


 激高するディアフローネをさえぎるように、魔女は口を開いた。


森花炉之介もり かろのすけ氏を利用し、その一本をまんまとせしめたようですね? あれは確か、いまはゼルマルキアという少女が手にしているのだとか」


「それがなんだというの?」


「いえ、その本来の持ち主である姫神壱騎ひめがみ いっきくんが、近く森氏と御前試合の運びとなっていましてね」


「そんなことは知っているわ。われわれの情報網をなめないでもらいたいわね。いったい何が言いたいの、ディオティマ? その二人の試合に横やりでも入れて、あわよくば桜切をすべて簒奪しろとでも?」


「ふふっ、しかり」


「……」


 ディオティマは君の悪い笑みを浮かべている。


「あなたがたが手に入れた桜切は、力をつかさどるものだとか。ドクトル・フロイデマンの研究により、姫神の一族でなくともその能力を引き出せるようになった。そしてゼルマルキアは、いまではゲッターでも一二を争う戦闘員として育っている。そうでしょう?」


(見えないわね、ディオティマ。あなたの意図が。桜切はあなたも研究材料として欲しがっているはず。それを横取りしてくれと提案するからには、何か見返りを求めているということですか?)


 元帥夫人は魔女の腹のうちを探った。


「いえ、そんなものは必要ありません。わたしはただ、昔しでかしたことへの罪滅ぼしがしたいだけですよ?」


 こんなふうに言って、ニコっと笑った。


「罪滅ぼしですって? よくもぬけぬけと、そのような嘘八百を。あなたはそんなことを考えるような者ではない。そのことは、こちらも重々思い知らされているのよ? 正直に告白しないと、生かしてここからは帰さないけれど?」


 ディアフローネの語気がだんだんと荒くなってくる。


「告白したところで、生きて帰れるという保証もないわけですが」


「貴様あっ!」


 彼女の双眸がギラリと光った。


(お待ちなさい、ディアフローネ)


「お止めにならないでください、マルシャリン。今日こそのこのクソッタレを八つ裂きにしてやるんですわ」


 一触即発、そのとき――


「ウツロ」


「……」


 意外な単語が、ディオティマの口から飛び出した。


「わたしがこうして、みなさんに行脚しているのは、ふふっ、ほかでもない。そう遠くなくあなたがたの脅威となる存在、ウツロの危険性について教示するためなのです」


 二人の夫人は顔を見合わせた。


「……ウツロのことはわれわれも心得ているわ。確かに異常な成長を見せている少年だわね。しかし彼が、ゲッター・デメルングをおびやかすほどの存在だとでも、あなたは言うのかしら?」


「いいえ、ゲッターだけではない。ゲッターやクロックタワー、そして日本の龍影会りゅうえいかいを包含する巨大結社グラン・グリモアをも、おびやかす存在になりえるでしょう。もちろんわたしを筆頭とするディオプティコンや、世界の富を牛耳る大ユダヤ会にとってもね?」


 ディアフローネはキョトンとした顔をした。


「いくらなんでも、かいかぶりすぎじゃない? 相手はたかが、ひとりの少年なのよ? そんな話、とうてい信じられるものではないわ」


「いまにわかります、いまにね」


 ディオティマの発言を受け、二人はしばし思索にふけった。


(結論としてディオティマ、いまあなたがいなくなったら、そのウツロと戦うに当たり、われわれは非常に不利になる。そう言いたいのかしら?)


「ふふっ、さすがはマルシャリン。理解が早くて助かります」


 魔女は余裕の表情でコーヒーをすする。


「どうだか。逃げるための口実なんじゃないの?」


「ビリーブ・イット・オア・ノット。信じるも信じないも、ふふっ、あなたがた次第ですよ?」


 雲をつかませるようにはぐらかす。


(しかたないわね、キールにはそう伝えておくわ。ディアフローネ、とりあえずここは、抑えてくれるかしら?)


「ふん、命拾いしたわね。こういうことは本当、お上手なんだから」


 ディアフローネは椅子に身を預け、戦闘態勢を解いた。


「光栄に思いますよ? 両夫人」


 こうして彼女は、イギリス大使館のときと同じく、バニーハートと連れ立ってそそくさとその場を去っていった。


 残された二人は、魔女の真意を探るべく談合した。


「いったい何をたくらんでいるんだか」


(わからないわ。ただひとつ言えるのは、ディオティマはこういうとき、局面の何万手も先を見すえているということ。ディアフローネ、くれぐれも油断はならないわ。彼女を見張っていてくれるかしら?)


「ウツロのほうはどうします?」


(そちらにも手を回しておいたほうがよさそうね。なんだか、あの女の思惑どおりに動かされているような気もするけれど)


「だてに何千年も生きてはいないというところかしらねえ。ふん、いまいましい魔女め、むしずが走る」


 こんなふうにぶつくさと唱えていた。


 結局すべての本質が見えているのは、誰あろうディオティマだけだったのである。


   *


「ぎひ、すべては、ディオティマさまの、思いのまま」


「ふふっ、そのとおりですよ、バニーハート。こうやって盤上に少しずつ駒をそろえ、わたしの意のままに動いてもらうのです。実に楽しい趣向ですねえ」


「ぎひ、最後は、ディオティマさまが、チェックメイト」


「そうですよ、バニーハート。わが悲願の成就は、それほど遠くないかもしれませんね。ふふっ、ふははははははっ!」


 すっかりと眠りについた夜の街に、魔女のおたけびがこだましつづけた。

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