その日、生徒会室はどんよりとした雲に覆われていた。
部屋の中に雲があるわけじゃないけど、少なくとも新幹部たちの頭の上には、悲壮感溢れる分厚い影がかかっているような気がした。
「……で、どんな具合なの?」
私を古巣へと呼んだ張本人である新生徒会長の銀条さんは、かつて私が座っていた生徒会長デスクに座ったままくぐもった声で答えた。
「控えめに言って超ヤバいです」
「マジヤバそうだね」
あの銀条さんがこれだけ頭の悪そうな受け答えをするのだから、事態はよっぽど深刻なんだろう。
いつもはユリなみに元気な金谷さんも、日々登山部で鍛えられていると噂の確か……能登さんも。
張り付いたような笑みを浮かべたまま、目には一切生気を感じられない。
「あと一週間でしょ? 時間はまだあるって」
一週間後に、新生徒会最初の一大行事である生徒総会がある。
春と秋、年二回ある生徒総会だけど、重要度で言えば秋の方が桁違いに高い。
秋の生徒総会は、新生徒会承認の決議を取る場であり、同時に新生徒会からの議題・提案を決議する場でもある。
要するに「私たちはこれからこういう一年間を作っていきます」っていうのを話し合い、承認してもらうためのものであって。
生徒会の実力を試されていると言っても過言ではない。
「とりあえずここ数週間での一番の成果は、狩谷先輩がいかに楽をしていたのかと、心炉先輩がいかに超絶有能キャリアウーマンだったかということです」
「あのねえ」
そんな、ホントのことをズバッと言う必要ないじゃないか。
しかも本人の前で。
そんぐらい追いつめられてるってことなんだね。
「心炉が有能なのは、まあその通りとして……あと私もちゃんと働いてたってのは口を大にして言わせてもらうけど」
相対的に見たら何もしてないように見えるかもしれないけど、そんなことはない。
そんなことはないはず。
そんなことないよね?
新幹部たちは口をそろえて「はい」と言って頷いた。
もう、頭空っぽで何も考えてないのかもしれない。
それならそれで話もしやすいけどさ。
「とりあえず何で詰まってるの? 議案出し? 資料あつめ? それともレジュメ作り?」
「一番のネックは資料とレジュメですね……いかんせんこの学校、歴史だけはあるものですから」
銀条さんは、壁一辺をずらっと埋め尽くす資料棚を遠い目で眺めた。
「確かに私も最初にこれ見た時は気圧された」
棚に並んでいるのは歴代の生徒会が使用した大型のバインダーだ。
だいたい一個で生徒会一期分。
たまにVol.2がある期もあるけど、目の前の歴史の中では稀なほうだ。
その末席に並んだ私の代は、Vol.2ほど行かなかったものの、バインダー一冊がパンパンになるくらい。
そのお隣の牧瀬生徒会のバインダーはと言うと、ご想像の通り二冊にわたるうえに、両方ともパンパンという状態だ。
これはたぶん、彼女の生徒会の柱となっていた「月一イベント」の実現に向けた資料や検討材料を積み重ねていった結果だろう。
ゼロからイチを生み出すのには、それくらいの労力がかかるんだっていう良い見本だ。
「それこそ、心炉が遺してくれた引継ぎ資料は? あんま役に立たなかった?」
「いえ、そんなことは!」
銀条さんはぶるぶると激しく首を横に振る。
私が無能さを否定したときも、それくらい反応してくれたら嬉しかったんだけど。
「ただ生徒会として議題を提案する以上は、過去にその議題が扱われていないか。扱われていたのであれば、なぜその時は解決しなかったのか。そして、なぜ今もう一度議題として提示して、解決しなければならないのか。そこを詰める必要があると考えています」
ううん……真面目だねえ。
言っていることはすごく正論。
生徒会長の鑑だね。
私もそう考えた時期があったけれど、同じようにすぐに気づくんだ。
あ、これ終わんねーや――って。
別にそこまでしなくていいよ、なんていうのは簡単だ。
簡単だけど、果たしてそれでいいのだろうか。
いや良くない、と反語で返せたらカッコいい先輩なんだろうけど、あいにく私は部下の有能さにかまけて楽をしていた不良生徒会長だ。
目の前で頑張っている彼女たちに対して、そんなこと言える口は持ってない。
「わかった。じゃあ、私からひとつだけ金言を授けよう」
そう前置くと、落書きみたいな顔になってた他ふたりも顔をあげて、ごくりと息をのんだ。
「南高生の九割は……」
「九割は……?」
「……生徒総会にそこまで興味はない」
「え……えええええ?」
戸惑ったような悲鳴が三方から同時に響いた。
「だってそうでしょ。基本的に無理のある提案なんてしないわけだから。議題は基本的に全て可決される。可決されるようにこっちも準備してるわけだしね」
「で、でも、去年だってめちゃくちゃ活発に質疑応答が交わされてませんでした?」
銀条さんが必死に訴えかける。
ウチの生徒総会の進行は、まず生徒会側から議題とその解決策の提案を行う。
それに対して生徒側から質問を行い、生徒会がそれに応える。
質問が無くなったら採決に入り、満場の拍手で可決。
この三段階を議題ごとにひとつずつ行っていく。
この質疑応答というのが、別に仕込みをしているわけではないのだけど、毎年それなりに活発に行われるのである。
もとを正せば大昔に前身となった学校が、近所の大学の学生運動のあおりをうけて生徒自治をお題目に掲げ、今の生徒会と生徒総会のあり方を作った――と言われている。
真偽は定かではない。
ただその流れを汲み取っているのか、どんな議題にも必ず誰かが質疑を行うことというのが、暗黙の了解のようになっている。
「生徒総会に興味はない。けど、ひとつのイベントとしては興味がある」
「イベント……ですか?」
「要するに、あいつらは質疑応答と言う名の大喜利をしに来てる」
「大喜利……?」
銀条さんも金谷さんも能登さんも、みんなぽかんとして言葉を失ってしまった。
「議題を覆そうなんて気はさらさらない。よっぽど変な内容じゃなかったらね。突拍子もない質問や提案。そして重箱の隅を突くようなレジュメのあら捜し。それを乗り越えるのが目的の……なんていうか……新生徒会の洗礼の儀式みたいなもんなんだよ」
「じゃあ、適当にやっても大丈夫ということですか?」
「まあ、そこが難しいところでもあるんだけど……」
これは何か感覚的なところだから、何と言うのが正解なのか分からないけど。
「納得させるだけの内容を詰めるのは必要。だけど全て生き届かなくて、穴や粗があってもいい。それを見つけた奴らが喜んで質問台に並んで、一個一個、丁寧に埋めてくれるから」
だからそう。
アヤセによく言われたあの言葉なら――
「全校生徒を頼るっていうか使う。みんなの学校なんだから、全てを生徒会で背負う必要はないんだよ」
背負おうとしたってできやしない。
だってできなかったから。
よくも悪くも私の場合、「できてしまう」人が先代だったのが運の尽きだ。
「……という感じで参考になるかな?」
「はい。なんとなく……雰囲気的なものは掴めたような気がします」
「なら良かった」
これでスッキリ安心……とまではいかないけど。
少なくとも部屋のお通夜ムードは、多少前向きな感じに変わったので、役目は果たしたと思っておこう。
私も一度は通った道だから、頑張れ新生徒会長。
今年の私は、文字通り高みの見物を決め込むよ。