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8月8日 ブラック&ファイヤー

 八月も八日目。

 あと二週間もしないうちに二学期が始まるなんて、夏休み短すぎない?


 一方の大学生であるウチの姉は九月いっぱいまで役二ヶ月間の夏休みだ。

 聞くところによると、冬休みも一ヶ月弱。

 春休みもまた二ヶ月ほどあるという。

 休み過ぎだろ大学生。


 そう言えば、中学の時の担任が「大学は人生のご褒美期間だ」と話していた記憶がある。

 この休みの長さのことを言うなら、確かにその通りなのかもしれない。

 ワーキングホリデーならぬ、スタディホリデー。

 ずるいぞ大学生。


 そんな短い夏休みの貴重な一日を使って、私たちは怪しい女のマンションを訪れていた。


「怪しいだなんて、ひと聞きがわるいなあ」

「すみません。口に出てました」


 平謝りすると、天野さんは苦笑しつつも許してくれた。


「星の友達のユリでーす! よろしくお願いします!」


 ギターケースを背負ったユリが、姿勢よく敬礼する。

 天野さんもそれに習ってか、ビシっと敬礼で返した。


「うむ。任された」

「あの……いちいちつき合わなくて大丈夫ですからね」


 つき合ってたら日が暮れちゃうし、無尽蔵のバイタリティでもなければオススメしない。


「改めて紹介しとくと、元バイト先の社員の天野さん。本職――ってわけじゃないけど、音楽に明るい人です」

「音楽に明るい天野です。本職はバリスタでーす」

「おおー、確かに見たことあるような気がするよ?」

「お店の店員なんて、常連でもなければ覚えてないよねえ。記憶にあるだけでもありがたいかな」


 そう言って天野さんは笑った。

 挨拶はそのくらいにして、私たちはいつかの防音室へと通された。

 扉をくぐった瞬間、ユリは目を輝かせてすっかり興奮しきっていた。


「それで、ユリさんのパートはギターだっけ?」

「はい! 借りものですけどー」


 ユリは、ケースからクラシックな木目調のギターを引っ張り出す。

 色と弦の数は違うけど、第一印象でどことなく私のベースに似ているなと感じた。


「おおー、ファイヤーバード! ブラックバードに合わせるならそうだよねえ。個人的には、ベースもサンダーバードだったらもっとしっくり来るところだったけど」


 どうやら、また何か琴線に触れるものがあったらしい。

 私にその高ぶりは伝わらなかったので、代わりにGoogle先生の助けを借りることにした。


「なるほど、姉妹機なんですね」

「そうなの! だからこれを準備してくれた人は分かってるねえ」


 準備してくれた人と言えば、琴平さんだ。でもギター弾いてるようにも、楽器マニアにも見えないけれど。


「それで、演りたいのはサンボだったっけ。えっとね、確かこの辺に……ああ、あったあった」


 天野さんは、前に課題曲の楽譜を取り出してくれたのと同じ棚から、一冊のスコアブックを取り出す。

 すると、ユリが一も二もなく飛びついた。


「おおー、これが! あはは、何が書いてあるか全然わかんない!」


 冊子をめくりながら、ユリはケラケラと楽しそうに笑った。

 言ってることは頼りないけど、あんたが楽しそうなら連れてきて良かったよ。

 天野さんもその様子を見ながら、優しい笑みを浮かべる。


「正直に言うと、サンボは初心者がチャレンジするにはちょっと難しいかな」

「まあ、あれだけソウルフルな感じですしね」


 何かで見たことがあるけど、その時の感情のままにかき鳴らすから、結果として演奏者の技術の高さに裏打ちされた難解な曲になってるらしい。

 それを言ったら天野さんの課題曲は、高校生バンドが弾く想定になっているからそういう難易度の曲作りになっているという。

 曲の作り方っていうのはいろいろあるもんだ。

 全部Google先生の受け売りだけど。


「でも弾いてみたいって気持ちが一番大事だよね。難しいとろは、弾けるように譜面を変えたっていいわけだし」

「そんなんで良いんですか?」

「コピバンのアレンジなんてよくあることだよ。もしよかったら、私がアレンジの譜面起こしてもいいよ」

「いや、善意で教えてもらってるのにそこまでさせるわけには……」

「お願いします!」


 断ろうとしたところ、横からユリが遮る。

 彼女はスコアブックのページを開いて、そのまま天野さんに突き付ける。

 天野さんはちょっと驚いた様子だったけど、すぐに納得した様子で頷いた。


「これをやりたいってことかな?」

「よろしくお願いします!」


 ユリも、鼻息を荒くしながら頷く。

 なんだかやる気のようだし、天野さんさえよければお任せするか。


「あの、私のパートは私でも弾けるくらいに簡単にしておいてください」

「狩谷さんのスキルに合わせて調整しておくね」


 そう語る天野さんはどこか楽しそうというか、生き生きとしていた。

 下手したらカフェでの仕事中よりもずっと。

 きっと、本当に好きなんだろうな、こういうの。


「それで、ユリさんはギターはどれくらい弾けるのかな?」

「全くの初心者です! あ、ギターの音ゲーは得意です!」

「そ、そう」


 自信満々に言うのがユリらしいというか。

 流石の天野さんも、ちょっと困ってるじゃないか。


「でも、イメトレは完璧です! 見ててください!」


 ユリはおもむろにギターを肩にかけると、右手にピックを持って左手でネックに触れた。


「C……D……E……そしてエーフ」


 コードを口にするのと一緒に、じゃらんじゃらんとギターを鳴らす。

 Fだけなぜか得意げに。


「……合ってるんですか?」

「え? あ、うん、合ってるね」


 天野さんが頷くと、ユリはさらに得意げにネックに触れた指を滑らせる。


「G……A……B……Dのマイナー……Aのマイナー……B7……そしてDマイナーの……7」


 最後のコードを鳴らして、ユリはさながらスポットライトを浴びたステージ上のギタリストみたいに、ピックを持った手で天を指さした。


「え……全部合ってるんですか?」

「すごーい、ユリさんしっかり練習してきたんだね!」

「イメージトレーニング……ですっ」


 ユリはキザな笑顔で額の汗を指先で拭った。

 ユリのこういう時の無駄な才能はなんなんだ。

 てかイメトレって……え、流石に冗談だよね?


 ナントカと天才は紙一重ってやつ?

 むしろそれって煽り言葉じゃなかったの?


「ユリさんはもうガッツリ譜面を弾く練習からでよさそうだね。狩谷さんはゆっくり自分のペースでいいからね」


 なんだか気を遣われてしまった気がする。

 ものすごく納得いかない。

 ちょっとでも早くユリのレベルに追いついてやる。

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