「さーて、やりますか」
部屋着のジャージ姿に着替えたユリが、家から持ってきたマイエプロンをつけて息巻く。
今日は、放課後勉強会をいつもより一時間ほど早く締めて家路を急いだ。
昨日仕込んだお夕飯を作るためだった。
「星は勉強か何かしてていいよ?」
すぐ傍で何に手を付けたらいいのかも分からず、棒立ちになっていた私に、ユリが声をかける。
「いや、私も手伝う。せめて……そう、ポテサラくらい」
「そう? じゃあお芋ゆでて貰おうかな?」
普段は絶対にしない手伝いをする気になったのは、ユリが台所に立っているからが半分、そしてほんの気まぐれが半分。
昨日の買い物で触発されたのは確かだろう。
ユリは、昨日のうちにタレに漬け込んでいた手羽元をレンジかけて、常温に戻しているようだった。
その間に私は、納戸からごろっと持ってきたじゃがいもを軽く洗って、皮を剥き始める。
皮が剥けたら、ユリと入れ替わりにレンジを占有して、耐熱ボウルに切ったじゃがいもと水を入れて、ラップをして十分ほどチン。
若干足りなかったので、もう数分追加して、即席ゆでじゃがを作り上げる。
その間に、小鍋にお湯を沸かしておいてサラダマカロニの準備。
それも済んだら、次はキュウリを短めの輪切りにする。
料理は基本的にマルチタスク脳の仕事だと思う。
ぶっちゃけ私は、少し苦手。
だからすすんで手伝いもしないのだけど。
「星、お塩使う?」
「塩? ああ、マカロニゆでる時に入れた方が良いかもね」
「じゃなくて、キュウリの塩もみ用」
塩……もみ?
言われてる意味が分からなくて、絵に描いたように首をかしげてしまった。
「そのまんまだと後から水分出てべちゃべちゃしちゃうからって、やらない?」
「ああ……そういうのもあるのね」
言われてみれば確かにそうだ。
体積のほとんどが水だというキュウリを、塩味のマッシュポテトの中に突っ込んだら、さぞびしゃびしゃに汗をかくだろうよ。
だけどそもそも、そういう考えが頭になかった。
自分なりに手際よくできてたつもりだったけど、たったそれだけですっかり料理を嗜まない人感が出てしまった。
切ったキュウリを小さめのボウルに入れて、さっと塩を振って、指先で猫を撫でるように優しく混ぜ込む。
どんぐらい置けばいいか分からなかったのでユリに聞くと、五分くらいということだ。
マカロニが茹で上がる時間まででちょうど良さそう。
ちょっとひと息つく時間ができたね。
その間、ユリはと言えば……私があくせくしている間に、キャベツとパプリカと茹でブロッコリーの和風サラダをサクッと作り終えていた。
和風って分かるのは、白だしと塩昆布を和えているのを見たから。
食べる前から美味しいやつだろうなって、口の中にツバが溜まった。
私も遅れてらんないな。
レンチンのじゃがいもが扱いやすいくらいに冷めたので、ポテサラ作りを再開する。
と言っても、後の作業はそんなに難しいことはなく、ひたすらじゃがいもを潰す。
親の仇のように潰す。
ウチのポテサラは、べっとりとしたマッシュポテト状だから、欠片のひとつも残さないくらいに
潰す。
潰す。
潰す。
これ……ストレス発散になるな。
例えるなら、梱包材のプチプチを潰してるような感覚。
後はそこに、塩胡椒、マスタード、ハム、さっきのキュウリ、マカロニ。
そして、ユリが言う狩谷家式ポテサラの隠し味(?)であるヨーグルトを投入すると、なるほど、いつも食卓で見るポテサラの感じになっていた。
スプーンで舐める程度に味見。
そうそう、このサッパリした感じ。
でも、ちょっと塩気が足りないかな。
そう言えば、ユリがチーズ入れようって買って来てたのがあったな。
よくパスタとかにかける用の粉チーズだけど、冷蔵庫から取り出して、ざっと上から振りかける。
また味見。
うん、チーズの塩気のおかげか、程よい感じになっている。
「あ、ポテサラできた?」
「うん。薄口かもしんないけど、私はこれくらいでちょうどいい」
「どれどれ、ひとくち」
そう言って、ユリは「あーん」と口を開けて待機していた。
両手は唐揚げの準備でタレと、衣の粉まみれみたいだし、仕方ないな。
私は同じスプーンで掬ったポテサラを、彼女の口の中に放り込んでやった。
「ん~、なるほど。ヨーグルト入れたポテサラってこんな感じになるんだ」
「おいしくない……?」
「ううん、美味しい! あれ思い出しちゃった。給食とかでたまに出たヨーグルトサラダ」
「ああ、あのリンゴとか入ってるやつ……私苦手だったな。おかずなのかデザートなのかよく分からなくって」
「確かにー。あれに比べたら、これは立派におかずで主食だね!」
そうこうしてる間に、ユリの唐揚げも完成が見えて来た。
衣をつけた端から揚げられていく手羽元たちは、次第にスパイシーな香りを漂わせはじめる。
残念なことに、ナンタラスパイス初挑戦な私は、その香りを表現する語彙力を持ち合わせていないけど。
ひと言で言えばエスニックな感じというか、赤道直下な香りがする。
ちなみに、後で調べてみたらアメリカ料理のひとつらしく、エスニックも赤道も全く関係なかった。
世界は広い。
「辛さ大丈夫かなあ? 星、一個食べてみて」
ユリが、お箸で摘まみ上げた唐揚げを私の前に差し出す。
これは、さっきのお返しってことなんだろうか。
流れでそのままかぶりつこうと思ったけど、ふと揚げたてだよな……ってことを思い出して、踏みとどまった。
「いや、ちょっと冷めてからにするよ」
「えー、たぶん大丈夫だよ?」
「そう……? あ、いや、やっぱりちょっと置いてから」
一瞬、気持ちが揺らぎかけたけど、衣がジュワジュワと弾けたのを目にして、やっぱりぐっと思いとどまる。アツアツおでんを食べさせられる拷問じゃないんだからさ。こんなところで口の中の皮がべろべろになるのはごめんだ。
「うーん、じゃあこれならどうだ!」
ユリも引っ込みがつかなくなってるのか、ふーふーとたっぷり息をふきかけてから、もう一度私に唐揚げを差し出した。
ううん……三度も例を尽くされたら仕方ない。
私も覚悟を決めて、ホカホカのチキンにかぶりついた。
「あっ……あひっ……あ、でもちょうどいい」
「でしょ? 真ん中骨だから、思ってるほど熱くないんだよ」
「あと美味しい。辛さもちょうどいいよ」
なんだろう、カレー臭くないカレーって感じ……?
なるほど、ケイジャンってこういう味なんだ……やっぱり結局は東南アジアとか、中東とか、そういうニュアンスの印象を受けるけど、スパイスの原料自体は似たものを使ってるのかもしれないね。
「あら、いい匂いじゃない」
玄関が開いた音がして母親が帰って来た。
そのままリビングへ来るなり、夕飯の準備をしているユリ、そして私を順に見て、驚いたように目を丸くする。
「……ユリちゃん、このままウチの子にならない?」
「え、ええー?」
母親が何を言いたいのかは、ひしひしと伝わるよ。
でもほんとにユリがウチの子になったなら、私は喜んで毎日お手伝いをすることだろう。
ただし、ユリと一緒なのに限るけどね。