この病院に来るのは二度目のことだった。
二ヶ月ほど前に、須和さんに連れられてお婆さんに会いに来たのが始めて。
そして、ユリのお父さんも同じ病院に入院しているのだということを訪れてから始めて知った。
今日のお見舞いは、ユリと私と、私の両親と。
ユリの今後のことに関しての打ち合わせも兼ねての訪問だった。
ベッドの上で身動きが取れない様子のユリのお父さんは、ひと目見た時は少々痛々しかったけれど、しばらく話していると思ったより元気だなというのが、言葉の端々から伝わって来た。
本当に「動けない」以外は元気なんだろう。
それを見れただけでも安心だった。
軽い挨拶を済ませた後に、娘たちは一端席を外して、大人同士での打ち合わせタイムが始まった。
しばらくの間、ウチがユリの保護者役を引き受けるわけだから、きっと親たちの間では、私たちが考えている以上に真剣で大事な話をしているのだと思う。
そして娘たちが口を出す問題ではないので、私たちは外の休憩室で終わるのを待つことにした。
「お母さんもね、ここの病院だったんだ」
並んでソファーに座っていると、ユリがそんな事を口にする。
手には、すぐ傍の自販機で買ったいちご牛乳のパックが握られていた。
「良い病院なんだ?」
「んーん。家から一番近いからだって」
なんだそりゃ。
思ったより俗っぽい理由のせいか、病院という慣れない環境でこわばってた身体の力が緩む。
「そう言えば、ユリのお母さんのことってあんまり聞いたこと無かったなって」
「確かに、聞かれた覚えがないよ!」
「いや、まあ……私が聞いたところで何なんだって話な気もするし」
「そうかな? そんなこと無いと思うけど」
「じゃあ、どんな人だったのかくらい聞いてみようかな」
私の問いかけに、ユリは明後日の方向を見上げて小さく唸る。
「うーん、元気な人だったかなぁ」
「それは、ええと、どういう?」
身体が弱いのに元気とはこれいかに?
「身体は弱いんだけど、ドラマとかで見る薄幸の御婦人って感じじゃなくて、どっちかというと……そう、肝っ玉かあちゃんみたいな感じ!」
「肝っ玉かあちゃん……」
ヤバイ。
全然イメージが湧かない。
ビジュアルイメージだけで言えば、ユリの家にお邪魔した時に遺影は拝見したことがあるけど、そこに写っていたのは有体に言えば優しそうなお母さんという感じの人だった。
ユリに似ているかと言われると、ううん……どちらかと言えば、ユリはお父さん似だと私は思う。
目元や口元がハッキリしてるところとか。
お母さんはどちらかと言えば顔の印象は薄い方だった記憶。
「良く笑ってたし、怒るときは怒るし、性格はハッキリしてたかな」
「ユリみたいじゃん」
「ほんと? だったら嬉しいな」
つまり、見た目はお父さんで中身はお母さんを引き継いだってことなのかな。
そう考えたら多少はイメージも付きやすくなってきた気がする。
「ユリみたいなのがふたりもいたら、家の中が賑やかそう」
「どうかなぁ。あたし、大人しい子だったから」
「嘘でしょ」
「嘘じゃないもん! 親戚やご近所さんから『犬童さんちの友梨ちゃんは、いつもお人形さんみたいだねえ』って言われて育ったもん!」
そこ、そんなにムキになって否定するところ?
でも否定されたらされただけ、固まりかけた在りし日の犬童家のイメージがどんどん崩れていく。
そもそも大人しいユリってどんなんだ……?
私はその時点でもう想像を放棄するレベルだけど。
「痛いのとか怖いのとか苦手でさー。アニメの鬼太郎とか見て泣いちゃうくらいだったし、ちょっと転んだらびえんびえんだったし……あっ、星は今でも怖いの苦手か」
「どうして急に私をディスった?」
「えー、ごめん! そういうんじゃなくって!」
「まあ、それは事実だから良いけど……その泣き虫ユリちゃんもいつの間にか強くなったわけだ」
「大人になったってことだね!」
唐突にいい話風にまとめようとしたね。
「あっ……レディになったってことだね!」
なぜ言い直した?
しかも特に意味のない言い直しだし。
そうこうしてる間に、廊下の向こうから母親が歩いてくるのが見えた。
私たちを呼びに来た様子だし、話し合いが終わったのかもしれない。
私もユリも立ち上がって、病室へ向かうことにした。
「ひとまず、友梨ちゃんは正式にウチで預かることになりました。とりあえず十一月いっぱい。その後は、怪我の経過を見ながらまた相談しましょうってことになってます」
みんな集まった場で、ウチの母親が話し合いの結果を報告してくれた。
ユリのお父さんも、ベッドの上で深く頷く。
どうやら、腰の怪我というのがなかなか難しいところで。
治りが遅いと、快復は年末まで伸びる可能性もあるそうだ。
そしてそれは、実際に療養してみないと分からない……という事らしい。
「友梨ちゃんは、いつから来てくれても大丈夫だからね。春まではお姉ちゃんもいたし、四人で暮すのは慣れてるから」
「ありがとうございます! お世話になります!」
ユリは元気よく(だけど病室なので控えめに)返事をして、ぺこりと頭を下げた。
ユリのお父さんも私と両親ひとりひとりに、丁寧に頭を下げてくれた。
私に向けて「よろしくお願いします」と言ってくれた時の心底安心したような表情が、妙に記憶に残っていた。
それから本格的な引っ越しは後日とするにしても、今日はウチでご飯を食べて行きなということになった。
ウチでは良いことがあったときはだいたい家族で鉄板焼きを囲う。
姉がいなくなって今年は回数が激減したけど、ユリの歓迎会も兼ねて、久しぶりにみんなで鉄板を囲んだ。
「もう、このまま今日も泊まってく?」
ご飯も食べ終えて、私の部屋でしばしの間ふたりでゆっくりする。
私は割と本気で訊ねたつもりだったけど、ユリは笑いながら首を横に振った。
「学校の道具もなんも持ってきてないし、今日は帰るよ」
「ひとりで大丈夫?」
「大丈夫! 今度からはそうじゃないって決まったわけだし!」
ユリは、ぐっと両手で力こぶを作ってみせる。
確かに、この間までに比べたら元気になったのかな……?
「ユリには、この部屋を貸すから。私が姉の部屋で寝るよ」
「それなんだけどさ……あたし敷き布団で良いから、寝る部屋一緒じゃダメ?」
「えっ……いや、いい……けど、どうして?」
「星の家に泊る時っていつもそうだから、なんかそっちの方がいつも通りっていうか……安心するからかな?」
最後、どうして疑問形になったんだろう。
けど、そう言ってくれるのは私にとっては素直に嬉しいことだった。
「いいよ。じゃあ、この部屋で一緒で。何か集中したいことがある時だけ、私があっちの部屋に行くから」
「うん、ありがと」
ユリは嬉しそうに微笑んで小さく頷いた。
お父さんにも頼まれたんだもの。
私がユリに寂しい思いなんてさせはしない。