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8月9日 夏季講習の渦

 朝。

 私は先日体験会に参加した塾に訪れていた。


「おう、来たな」

「おはよう」


 ちょうど玄関で靴を履き替えていた雲類鷲さんに出くわして、挨拶をかわす。

 彼女は友人である琴平さんと、スワンちゃんこと須和さんと共にこの塾の生徒である。


「お前、花笠見た? 演歌アイドルだっけ。相変わらず良いキャラしてたな」

「何日目の話? 初日はぶらぶらしてたけど」

「え、じゃああたしらのパレードも見てねーの?」

「むしろ出てたのが初耳なんだけど」

「毎年、実行委員で学園祭の宣伝兼て出てるだろーが」


 それも初耳なんだけど。

 こんなんだからイベントに興味がなさすぎるなんて言われるんだろうな。

 知ってたところで、わざわざ見に行くモチベはないけれど。


「てか、いつも生徒会長も参加してた気がするんだが。今年は出なくて良かったのか?」

「それも特に聞いてないんだけど」


 声すらかからなかったし。

 たぶん、好きで出てたんじゃないかな。

 去年なんかは間違いなくそうだと言い切れる。


「まいっかー。それよか勉強だ勉強。ああ、やになるねえ!」


 誰に言うでもなく、あえて言うなら自分自身に言い聞かせるように声を張り上げた。

 そのままとぼとぼと講義室に向かうので、私も後をついていく。


「狩谷はよくもまあ、あんな点とれるまで勉強できるよな」

「こういうのは積み重ねだから。部活と同じ」

「あー」


 私だって、勉強そのものが好きなわけじゃない。

 みんなが大会に勝つために部活に勤しんでいたのと同じように、目標があって勉強に勤しんでいたというだけ。


「雲類鷲さんって、国立志望なんだよね?」

「あー。まあ、一応な。ウチは私立に行く余裕ねーし」


 雲類鷲さんは気だるそうにしながらポリポリと頭をかく。


「入れりゃどこでも良い。ま、ちょっとでも良いとこ入れるようには頑張るけどよ」

「琴平さんとかは?」

「あいつも似たようなもんだ。白羽は……よく知らねーけど、音大とか目指してんじゃねーの?」

「よく知らないって……」


 友達じゃないんかい。

 いや、私もユリの進路知らないけどさ。

 でもあれはまだ決まってないどころか考えてもないってだけで、流石に須和さんに限ってそんなことはないだろう。

 しかし音大か。

 音楽系だとそういう選択肢もあるんだな。

 自分の知らない世界のことは、その道の人間に聞かないと知るきっかけすらないもんだ。


 それから琴平さんたち他の塾生も登校してきて講義がはじまる。


 今日から参加する特別夏季講習は、日程としては学習合宿をいくらかマイルドにしたものだ。

 共通テストは六教科三〇科目。

 必要な教科だけを選んだとしても、そのすべてをカバーするのは合宿の時くらいの強行軍でなければ不可能なので、今回の特別講習は主要科目である国語(古文)、英語、数学に絞られている。

 それを朝からみっちり二時間ずつ。

 文字通りいい勉強になる。


 塾生は、この間の体験会の時に比べてずいぶんと数が増えていた。

 これがもっと大きな塾だったら、ランクに応じたクラス分けなんかもされるのかもしれないけど、ここはかろうじて文系と理系に分かれているくらい。

 でもこの間は理系クラスである琴平さんや須和さんも同じクラスだったし、このクラス分け自体が特別仕様なのかもしれない。


 昼休みになって、私と雲類鷲さんは理系クラスのふたりと合流してお昼を取ることになった。

 と言っても、三〇分そこらの休憩時間で外に食べに行くような暇はないので、事前に準備してきたお弁当やらコンビニご飯やらを講義室の机のうえで広げることになる。


「流石に一二〇分ぶっ通しの講義は疲れますねえ。家に帰ってから何もしたくなくなっちゃいますよ」


 琴平さんが、コンビニのポテサラサンドを食べながらコキコキと首を鳴らした。

 私もこった肩の節をボキボキ鳴らしてから、静かに息を吐く。


「何もしないってのは困るんだけど……文化祭の方の準備は大丈夫なの?」

「あ、痛いとこ突きますね。ですがご心配なく。クランクインには間に合わせますので」

「それは当たり前だけど……私――てか生徒会の面々は来週合宿があるから、間に合わなくても撮影スケジュールは増やせないからね」

「生徒会が合宿なんてして何すんだよ」


 雲類鷲さんの疑問はまあもっともだ。

 やることはやるけど、半分遊びみたいなもんだし。


「二学期が始まる前に学園祭のあれやこれやの準備を終わらせておくの。まあ、ほとんどは会計作業だけど……」

「ああ、まあ、学園祭に限っては生徒会はほぼ大蔵大臣だしな」

「学園祭に限らなくても、生徒会の仕事なんて大半が大蔵大臣だよ」


 その割に、役員に数字に強い理系は全然いないんだ。

 自分の人脈のなさを嘆きたいよ。


「今の生徒会は数が少ないし、大変ですよねえ。今年度になってからは一年生も入りましたし、まだマシのようですが」

「あー、確かにな。あたしらが一年のころってもっといた気がしたんだが……そういや、気づいたら全然人がいなくなってたな。先代とか幹部三人と毒島だけで回してなかったか?」

「幹部の学内人気はあったはずなんですけど、役員になろうって人はいませんでしたね。いや、厳密にはいたんですけど、みんな辞めちゃいましたし」

「そうなの? てか、そうだよね。私も一年のころは、同級生にもっと役員がいたような気がしてた」


 それが気づいたら、私らの代は心炉ひとりに。

 ひとつ下の代に至ってはゼロ。

 だから無理を言って、わざわざ金谷さんたちに入ってもらったんだけども。


「なんか、理由とかあったの?」

「残念ながら詳しくは。というか、当事者の妹さんが知らなかったら、私たちも知りませんよ」


 それはそうなんだけどさ。

 でも一年のころは私もちょっと不安定だったし、姉との関係ももっと冷え切ってたし、人が減って大変そうにしてたのは知ってたけどただ他人事に思ってたくらいだし。


「それでも潰れるどころか、精力的にイベントを開催して自ら仕事を増やしたあげく、涼しい顔でこなしきった安定感。間違いなく、伝説に残る生徒会でしょうねえ」

「続先輩はすごいひと」


 それまでひと言もしゃべらなかった須和さんが、突然ぽつりと、でもハッキリと場の注意を惹きつける鈴のような声でつぶやいた。


「白羽ちゃんがそう言うなら、相当すごい人ですよ」


 琴平さんが相槌を打つ。

 一方の雲類鷲さんは、飲み干したカップラーメンの器を乱暴に放った。


「だからこそ、学園祭は手をぬけねーわけよ。盛り上げるためならなんだってやってやるぞオイ」

「少なくとも、法を守って誰かに迷惑もかけないようにしてよね」


 そうは言っても、今のところの予算申請を見ても、それほど変な企画はなさそうだ。

 となると、問題は学習合宿で手に入れた追加予算か……いったい何に使ってくれるのだろう。

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