そういうわけで、ユリがウチに来た。
学校帰りに一瞬家によって、スーツケースに詰めた着替えやらなんやらを持って、そのまんまウチへやってきた。
「しばらく御厄介になります。これつまらないものですが……」
夕食の席でそう言って取り出したのは、これも学校の帰りにアヤセの家に寄って買った菓子折りだった。
「そんな、気を遣わなくていいのにねえ。じゃあ、お夕飯食べたらこれでお茶にしましょうか」
母親は口ではそう言いながらも、どこか浮かれた様子なのが見て取れた。
父親の方は、いくらかそわそわした様子で落ち着きがない。
良い大人なんだから落ち着けって思う反面、ちょっとキモい。
「平日はあり合わせでごめんなさいね。土日はうんと美味しい物作るから」
「そんなことないですー! 煮っころがしも焼きサンマも美味しい」
「あらそう? じゃあ良かった」
ウチは共働きだから、平日のご飯はだいたい焼くだけとかの手間のかからない主菜と、作り置きの副菜だ。
たまに手間のかかるものが出る時は、興に乗って前日の夜から仕込んであることが多い。
あとカレーとかおでんとかも、だいたい前日から仕込んである。
「お姉ちゃんが居た時は『美味しい美味しい』って食べてくれたけど、残ったふたりは黙々と食べるから作り甲斐無かったの。ユリちゃん来てくれて嬉しいわ」
「微妙にこっちに矛先向けないでよ。私も美味しい時は美味しいって言ってるでしょ」
「それは普段は美味しくないってこと?」
別にそう言うんじゃないけど……いつもの味をわざわざ褒めるのって、なんかわざとらしくない?
「ダメだよ星。当たり前にご飯が出てくるってすごいことなんだよ」
ユリはすっかり母親の味方みたいで、状況は完全に私の負け戦だった。
というか、ユリがそれをいうのはズルい。言葉の重みが違い過ぎる。
「わかったよ、今度からちゃんと美味しいって言うよ……あと微妙な時も微妙って言うよ」
当たり前の「美味しい」を言わない分、稀にあるちょっと微妙な日も、何も言わずに美味しそうに食べてみせたけど、毎日感想を言うならそれも明らかにしなきゃいけないじゃないか。
ちょっと嫌味っぽくなっちゃったけど、それはある意味の義務として言わせて貰う。
「むしろ土日は、あたしがご飯作ります! お父さんにも、家にいるのと変わらないようにしなさいって言われてるし」
それ……は、ありがたいし楽しみだけど、なんだかどんどん私の肩身が狭くなっていってない?
わ、私だって何もしてないわけじゃないんだよ……?
ゴミ出しとか(たまに)……洗濯とか(お気に入りの服があるときだけ)……あとお風呂掃除とか(自分が一番長風呂)……。
あ……そう言えば、お風呂の順番考えなきゃな。
姉がいたころは、部活で汗をかいて帰って来るのもあって、一番風呂が姉で、その後に父か母、そして最後に私の順で。
姉が居なくなってからは、そこから単純に姉が抜けただけになってたけど。
お客さんだし、ユリに一番風呂をあげたらいいか。
だったらその次は私が……でも私、長いしな。
てか、ユリの後にお父さんに入られんのヤだな。
せめてユリ、母、父、私だ。
うん、そうしよう。
これで、ひとつ問題が片付いた。
「そう言えば星ちゃん、お風呂長いんだから、お夕飯食べたら一緒に入っちゃいなさいよ」
「は?」
片付いたと思ったら、ちょうど私と同じことを考えていたらしい母親が、私と全く違う判断を下していた。
「いや……いやいや、高校生にもなってそんな」
「だって星ちゃん、お風呂長いじゃない。それにユリちゃん入った後にお父さんやお母さんが入るのはなんだか悪いし……」
なるほど。
理由はともあれ、その部分の懸念は家族内で一致しているようだ。
一番風呂はユリ。
問題はその次に誰が入るのか。
あっちの答えは、私が入っちゃえばいいじゃんっていう願ってもないことだったけど、懸念の「長風呂」があるから一緒に入ってしまえと。
ちなみに私は、身体を洗うのも合わせたら一時間は風呂から出てこない自信がある。
私は決を求めるようにユリのことを見た。
「あたしは一緒でもいーよ? 一緒に温泉に入った仲じゃないか」
「ユリがそう言うなら良いけど……あ、温泉の素は選ばせたげる」
「わあー、あたし登別が良いな!」
いいよ、好きなの使いなよ。
てか、なんで『旅の宿』って知ってるんだ。
前に話したことあったっけ……よく覚えてないな。
とにもかくにも、親公認でさっそく役得を得た私である。
ウチのお風呂は、ご家庭のユニットバスにしては割と広い方だと思う。
ひとりなら十分に足を伸ばせるし、洗い場も窮屈さを感じない。ひとりが洗って、ひとりが湯船に浸かるぶんには十分な環境だ。
だと言うのに、なぜか私たちはぎゅうぎゅうに向かい合って、ふたりで湯船に浸かっていた
「あはは、流石にぎちぎちだねー」
「そらそうよ」
ありがたいシチュエーションのはずなのに、正直こうも窮屈だと情緒も何もあったもんじゃない。
最初はユリに最初に洗って貰おうと思ってたのだけど、湯船で身体をふやかしてから洗うのが良いのだと彼女は言う。
それは私も同意で、泡で綺麗に身体を洗うには、まず毛穴を開かなくてはいけない。
そのためには湯船に浸からなければいけない。
まあ、私が先に洗うんでも良かった。
洗ってからお風呂に入るのなんて、温泉とか行ったらそうだし、特別に抵抗があるわけじゃない。
だけど「湯船→洗い場」理論のユリは、私もちゃんとそのサイクルに則るのを強く薦めてきて、じゃあどうするんだって話になったら、ご覧の結果に落ち着いたわけである。
「これならお湯も半分で済むし一石二鳥だね!」
「この後、親が入る用にお湯足すけど」
「あー……じゃあ、登別の濃度が濃くなって、お肌つるつるだね!」
「投入してる総量は変わらないから、同じだと思うけど」
「もおー、意地悪ばっかり言ってぇ!」
意地悪してるつもりはなかったのだけど、すっかり拗ねた様子のユリがぴゅーっと指で作った水鉄砲で攻撃してくる。
ただ、綺麗に組めなかったのか威力は全然なくって、小便小僧みたいな頼りない放物線を描いたまま私まで届かなかった。
お返しに、私も同じ要領で水鉄砲をうち返してやる。
こっちは相変わらずの完璧な仕上がりで、勢いよく発射された水がユリのおでこに当たって弾けた。
「ぶわっ、目に入った……!」
「あー、ほら。赤くなると悪いから、綺麗な水で流しな」
言いながら私は身を乗り出して、洗い場の風呂桶に蛇口から綺麗なお湯を汲んでやる。
温泉の素入れてるからね。
目にゴミが溜まったら大変だ。
「むー、ついでにコンタクト外しちゃお」
ユリはむくれたように唸りながら、外したコンタクトをケースに入れる。
視界がぼやけるのか、しかめっ面のまんまになっていて、私は思わず笑ってしまった。
「そのまま身体洗っちゃいな。シャンプーとかは教えてあげるから」
「そーする。むむむ……コンタクト外す順番間違えたかも」
「いいよ。手を出してくれたら、そこに出してあげるから」
洗い場び出て両手を差し出す彼女に、私の愛用のシャンプーをツープッシュ落としてあげる。
ユリはそれを丁寧に泡立ててから、わしわしと髪の毛を洗い始めた。
私は、ようやくのんびり浸かれるようになった湯船の縁に身体を預けて、ぼんやりとユリの姿を眺める。
ああ、ほんとにこれから一緒に住むんだな。
顔がほてっている気がするのは、いつもよりお風呂の温度を一度高く設定したせいだと思うことにした。