今日は比較的よく集中できている。
珍しくユリからのメッセージもなく。
逆にちゃんとやってんのかって心配になって、こっちから調子を尋ねてみたら、あっちも今日はダレることなく続いているみたいだった。
なんだかんだで放課後勉強会はやる意味があったみたい。
数学とか、英語とか、集まって教え合った方が良い(ほとんど一方的にユリに教えてる感じだけど)教科は勉強会の時間にやって、帰宅後や週末の家で一人でいる時間は、世界史とか生物とかの暗記が中心の教科に集中する。
ユリは現文古文と日本史はかなりの地力があるから、改めて猛勉強が必要なほどの状況じゃない。
ヤバい教科をなんとかすれば目があるっていうだけでも、だいぶマシな状況だと思う。
「星が行ってないなら行かなくていいかな?」
ユリに以前「塾とか行かないの?」って尋ねた時に、彼女はそう答えた。
私が行かないから、行かない。
そこに一切の論理的な根拠はないような気がするんだけど、行かないと言っているものに余計な口を挟むつもりはない。
私に教わるよりは、行った方が良いんじゃないかな……って気持ちはないわけじゃないけど。
一度は塾の講習を体験した身だからこそ、それなりに有意義な場所だろうなっていうのは分かっている。
ただ、私にとってはあまり価値を感じなかったというだけで。
まあ、受験のための勉強の仕方とか、受験のための問題の読み方&解き方みたいな思考があるっていうのを学べただけでも、大きな収穫だったかな。
私は、英語をマスターするために勉強してるんじゃない。
テストで点を取るために勉強してるんだ。
そういう意識改革みたいなのは、誰かに植え付けて貰えなきゃなかなか起こるものじゃない。
俗にいう〝天才〟っていうのは、そういう「より適した別の方法もある」ってことに自分の力で気づいて、勝手に実行できるヤツなんだと私は思う。
不意に、ベッドに放っておいたスマホが震えた。
メッセージじゃなくて着信だった。
いい加減にユリの集中力が切れたのかな。
そう思いながら拾い上げて画面を見ると、そこに表示されていたのはアヤセの名前だった。
完全に油断していたので、慌てて受話ボタンを押す。
「はい。どうした?」
どうした、なんて用事は分かり切ったことなんだけど。
ただ耳に押し当てたスピーカーの向こうでは、謎の沈黙が続く。
「あれ、もしかして通話変になってる?」
『いや、聞こえてる』
「なら良いけど」
じゃあ、何の沈黙だったの。
せめてうんとかすんとか返して欲しいんだけど。
ただ、いつもの彼女に比べたらどうにもテンションが低い。
ここ最近ナーバスだったのを差し引いても、輪にかけて低い。
今日は、彼女の受験の合格発表の日だ。
受かっても落ちても連絡をする、と彼女は約束をしてくれた。
それでこんだけテンションが低いならもしかして……なんて嫌な予感が頭をよぎってしまう。
だけど、仮にそうだとしたらなんて話を切り出したらいいんだろう。
「受験どうだった?」なんて、流石にストレート過ぎるかな。
でも良い感じのオブラートの包み方が分からない。
電話してきたのはアヤセなんだし、そっちから話を切り出してくれたらいいのに。
「どうした。やけにテンション低いじゃん」
仕方なく、とりあえず今目の前の状況をそのまま伝えてみた。
元気がなさそうだから心配した。
言葉の上では、それ以上でもそれ以下でもない。
『あ、そう?』
「いつものアヤセだったら、もうちょっとジャイアンみたいな感じじゃん」
『それは果たして誉め言葉と受け取っていいんだろうか?』
軽口を叩く元気はあるみたい。
ひとまずそれは安心した。
「ジャイアンって言えば、今のジャイアンっていじめっ子っぽい行動一切してないらしいね。コンプラ的ななんやかんやで」
『マジ? 常に映画版仕様ってこと?』
「ただの俺様イケメン」
『マジかよ。のび太の株が相対的に下がるじゃん』
それは言い過ぎだと思うけど……いうて、ジャイアンは元から「根は良いヤツ」キャラだし。
ヤンキーが捨てられた子犬を拾ってるのを見かけてドキッ、みたいな要素はなくなってしまったのかもしれないけど。
でも更生した不良より、真面目に生き続けてるヤツのほうがずっと偉いってこち亀かなんかでも言ってたし、私はそっちの論の方が好きだ。
「いや、まあ、ジャイアンの話はこの際どうでも良いんだけど」
自分の言葉で話が脱線してしまったので、修復も自分で引き受けておく。
前置きもしたし、そろそろ突っ込んでもいいのかな……?
なんか、この空気も耐え切れなくなって来たし、少し思い切ってしまった方がいいのかもしれない。
「受験どうだった? 今日、発表だったんでしょ?」
『え? ああ、まあ、そうな』
微妙に歯切れの悪い返事。
けど、アヤセはすぐに言葉を続けた。
『受かってたよ』
あまりにあっけらかんに言うので、言葉を理解するのにちょっとだけ時間が必要だった。
そして理解してくると、ふつふつと怒りでもない……なんかこう、取り越し苦労にやきもきしてしまった己の不始末みたいなのが、胸の奥からざわざわと沸き起こった。
「はあ? なら最初からそう言ってよ。落ちたのかと思って気い遣っちゃったじゃん」
『落ちたと思ってた? なんだよ、私が落ちるとことか想像できないとか言ってたくせに』
「あんたがやけに低いテンションで電話してきたからでしょ」
『そんなにか? いつも通りのつもりなんだが……』
言いながら電話の向こうで首をかしげてるらしいアヤセは、確かにいつも通りのようにも感じられた。
だったらなおさら取り越し苦労じゃないか。
「おめでとう」
完全にタイミングを逃しちゃったけど、私は準備していた言葉を彼女に伝える。
『おう。サンキュ』
アヤセはそれを、いくらか優しい声で素直に受け取ってくれた。
「約束通り合格祝いしなきゃね。明日空いてるなら、ユリと心炉の予定も聞いとくけど」
すると、またしばらくの沈黙が帰って来た。
電話口が遠いのかな。
それとも電話しながらなんか別のことでもやってる?
「ねえ、きいて――」
『そのことなんだけどさ』
催促するように口を開きかけたところで、彼女の言葉に遮られた。
会話のお見合いになったときは、何となくお互い会話を止めて、先を譲り合うような形になるものだけど。
今回ばかりは私が口を噤んだところに、アヤセがかぶせ気味に続けた。
『明日、ちょっとだけで良いから会えねえ?』
「うん。だから今、そういう話を――」
『そうじゃなくって』
否定の言葉を口にして、アヤセは小さく息を吐く。
その息遣いは、この間トイレで話した時の、どこか不安げな様子そのままだった。
『いつメンは抜きでふたりで』