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8月12日 甘えんぼさん?

 世の中はお盆だけれど、実家が両親の地元にあると、それほど大きなイベントにはならない。

 朝イチに歩いていける距離にある父方の墓に参り、夕方からはちょっと離れたところにある母方のお墓に参る。

 私も姉も小さかったころは祖父母家に喜んで泊ったりもしたけれど、流石にもうそういう年ではないし。


「でも、たまに思うんだよねー。年一回会ってるとしても、おじいちゃんとおばあちゃんにあと何回会えるんだろうなって」


 ユリは基本アホだけど、ごくまれに鋭いことを言う。

 それも鋭いっていうよりは、たぶん素直さゆえの視点ってことなんだろうけど。


「人間の寿命は九〇歳くらいとして、毎年会ってても、あと十五回くらい? そう考えると、既に寂しくなってきちゃうかも……」

「そういうの考えるのやめときな」


 指折り数える彼女の手を、私の手で包むように握って辞めさせる。

 そういうのを考えるのってなんか、宇宙の神秘に近づくような気持ち悪さがある。

 いや、気持ち悪いって言うのは失礼かもしれないけど……たぶん怖いとか、寂しいとか、後悔とか、いろんな感情が交じり合ったもの。

 言葉にできないので、気持ち悪いと表現しているものだ。


「ふたりとも準備できた?」


 そんな話をしていると、部屋に天野さんが戻って来た。

 わたしたちは今日も今日とて、天野音楽教室の生徒である。


「天野さん、お盆なのに良いんですか?」

「いいって、何が?」

「その、実家に帰ったりとかは」


 気を遣ったつもりの発言だったけど、彼女は笑って手をひらひらさせる。


「お墓参りなら朝行ってきたから大丈夫。ウチの実家、車で三〇分くらいのとこだから。ふたりはもう、お墓参りは済ませたの?」

「私のとこは近所なので。夕方に母方の方にも行きますが」

「あたしんとこも朝行ってきちゃいました」

「じゃあ集中してレッスンできるね。とりあえず、一回ひととおり聞かせて貰えるかな」

「あ……すみません。私、塾の夏季講習があって、ここ数日あんまり練習できてなくて」

「うぇ!? 星、塾とか行ってるの!?」


 ユリがぎょっとした顔で飛び上がる。


「そんなに驚くこと? 塾って言っても夏季講習だけだし」

「ううん、そうじゃなくって。塾ってずっと、おバカな子が行くとこだと思ってた」

「なら、あんたこそ行きなさいよ」

「あはは……狩谷さんもユリさんも、できるとこまでで大丈夫だよ」

「わかりました」


 ほとんど練習してないとは言っても、息抜き程度にちょっと触るくらいはしている。

 だから押さえ間違いとか、途中で詰まっちゃったり不格好ではあるけれど、なんとか通すくらいなら。

 天野さんに譜面を簡単にしてもらったのも大きい。


 一方のユリはと言えば……なんか、めっちゃ上手くなってる。

 それが合ってるのかどうかは知らないけど、雰囲気と聞いてる分には、ほとんど完璧と言っていいんじゃないだろうか。

 天野さんも、パチパチと控えめに手を鳴らした。


「すごいねー。ちょっと譜面無視してるところもあるけど、ロックならむしろ味だね」

「あざーす!」


 ユリは、返事と一緒にジャーンと弦をつま弾く。


「あんたのスペックどうなってんの?」

「来る日も来る日も、朝から晩まで練習しました」

「その集中力を他のことにも活かしてくれ」


 いやいや、あらゆる面で発揮はされているんだけども。

 なんていうか、もっとマトモなことに発揮してくれ。


「なんか、部活終わったら手持無沙汰でさー。かといって勉強するモチベでもないし。こう、熱を向ける場所を身体が求めてるのさ」

「いっちょ前に部活ロスを感じてるわけね」


 そういうことなら仕方――なくないけど、目の届く範囲ではっちゃける分にはいいか。

 世の中には部活を引退した瞬間に髪を染め、ピアスを開ける人もいる。

 そういうところはいくら進学校とは言え、ウチの学校も例外ではない。


 そう言う意味だと、この時期に忙しい学園祭を持ってくるのは、モチベーションのコントロール的な意味合いもあるのかもしれないな。

 この日程を伝統づけた当時の生徒会を少しだけ見直した。


「狩谷さんは、サビのとこがちょっと苦手みたいだね。コード、押さえにくい?」

「押さえにくいというより、指先がちょっと痛くて」


 そう言って、左手の指の腹を撫でる。

 切れたり血が出てるわけじゃないけど、ほんのり熱ぼったくて、皮膚が張ってるような感覚。

 すると、天野さんが私の手を取って、同じようにまじまじと指先を眺めた。


「これはやってるねえ。最初の内は誰もが通る道だよ。絆創膏貼る?」

「いえ。絆創膏貼ると、なんか調子狂っちゃって」

「じゃあ液絆にしよう。頻繁に塗り直すことになるのが面倒だけど――」


 天野さんは一度リビングに引っ込むと、しばらくして液体絆創膏の容器を持って帰って来た。


「はい、じゃあ手出して」

「はい、じゃなくて。それくらい自分でできますよ」


 当たり前のように手を差し出して来たので、咄嗟に身を引いてしまった。


「こういうのはやってもらった方が早いんだよ。それにちゃんとしたやり方教えてあげるから」

「そういうことなら、まあ」


 もっともなことを言われてしまったので、しずしずと手を差し出す。

 天野さんは左手で取ると、右手で持った液絆のハケを私の指先に滑らせた。


「絆創膏として使うなら二回くらい重ねればいいけど、この場合は五~六回塗り重ねるのがおすすめかな。すぐ剥がれちゃうと思うから、気になるなら薄手のテーピングを上から巻くのもいいね」


 言いながら、彼女は五回ほど液絆を塗り重ねてくれた。

 指先をハケでいじくりまわされるのは、思いのほかこそばゆくて背筋がぞくぞくする。

 それも三回目くらいからは、しっかりコーティングされはじめたからか何も感じなくなってくる。

 そんな様子を、ユリがしげしげと見つめていた。


「星って、年上には甘えんぼさん?」

「え、いや、そんなんじゃないけど……?」

「むう……」


 慌てて答えるけど、手は良いようにされっぱなしなので、見てくれには何の説得力もない気がする。

 ユリは至極真面目な顔で、じっと私のことを見つづける。


「……なに?」

「実はさっきからすごくトイレ行きたい」

「自由か」


 天野さんにトイレの場所を教えてもらったユリは、一目散に飛んで行ってしまった。


「ユリちゃんは相変わらず元気だね。はい、終わり」


 そうこうしてる間に、指先の液絆コーティングが終わっていた。

 弦を押さえても痛くはなくなったけど、押さえている感覚もなくってなんだか変な感じ。


 テカテカになった指先を気にしながら、天野さんに頭をお礼を言う。


「ありがとうございます。何とかなりそうです」

「いえいえ。ところで、狩谷さんの好きな子ってもしかしてユリちゃん?」


 天野さんが、液絆の容器を片付けながらいう。

 あまりに自然なくだりだったからか、私は思わず、聞き流してしまうところだった。


「はい?」


 その時、どんな顔をして彼女を見つめ返したのか、自分自身で分かるはずもない。

 少なくとも天野さんは、いつも通りののほほんとした笑顔を返してくれた。


 確かに、前に彼女に恋愛相談をした記憶はあるけれど、あれ、具体的なこと何か言ったっけ。

 かなりぼかして伝えたつもりだし、少なくとも同級生だなんてひと言も言ってないような……つもりなだけで、もしかして口にしてた?

 頭の中で「なんで?」が連呼して、考えが上手くまとまらない。


「ど……どうしてそう思うんですか?」


 自分で考えられないので、もう直接聞いてみることにした。


「彼女のことを見る表情が、すごく恋する乙女だから?」


 なんだそれ、凄く恥ずかしいんだけど。

 そんな、顔、出てる?

 そんなはず……ほら、今まで誰にもバレたことないわけだし。

 だとしたら目の前の彼女が恐ろしいほどに敏感か、周りがみんな気づいてて見て見ぬふりしてるか……?


 後者だと世の中怖ろしいことになるので、前者であってほしい。

 前者であれ。


「ああ、いいねえ。青春だねえ」


 何にも答えてないのに、天野さんは確信を得たのか、うっとりした顔でため息をついた。

 やっぱり顔に出てるのかな。

 私は咄嗟に両手で顔を覆う。

 厚塗りした液絆を通しても、しっとり濡れた肌の熱さに手のひらも汗ばんだ。


「あの……このことは……」

「大丈夫大丈夫。私、恋愛おせっかいおばさんは絶対しないから」


 彼女が今どんな顔でそう言ってるのか分からないけど、その言葉だけは信じてもいいような気がした。

 少なくとも、同級生の女の子のことが好きな私のことを、当たり前のように受け入れてくれたらしい彼女のことは。


「あれ、星終わった? なにしてるの?」


 いつの間にか、ユリが部屋に戻ってきていた。

 私は大きくひとつ深呼吸をしてから、顔を覆った手を話して、代わりにベースを担ぐ。


「時間なくなっちゃうから練習するよ」

「おお、やる気だね? よーし、目指せ武道館!」


 あり得もしない目標を掲げて、かき鳴らされたユリのギターの音だけが耳の奥に繰り返し響いていた。

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