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8月10日 それはそれは余計なこと

「会長サンの好きな食べ物ってなんですか?」


 夏季講習二日目の朝。

 突然、琴平さんがそんなことをを訊ねた。

 机を挟んで向かいの椅子に腰かけて、手にはペンとメモ帳を携えている。


「いきなり何……てかここ、文系クラスなんだけど」

「今日は流翔ちゃんも白羽ちゃんもギリギリに来るそうなのでヒマなんです。相手してくださいよ」

「非常に不本意な役目なんだけど、それ」

「感じ方は人それぞれですよねえ。それで、好きな食べ物は?」


 なんか力業で押し切られた気がするけど、とりあえずてこでも話題を変える気はないらしい。

 私は仕方なく、講義の準備を始めながら答える。


「サバサンド」

「思ったよりニッチなところを付いてきましたね」

「購買のサバサンド。お昼に迷ったらアレでいいかなって」

「そんなメニューありましたね。一日限定三食――と言えば聞こえはいいですが、その実態は三食売れるのがやっとという。なるほど、そのうちの一個は会長さんのリピートでしたか」

「毎日食べてるわけではないから、私だけってわけじゃないでしょ」

「購買のサバサンドと言えば――」


 不意に、琴平さんが声のトーンを下げた。


「一日限定三食――そう謳われてはいますが、実のところ三食並んでいるところを見たことがある生徒はいないという」

「え、なに、怖い話?」


 弾かれたように顔を挙げると、琴平さんはキョトンとして首をひねる。


「普通の世間話ですが」

「ああ、そう。まあ、そうだね」


 なんか怪談語りみたいなトーンで話すから、間違っちゃったじゃないか。

 だけど、言われてみれば確かに。

 私が買う時はいつも残り二個の状態であることが多い。

 あとはたまにラスイチのことがあるくらいで、三個並んでいるところは見たことがない。


「よほどのリピーターがいるとか……?」

「それでも、誰も見たことがないって言うのは不自然じゃないですか?」


 まあ、確かに。


「三個とは謳ってるけど、ほんとは二個しか入荷してないとか」

「可能性としてはなくはないですが、夢はないですねえ」


 夢、いる?

 むしろあり得そうな可能性を潰していくべきだと思うのは私だけなんだろうか。

 現実に起こっていることなんだし。


「ところで会長サン、怖いの苦手なんですか?」

「え?」


 唐突な変化球に言葉が詰まる。

 いや、唐突じゃなくても苦手なものを「苦手か」と聞かれると、誰でも言葉に詰まりそうなものだけど。

 私はちょっと迷った後に、素直に頷いておくことにした。


「まあ、得意ではないかな」


 こういうのは、変に取り繕っても後でボロが出るだけだ。

 そもそも隠しているわけでもない。

 普段は聞かれないから答えてないだけ。

 聞かれてないから、答えてないだけ。


「あらら、それなら言ってくれたら良かったのに。今回の映画とか、大変じゃないですか?」

「最初はどうかと思ったけど、見る側じゃなくて撮る側だったら、それほどでもないかも。話の流れも知ってるわけだし」

「怖さは無知からくるものでもありますしね。会長サン、ホラー演出のコツって知ってますか?」

「いや……知りたくもないかな」

「そんなに大したことではないんですけどね。来ない、来ない、来た。これがお化け屋敷なんかでは鉄則になってるそうです」

「来ない、来ない、来た……?」

「怖いことが起こりそうで起こらない、起こりそうで起こらない。そうやって空振りを二度繰り返すと、人は心の奥底でちょっぴり安心してしまうんです。そこで三度目の正直……ドーンと恐怖の花火を打ち上げる。不意を突かれて阿鼻叫喚。どんと晴れです」

「なるほど……?」


 確かに、ホラー映画なんかでもお化けが出る前に空振りさせるよね。

 私はその時点でギブアップだけど。


「気配を感じて振り返っても誰もいなくて、前を向き直ったらお化けが! みたいなのがよくある例ですね」


 ああ、あるある。

 大嫌いな演出。

 やるなら一思いにやれよって、画面にどなりつけてやりたくなる。


「まあ、要するに、いつ来るか分からないから怖いわけで。タイミングさえ分かってたら怖いものはないですよね。死に覚えのアクションゲームみたいなものです」

「そっちの例えは、あんまりよく分からないかな」

「これは失礼」


 琴平さんはわざとらしくお辞儀をすると、そのまま顎をさすって明後日の方向を見上げた。


「しかし、会長サンが怖いの苦手となると、撮影の手法もちょっと改めるべきかもですね……ムムム」

「ええと、あんまり無理はしなくていいけど、お手柔らかにはして欲しいかな」


 間に合わなくなるくらいなら、私ってできるだけ我慢する。

 それこそ事前に知っているのなら、そこまで怖くはない……はず。

 たぶん。

 きっと。

 最悪、心を空にしてやりきる。


「それより、あんまり入れ込んで、勉強がおろそかになっちゃいましたなんてのはやめてよ」

「そこはご心配なく。好きでやってることですし。それにワタシは安パイ思考です」

「安パイ思考?」

「受験本番に、その時の学力で楽に入れるところに決めてオッケーってことですよ。ワタシは大学も学部もそれほどこだわりがありませんので」


 琴平さんは苦笑して、両の掌を胸の前で合わせる。


「しいて言えば、流翔ちゃんと同じとこに入れたらそれで良いんじゃないでしょうかね。少なくとも現時点で私の方が学力は高いので、合わせるのは簡単ですし」

「スワンちゃんは一緒じゃなくていいの?」

「彼女はそもそも進む系統が違うでしょうから。それに合わせるのも、合わせてもらうのも、なんか違うような気がしますし」

「そういうものかな」

「そういうものですよ。何ていうんでしょうかねえ。邪魔しちゃいけない感じというか」

「なんかそれ、ウチの知り合いも言ってた。須和さんのことじゃないけど」


 脳裏にふと天野さんの顔が浮かぶ。あれは私に対しての言葉だったな。

 未だに、邪魔して良い人と悪い人の違いがよく分からないけれど。

 一方の琴平さんも、どこか愉し気に笑った。


「その方とは仲良くなれそうな気がしますねえ」


 彼女はそう言うけれど、私は出会わない方が良いんじゃないかな、と私情がらみで感じた。

 なんか、琴平さんと天野さんは混ぜるな危険のような気がする。

 むしろ、触らぬ神に祟りなしとか。そういう本能からの警鐘だ。


「しかしまあ、こうして改めて話す機会を設けてみて、撮影がなまら楽しみになってきましたよ」


 そういって、琴平さんは立ち上がった。そろそろ彼女も講義の準備が必要な時間だろう。

 雲類鷲さんたちはギリギリに来るって話だけど、ほんとにギリギリになるんだな。

 何してるんだろう。


「会長サンって、なんとなく近寄りがたいイメージありましたけど。案外ピュアでユーモラスなお方ですね」

「それは喜んでいいのかな? それとも怒った方がいいのかな?」

「そういう時は、ただ聞き流してくれた方が世渡りは上手くいきますよ」


 なにやら格言めいた言葉を残して、彼女は自分のクラスへと去っていった。

 なんか深い話をしたような、ただ煙に巻かれただけのような、はたまた狐につままれただけのような、不思議な時間だった。

 人生ゴーイングマイペースな須和さんならまだしろ、そんなふたりと日々付き合う雲類鷲さんは大変そうだな。

 心の中で同情心が芽生えつつ、今度から少し優しく接してあげようと心に誓う。

 これはきっと、親近感というやつだ。

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