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8月6日 離れていても心は……

 昨日はえらい目にあった。

 結局なんやかんやでずるずると祭り見物の案内をさせられて、夕食も屋台で済ませて、家に帰った時にはすっかり遅くなってしまった。


 目抜き通りを使ったいわゆるダンスパレード系のお祭りなので、見ている分には延々見てはいられるのだけど。

 毎年のように目にしていると、流石にありがたみも目新しさも無くなってくる。

 まあ、後輩ちゃんふたりが楽しんでくれたのならそれで良しとしよう。


 そもそも高校になってからめっきり興味がなくなったのも、友人たちと一緒に観に行くという機会がなくなったからだ。

 ユリはこの時期合宿やら大会やらが必ず重なっていたし、アヤセは祭の手伝いのほうで忙しい。

 実家が地元商工会に属している彼女は、昨日もひーこら言いながら屋台の手伝いをしていた。

 女子高生的にはひとりでいくお祭り見物ほど惨めなものはないので、必然的に興味もなくなるというものだ。


 それはそうと、今日は昨日の分を取り戻す意味でも一日じっくりと勉強に力を入れよう。

 今日は姉も高校時代の同期連中と会うとか言って早い時間から出かけて行ったし、家の中も平和そのものだ。


 争いがあるからこそ、人は平和のありがたみを知る。

 得たくもないし得ちゃいけないような教訓を、実家の5LDKから学んでしまった。

 そもそも私が何かするとき雑音がないと集中できないのって、半分以上アレのせいなんじゃ……答えに至った代わりにイラッと来た。

 勉強はとても捗った。


 涼しい午前中をしっかり勉強に費やして、昼ご飯の休憩から少しベースを触る。

 相変わらず気温も室温も熱いけど、楽器の表面は塗料のおかげかほんのり冷たくていい。

 とりあえず三〇分ほど天野さんの課題曲を練習する。

 まだまだ右手と左手と別々に確認しながらじゃないと弾けないヨチヨチ進行だけど、左手で抑える弦の位置はソラでも分かるようになってきた。

 と言っても、この曲で使うコード限定だけど。

 それでも、目標があれば上達するという天野さんの考えは間違ってなかったようだ。


 ただいかんせん、ベースの練習だけしていても全く曲の全容が見えない。

 そりゃ主要なメロディラインをとるのはギターの役目だから、当然と言えば当然なんだろうけど。

 合唱でアルトを歌う時と似たような感覚。

 動画サイトで聞いてみるか。

 というか、最初からそうするべきだったな。

 傍らに投げ出していたスマホを手に取って、曲名で検索をかけ――ようとした時、ユリからメッセージが届いた。


――練習するならサンボがいい!


 要件ズバリでなんの脈絡もなかったけど、たぶん何件か前の私の「バンドの曲どうするの?」っていう質問に対してだろう。

 流石のユリも大会前後で忙しいのか、話も返事もここ数日は飛び飛びになっていた。


 サンボか。

 まあ、言うと思った。

 でもあれってスリーピースバンドだよね。

 今回のバンドってそもそも何人構成なの?


 疑問に思ったことはすぐに確認したいもので、琴平さんにその旨メールで伝える。

 すると、すぐに「ギター、ベース、ドラム、キーボードの四人ですよ」と返って来た。

 四人いるじゃないか。

 流石にサンボは無理だろう。


――あるよ。サンボの四人構成のスコア。


 あるんだ。

 試しに天野さんに相談してみたところ、あっという間に返事が帰って来た。

 彼女も今、お祭りムード下の営業で忙しい盛りな気がするんだけど。


――次のレッスンまでに用意しとくね!


 まったくもって至れり尽くせりなのはありがたいけど、働け社会人。

 次のレッスンって言うと週明けの月曜日か。

 九日からしばらく塾の夏季講習に行くと伝えた結果、その前に一回レッスンしておこうかという話になっていた。

 最初は五里霧中なベース練習だったけど、天野さんのおかげでおぼろげながら、形になりそうな希望が見えて来ている。


 そう言えば、私はそんなこんなで順調に練習が進んでいるけど、他のヤツらはどうなんだろう。

 ヤツらも何も、そもそもメンバーすら知らないのは変わらないんだけど。

 流石に知る権利があるだろうと思って、それも琴平さんに確認したことがあるけど、「今、調整がいいところなので!」という謎の返事が帰って来たきりだった。

 いいところって……それ、ほんとに調整だよね?


 唯一分かってるのが、ギターがユリということだけ。

 そしてあいつは……大丈夫なのかな。

 少なくともこの週末までずっと部活漬けで、他のことなんて手についてないだろうし。

 それにいつだかバンドに誘われた時、あいつなんて言ってたっけ。

 ゲーセンで鳴らした腕とかなんとか?


 考えたら考えただけ、不安しか生まれない。

 とりあえず、メッセージは送っておこう。


――あんた、ギターの練習大丈夫なの?


 返事は帰ってこなかった。

 練習中か、それとも競技中か。

 よりによってこのタイミング……つい数分前までは繋がったのに。

 恋の駆け引きってわけでもないのに、なんでこうもやきもきさせられないといけないんだ。

 理不尽さに別に腹は立たないけど、ただひたすらため息ばかりがこぼれた。


――ひとつ、相談があるんですが。


 こういう時は……こういう時は……とにかく、先んじて動くべし。

 立ち止まるよりも、少しでも前に進んだ方が心のゆとりが違う。

 何かしてないとひたすら焦燥感だけが募っていくのはなんでだろう。

 なんかもう、そういう病気なんじゃないかって心配になって来る。


 あくまで提案程度の内容でメッセージの文面を打ち込んで、送信した。


――次のレッスン、バンド仲間(予定)も連れてっていいですか?


 月曜ならユリもとっくに帰ってきているし、そっちの予定は問題ないはずだ。

 するとすぐに天野さんからの返事か帰って来る。

 こっちはこっちでほんとに手が早い。


――予定? よく分からないけど、大歓迎だよ!


 ありがとう天野大先生。

 今日一番、心と胃が晴れやかに鎮まり返った。

 それはそうと、元バイトとして言わせてください。


 だから、働け社会人。

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