「ウツロっ、目を覚ますんだ!」
「ふんっ!」
「ぐ――っ!」
気合いだけで、二人は弾き返される。
「どうした? 上等なのは威勢だけか?」
「くっ……」
過酷な戦いが展開されることを、彼らは覚悟した。
「壱騎さん」
「ああ、アルトラを使うしかないようだね」
それぞれにおのが能力を発動させる。
「ドラゴン・ライド!」
「リザード!」
姫神壱騎の体に龍の紋様が、そして――
「日和、それは……!」
背後の一同は驚いた。
アルトラの力でトカゲに変身した日和、しかしその姿は……
「へっへえ、どう? 前よりもいいデザインになっただろ?」
以前よりも数段、人間の容姿に近づいたイメージである。
トカゲの色合いはそのままに、闘争に特化した戦士、しいて言うならバーサーカー然とした風貌だった。
「なんかしらねえけど、こういう感じになれたわけだ。これなら前とは段違いだぜ?」
彼女は高らかに、アルトラの進化を宣言する。
「まるでパワーアップのインフレだな」
ウツロ・ボーグはなかばあきれている。
しかし万城目日和は知っていた。
アルトラが精神の投影である以上、その進化は精神的に成長したことを示している。
それは誰あろう、目の前にいるウツロのおかげであることを。
だがいま、新たに得た力で当人である彼を倒さなければならない。
もどかしかった。
なんという皮肉であることか。
「日和がそう来るのなら」
姫神壱騎が体を抱えこむ。
「な、なんだ、ありゃあ……!」
後方の一同が目を見張る。
「はあっ――!」
龍の刻印が水に墨を垂らすようにうごめき、より鮮やかに、そしてより深く食いこんでいく。
「どう? これで俺も、もっと強くなった」
筋肉はパンプアップし、豪奢な、しかし美しい肉体が映えている。
「壱騎さん、その力、まさか……」
万城目日和はあることに気がついた。
「ああ、長くはもたない。そして、リバウンドによるダメージはおそらく、これまでの比じゃないだろう。それでも――」
凛として前へ出る。
「それでもウツロ、君を救いだすためなら、こんな命、投げ出したっていい。なぜなら俺は、ほかならない君に救われたからなんだよ?」
「……」
ウツロの脳裏に、ひとりの人物がよぎった。
アクタ、アクタだ。
その身を呈して自分を守り抜いた最愛の兄。
その言葉、一挙手一投足が思い出される。
「ぐ……」
頭が、ぐらついてくる。
何者かが何かを語りかけてくるような。
ウツロ、どんなことがあっても、心を閉ざしてはならん。
はばたけ、はばたくのだ……!
「おい……」
あるいはそれは、幻覚の類なのかもしれない。
だが確かに、確かにそこにいるのだ。
姫神壱騎と万城目日和、その背後に立つ二つの人物が。
「父さん、兄さん……」
心の扉をこじあけるように、その声は鳴り響いてきた。
(ウツロよ、暗黒の中に光を見出す。それがおまえの「人間論」だったはずだ。目を覚ませ、いまおまえが戦っているのは、おまえがもっとも愛する者たちなのだぞ?)
(ウツロ、苦しかっただろ? でも、自分に負けたっていいんだぜ? そこからまた、やりなおしゃいいじゃねえか。戻ってこい、戻ってこい、ウツロ……!)
「う、ぐ……頭、が……」
ウツロ・ボーグの体制が徐々に崩れていく。
「よく、帰ってきてくれた、二人とも……」
南柾樹は拳を握った。
そのまなじりには光るものが。
「日和、いまだ!」
「おう、壱騎さん!」
二人は追い風を受けるように、再度とびかかった。
そのとき――
(ウツロさま、惑わされてはなりません。その者らはウツロさまをたぶらかそうともくろんでいるのです)
「だ、誰、だ……この、声、は……」
ウツロ・ボーグが聞き返す。
(わたしの名はティレシアス。ディオティマさまからの命を受け、あなたに宿を借りている寄生生物の一種です。いまはこうして、あなたさまの首筋から、直接脳に語りかけているのです)
ギリシャ悲劇に登場する預言者・ティレシアス。
その名をかたる存在は、このようにウツロを「誘惑」した。
(人間などしょせん、自分たちのことしか考えてはいない。それを正すのがウツロさま、あなたの大切なお役目なのです。あのようにおのが行為の正当さを装い、その実は虚飾にまみれている。そんなものです、人間などというものは)
「そうだ、そのとおりだ……」
「ウツロ……?」
ウツロ・ボーグの双眸が、再び爛々とした赤さを取り戻してくる。
いや、以前にも増して、地獄の業火のような色合いをたたえてすらいるように映った。
「間違っている、人間という存在は、間違っている……!」
(そうです、ウツロさま。あなたの御業で、魔道へと堕ちた者どもを救済に導くのです。それができるのはほかならない、ウツロさまただおひとりだけなのでございますれば)
「俺は間違っていない、正しいのは俺だ。俺の考えが絶対だ。俺という存在こそが、絶対なのだあああああっ――!」
ああ、ウツロは再び、絶望に満たされた奈落へと堕ちていく。
すでに半分以上、自由な意思などはない。
すべてはディオティマによる奸計と、このティレシアスに操られ、動かされているのだ。
「殺す、殺す、殺す……俺に逆らうやつらは、みんな殺す……!」
「ウツロ、落ち着け――!」
こうして状況は再び、むしろ前よりも悪い展開へと流れていった。
(ふふふ、うまくいった。畏敬するディオティマさまが、矮小な存在にすぎないわたしに与えてくれたこの力。ささやくだけ、ささやくだけの能力。アルトラの名は「スティッフ・アッパー・リップ」……これでこのウツロは、わたしの思うがまま。ディオティマさま、すべてはあなたさまの偉大なる計画のために……)
寄生生物はピシャリピシャリとほくそえんだ。
戦いはまだまだ、終わらない。