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10月21日 備忘録

 週末が訪れる。

 ことここに至っては、一週間の終わりというやつが恐ろしいものに感じられるような気さえする。


 一週間が過ぎる。

 二週間が過ぎる。

 気づいたら一ヶ月。

 半年。

 そして――


 あっという間にこの日記も半分以上が過ぎている。

 毎日特筆すべきことばかりではないけど、無理にでも何かを探すっていうのが、今では日課のようになっていた。


 思えば、なんで律儀に日記をつけ続けているのか自分でもよく分からない。

 あれは卒業式の前日。

 二月の末日に続先輩に呼び出しを受けて、餞別代りに貰ったのがこの日記帳だった。

 ページはちょうど一年分。

 包装も、なんの特別感も感じられない形で手渡して来た彼女は、単純にひとこと「使ってくれたら嬉しいな」って。


 そのまま本棚の肥やしにするのは簡単だったけれど、それはそれで先輩に負けたような気がしてしまって。

 いつしかこうして、当たり前の日課になってしまった。


 日記なんて、生まれてこの方、習慣にしたことがなかった。

 SNSとかで毎日のつぶやきをしていたことはあったけど、誰が見ているのかも分からない言葉を連ねることに、果たして何の意味があるのだろうか……と、思い始めたらキリがないもので。

 結局、どれも長続きがしなかった。

 写真を撮るのもおっくうだし、今はもっぱら見る専門だ。


 だけどこうして、決して誰にも読まれない日記を続けてこれたのは、流石に先輩への反骨心ばかりではないと思っている。

 毎日書かなきゃいけないというのは、ある種の義務感によるもの。

 だけど日を重ねるごとに、何も書くことがない一日があるというのが、この上なく許せなくなってきた。

 なんでもいいから、文字通り特筆すべきことを。

 小学校の夏休みの絵日記で一番嫌いだったのが、「今日も楽しい一日でした」が約一ヶ月続く、情緒もへったくれもない一冊。

 そんなのを書くくらいだったら、朝顔かメダカの観察日記でも書いた方が良い。

 でもそれって、自由研究扱いになるんじゃないだろうか。

 結局、絵日記の題材にはできない。

 そんな葛藤。

 まだ、楽しい夏休みが当たり前にやってくるものだと信じていたあのころ。

 少なくとも、今こうして筆を進めているのは、その時の気持ちとは一八○度違うと思う。


 これを書くことに、いったい何の価値があるんだろう。

 分からないけど、すべてを書ききったあとに、ドヤ顔で先輩に啖呵を切ることだけが、私の少ない楽しみだ。

 今どき手書きっていうのも前時代的な感じがするけど、自分で管理している以上は誰の目に触れることもないっていうのは、高い秘匿性を持っていると思う。

 ついでに、現国の成績がちょっとだけ高めで安定するようになった。

 ものを書くのと同時に、読む力も高まっているのかもしれない。


 そもそも、現国って謎な教科だよね。

 正しい日本語を学ぶ意味はあるかもしれないけど、文章から作者や登場人物の思惑を読み取ったからって、何になるというんだろう。

 こうして毎日日記帳に文字を連ねているわけだけど、込めている感情なんて九割方「めんどくさいな」とか「眠いな」とかくらいしかない。

 言葉の裏に秘めた想い?

 ありませんけど?

 無意識に滲み出す何かとはあるのかもしれない。

 でも無意識の感情であるなら、なおさら読み解く意味なんてないじゃないか。

 仮にそれを学びに変えさせたいなら、倫理とかそういう授業の単位にしてくれ。

 だったらまだ納得の余地があるというもの。


 なんて、どうでもいい愚痴が広がるのは、今日も一日平和だったっていうことの証明だ。

 特筆すべきことが何もなかったから、日記を書く自分というものを俯瞰してみる。

 古文でそんなんあったね。

 男がやってる日記というものを女の私もやってみました――というていの、男性作者の創作日記。

 紀貫之だっけ。

 そう言えば、古文は文字通り昔の文章を読み解く単元であり、裏を返せば新しい作品が世に増えるということはまずない。

 だから毎年の入試のたびに、今年はどの作品が題材として選ばれるのかを予想するのを楽しみに生きている人もいるとかいないとか……うん、良い感じに字数が稼げたね。

 どうせ書くからには、一ページ一ページ、目立った空白が生まれないくらいにはちゃんと書き記したい。


 こと小説とか、そもそも本自体になみなみならない関心を持っているわけではないけれど。

 最近は自分なりの装丁の美学みたいなのがあるような気がして。

 少なくとも、ぱっとページを見開いた時にスッカスカの本よりは、多少つまって見える本の方が気持ちがいいと感じるようになった。

 気持ちがいいだけで、内容が好きとか嫌いとかは全く別の話なんだけど。

 かと言って、学術書みたいに開業なしでびっちり書かれているものも、それはそれで息苦しい。

 程よい改行と息継ぎのような余白。

 そのバランスのうえに本としての美しさがある、と思う。


 さて、程よくページの終わりが見えてきたところで、備忘録代わりにこの週末やらなきゃいけないことでも書き連ねておこう。


・中間テストの見直し

・アヤセの合格祝い(もしくは残念会)

・シングの楽譜をとりあえず最後まで弾いてみる

・来週の模試の準備

・ユリにあげる英単語帳の作成

・あんこが食べたい

・化粧水が切れそうなので買っておく(そろそろ冬用にシフト)


 姉から、母親の誕生日のネタもくれって言われてたのを思い出す。

 毎年合同でプレゼントを買っていたけど、今年は姉が東京にいることもあり、あっちで何か見繕って送ってくれるということだ。

 そこで普段一緒に暮らしている私は、母親が欲しそうなものをリサーチしてくれと頼まれたわけだ。

 なんだって喜びそうな気がするけど、まあ、少しは案を考えておこう。


 そういうわけで今週も一週間おわり。

 明日のアヤセの合格発表は気になるけど、私が焦っても仕方がないことだし、どんな結果であっても寛大な心で受け止めてやろう。

 もちろん、本心を言えば「おめでとう」の五文字をちゃんと口にしたいけどね。

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