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8月11日 はねやすめ

 三日間の夏季講習が終わった。

 一日中ミッチリ勉強するって意味では合宿とそんなに変わらない気はするのだけど、なんだかあっという間の時間だった。

 すごく集中して身に着いた気がするし、一方でいくらか物足りないような気もちもある。

 目標設定の問題かな。

 特別講習として塾生以外にも開かれた今回の講習は、広く「国立合格レベル」を目標にした難易度と授業構成だったように感じられた。

 私としては、体験の時の普段の授業のほうがためになったような気がする。

 その辺は、塾生向けとそうでない場合との違いというやつなのかもしれない。


「そう言うわけで、一応打ち上げ的なものやっておきましょうか。幹事はワタクシ琴平です。コトヒラと書いてコンピラです。どうぞよろしく」


 琴平さんがおもむろに立ち上がって、水の入ったコップを手に音頭をとる。

 私たちはつられたようにコップを合わせると、彼女は満足げに着席した。


「打ち上げっつってもラーメン屋だけどな。あー、でも終わった終わった」


 雲類鷲さんがうんと伸びをする。

 彼女が言った通り、打ち上げとは言っても訪れたのは塾の近くにあったラーメン屋だ。

 夏季講習が終わって、多少なり解放感があるし、なんかお腹も減ったけど、ファミレスとかでダベるほどの時間はない。

 その結果がラーメン屋という選択肢だった。


「私、ここ始めて来た」


 店内を軽く見渡して、それからメニューに目を落とす。

 ラーメン屋にしてはちょっと小ぎれいな和風ダイニング風味。

 押しは塩ラーメンのようだ。

 珍しい。

 貝出汁というのがどこか北の大地を思わせるけど、スープはでろっと白濁している。

 見た目から味の想像がつかない。

 おすすめとは言え賭けになりそう。


 一方で野菜たっぷりの味噌ラーメンも捨てがたいよね。

 味噌ラーメンの野菜は、摂取カロリーの罪悪感を薄れさせてくれるし。


「会長サンどうします?」


 長考に入りかけたところで琴平さんに声をかけられた。


「あれ、もうみんな決まってるの?」

「ワタシたちは、別のを食べたい気分でなければ塩一択なので」

「ああ、そう」


 この店の常連っていうよりは、塩を食べたいならこの店に来るって感じか。


「じゃあ私もそれで」


 味噌も気になるけど、ここは先人の教えに従おう。

 ライブの全通とラーメン屋での冒険は、女子高生にとっては貴族の遊びだ。

 注文を終えて再びのひと息。みんなスマホをいじったり、ぼんやりとした時間が流れる。

 そんな中で、ひとり静かに、何もせず座ったままの須和さんは、すごく異質な存在だ。

 というか須和さんもラーメン、食べるんだね。

 いや、そりゃ食べるだろうけど。


「何か?」


 気づくと、須和さんとじっと見つめ合う形になってしまった。

 咄嗟に視線を逸らすけど、流石に不自然すぎる。

 改めて向き直ると、何か取り繕う話題を探した。


「ここは、よく来るの?」

「たまに」

「そう」


 会話終了。

 まあ、体裁は取り繕えたかな。

 個人的に、須和さんと過ごす時間はそれほど嫌いではない。

 初めの時こそ気まずさばかりだったけど、彼女は無言も無音も苦じゃないタイプの人間だということを今では理解している。

 無理に話を広げなくてもいい。

 それがいたく心地よい。

 思えば、ユリといいアヤセといい、私の周りは勝手に話を広げてくれるタイプが多い。

 それはありがたいことなんだろうけど、私としてはこういうタイプの方が性に合っている。


 そして両者のちょうどいいとこ取りな感じなのが心炉か。

 彼女はちょっと気を遣いがちなところがあるけれど。


「ありがとう」


 不意に、須和さんがそんなことを口走る。

 え、なんだ。

 久しぶりに何のことを言われているのか分からない。

 お礼……お礼?


 夏季講習に来たこと……は、別に彼女に誘われたわけじゃないし違う。

 それとも以前のデートに関して……は、流石に今さらすぎないだろうか。

 最近いくらか、彼女との会話のコツのようなものを掴んだような気がしていたのだけど。

 まだまだ甘かったみたい。


「続先輩のこと」

「ああ」


 補足してもらって、ようやく理解がいった。

 そう言えば、彼女に頼まれたんだっけ。


「たぶん、わざわざ連絡とらなくても来てたと思うけど」

「それでも」

「なるほど。先代の来訪は白羽ちゃんの差し金でしたか」


 琴平さんが、納得した様子で頷いた。

 雲類鷲さんもまたそれに習う。


「まあ、お前は典型的な牧瀬信者だもんな」


 牧瀬信者……そんなのいるんだ。

 呆れるというよりは、ちょっと引く。

 須和さんにじゃなくって、あの人に。


「そういや、東北大会っていつなん? 毎年そろそろだろ」

「高校生は二七日」

「マジか。じゃあ今年の文化祭は吹奏楽部の発表なしか……残念だ」


 学園祭の日程は二五日から二八日までの四日間。

 うち二七日は文化祭の日だ。

 たいていは文化部の成果発表の場になるのだけど、そういうことなら吹奏楽部は欠席ということになるんだろう。


「流翔ちゃん、去年は『文化祭の良さなんてわからない』って言ってませんでしたっけ?」


 琴平さんの視線に、雲類鷲さんは深刻な表情で頷く。


「ああ……貴重な睡眠のタイミングが減るから、実に残念だ」


 はじめから寝るつもりなのね。

 まあ、体育祭と一般招待日に挟まれる文化祭なんて、明らかにそういう意図でねじ込まれてるんだろうけど……仮にも学園祭実行委員長なんだから発言には気を遣って欲しい。


 そうこうしてるうちに、ラーメンが席に届く。

 全員同じ注文なので、「これ誰のー?」なんてワチャワチャすることにならなくて済むのはありがたい。

 この辺じゃ珍しい塩風味のラーメンは、メニューに載ってた画像通りに白濁した、独特のスープが特徴的だった。

 とりあえずスープをひと口。見た目ほどどろっとしてなくて、むしろさらさらしている。

 貝――特にアサリの出汁の風味が強く、塩味というよりも海の味といった印象に近い。

 なんか、クリームを使ってないクラムチャウダーみたい。


「味変するなら酢だぞ。冬ならゆず酢なんだけどな。残念だな狩谷」


 雲類鷲さんが、ドヤ顔で酢のボトルを進めてくれた。

 ラーメンに酢って入れたことないけど、好きな人は好きみたいだね。

 残り少なくなってから、お試しで使わせてもらおう。


 ふと須和さんに目を向けると、箸で掴んだ数本の卵麺を、小さな口でちゅるりと吸い上げているところだった。

 纏う雰囲気のせいか、吸い込まれる麺も、スープに濡れる唇も、ちょっとだけ飛び散る水滴も、全部綺麗な演出みたいに見えてしまう。

 美女を取り巻く光の演出は、昼夜関係ないらしい。

 なんだろう、ずるい。


「そう言えば、吹奏楽の全国大会ってのはいつなの?」


 全国に連れて行く、と言っていた須和さんの言葉を思い出して何ともなしに聞いてみる。

 須和さんは咀嚼していた麺を飲み込むと、口元を紙ナプキンで拭ってから答えてくれた。


「十月の末」

「思ったより、間あるんだね」


 ほとんど二ヶ月か。

 それだけあれば、ひと回りもふた回りも成長できるだろうな。

 それは他校も同じことだろうし、良いことか悪いことか、一概に判断はできないけど。


「宍戸さん」


 須和さんの口から、久しぶりにその名前を聞いた。


「待ってるから」


 彼女なりに気を遣っているのか、近頃は私の前ではめっきり聞かなかったけれど。

 それは催促というよりは、立場と意思を明確にするような、さりげないひと言。

 私は頷くことも、首を横に振ることもできず、代わりに麺をひと口啜った。


 忘れてたわけじゃない。

 一度関わってしまったことだから、忘れられるわけもない。

 だけど私が口を挟んで気持ちを催促するのも違うような気がして。


 宍戸さん自身も、最近は学校を楽しんでいるみたいだし。

 私も自分の忙しさを理由に、置いておいたこと。

 こればっかりは私が動いてどうこうっていう話じゃない……と思う。

 私は宍戸さんの味方のつもりだから。

 彼女にとって一番良い選択であれば良い。

 それは一方で、私自身が傷つかないための消極的な選択――なのかもしれない。

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