「よっ」
「うん」
休み時間にトイレの鑑を使ってたら、ちょうど個室から出てきたアヤセとはちあった。
彼女は洗面台で丁寧に石鹸を泡立てると、慣れた手つきで念入りに手を洗う。
「いつも思うけど、そこまで必要ある?」
「ウチ食品扱うからさ、厳しいんだよこういうの」
「ふーん」
「そういうお前はさっきから何やってんだよ」
「ニキビ。最近増えちゃってさ」
前髪を軽くかきわけて、鏡に額を寄せる。
ぽつぽつと白い痕がいくつか。
髪に隠れることと、赤くなったことがないのが救いだけど、女子高生最大の天敵だ。
「ストレス溜まってんじゃねーの?」
「そうかも」
流石に洗顔だけじゃケアも限界かな。
ドラッグストアで寝るときに塗るタイプの薬を買って帰ろう。
「アヤセって肌綺麗だよね」
「え、そう? いやあ、なーんもしてないんだけどな」
「そういう言い方はむかつく」
精一杯の恨みを込めて肘でどついてやると、アヤセは苦笑しながら申し訳なさそうに手を合わせた。
謝るくらいなら最初から言うなってもんだ。
「しいて言えば、飽きるほど和菓子食わされてっからかな?」
「お菓子食ってるだけじゃん」
「お前、あんこもきなこも食物繊維の塊だぞ。きなこはタンパク質もたっぷりだし」
「そんなわけ……マジだ」
あるわけないと思ってスマホで調べたら、確かにすごかった。
言われてみれば主成分豆だもんね。
しかも、きなこは畑のお肉こと大豆だ。
「私もあんこは好きだけど、その辺で売ってる安い和菓子って、歯の裏痛くなるくらい砂糖入っててな……」
「歯の裏痛いのは分からんけど、素材の甘さで勝負するウチのあんこをご贔屓に」
「あんたと友達になったせいで、和菓子のハードル上がってんだって」
「ええー、んなこと言われてもなあ」
上を知らなければ下に嘆くこともない。
コンビニ和菓子で満足できない身体になってしまった責任は、いずれ何らかの形でとってもらおう。
「てか、いつまで洗ってんの。カッサカサになるよ?」
いまだに手のひらモコモコにしてるアヤセを横目に、私は前髪をもとの形に戻して、さっと手を洗う。
「ああ、そうな……ハンドクリームある?」
「いや、あるけど」
ハンカチで手を拭いてから、化粧ポーチの中のハンドクリームを取り出す。
同じくハンカチで水気をぬぐったアヤセは手の甲を差し出してくる。
私はそこに、絞り出したクリームを落としてやった。
「うわっ、ちょっと多くね?」
「そう? じゃあおすそ分けしてよ」
「いや、待った。一応、塗ってからな」
「はいはい」
仕方がないので、ポーチを片付けながら彼女がクリームを手に馴染ませるのを待つ。
何だろうなこの感じ。
なんか、いつもに比べたら雑にペースを掴まれてるような気がする。
「最近、やけに絡むじゃん」
口を突いて出た言葉に、アヤセは唸りながら僅かに首を傾げた。
「うーん、なんつったらいいのかな……あ、とりあえずおすそ分けやるわ」
「そっ」
ふたり固い握手を結ぶように、両手をぎゅっと握りあう。
確かに、ちょっと出し過ぎたな。
でもおすそ分けしてもらった分だけじゃちょっと足りなくて、結局またチューブを取り出して、少しだけ塗り足しを行った。
「合格発表、明日でしょ? そんなに心配なら一緒に見てあげようか? WEB公開でしょ?」
「え、マジ?」
アヤセは顔をあげて、引きつった笑みを浮かべた。
けどすぐに口をへの字にまげて、ぶるぶると首を横に振る。
「いや、やっぱいいわ。ひとりで見る」
「そう?」
「代わりに分かったらすぐ電話するわ」
「分かった」
まあ……土曜日は何も用事無いし大丈夫かな。
それにしても、一昨日もそれなりに気を張ってるなとは思っていたけど、まさかこれほどとは。
確かに妙なところでナーバスなやつだけど、基本的には鉄面皮だと思ってたんだけどな。
知られざる一面ってことで良いのかな……?
「ところで星さ……」
「なに?」
「んー、いや! やっぱそれもいいわ!」
「なによ?」
気になるじゃないの。
けど「やっぱいいわ」と言った彼女の決意は固いようで、問いただしても口を割ることはなかった。
そんなの余計に消化不良なだけなんだけど。
仕方がない。
こういう時は、余裕がある方が気を遣ってやるのが筋ってもんだ。
「ちゃんと合格してたら合格パーティーくらい開いたげるよ」
「それ、落ちたらどうすんだよ」
「ううん……残念だったねパーティー? それとも来年また頑張ろうねパーティー?」
「まだ受験残ってるわ! たくもー、こういう時くらい優しくしてくれたってよー!」
「あげたじゃん、優しさ」
「ハンドクリームだろ。しかも何割か返したし」
「文句が多いじゃないの」
「うちは料理店じゃなくて和菓子屋なんだぞコラ」
そこまで言い合って、どちらからともなくふっと笑みがこぼれた。
「料理店ってなに? 宮沢賢治? あれ、多いのは文句じゃなくて注文でしょ?」
「綺麗にして、身だしなみ整えて、おまけにクリームっつったら、なんかそういう流れだなって」
「それにしたって和菓子屋なんだぞって返しは狙いすぎ」
「そうか?」
「上手いこと言ったとか頭ん中で思ってたでしょ」
「バレたか」
「やっぱり」
呆れたようなトーンで返しておいて、私はポーチを手に取る。
そろそろ授業も始まるし、あんまり長居もしていられない。
「電話、待ってるから」
それだけ言い残して、私はトイレを後にする。
背中に受けた「おう」の返事は、やっぱりどこか自信がなさそうに感じた。