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11月13日 レッツ・スピーク・ジャズ

 演奏が終わったところで、何とも言えない沈黙が走った。

 南高生ご用達の音楽スタジオ「ショーワ」の一室を借りて行われた、第一回クリコン合同練習は、ひと言で言えば散々な結果だった。


「まあ、最初だしこんなもんだよな!」


 居たたまれなくなったからか、アヤセが場を元気づけるようにそんなことを言う始末。

 初心者ふたり、趣味程度ふたり、慣れない楽器ふたりの編成ともなれば、そんなものだろう。正直、聞くに堪えない。


 ほとんどリーダー的な立ち位置になっていた須和さんも、最初のうちこそ執拗に演奏を止めて、細かく修正指示をしていた。

 しかし、流石に前に進まなさすぎるので、今日は一回目の合同練習ということもあるし、まずは不格好でも最後まで合奏してみたのが今の一回だった。


「ドラム、テンポが遅い」


 ちょうど発言したこともあってか、アヤセに注目した須和さんは、いつもの抑揚のない声で言う。


「みんな慣れてないし、とりあえずゆっくりの方が良いかと思ってよ」

「遅い」

「はい、すいません」


 一瞬抵抗してみせたアヤセだったが、須和さんの眼光にしり込みした様子で、二言目には素直に頭を下げていた。


「指揮者が居ないから、みんなドラムに合わせる。だからドラムのテンポが一番大事」

「そこが難しいとこよなあ。正直、初心者チームみたいなもんだし、指揮者付けた方良くないか?」


 アヤセの提案には、私も半分賛成だった。

 ぶっちゃけ、私や穂波ちゃんの初心者組は、自分のパートを性格に演るので精一杯だ。

 周りの音を聞いてアンサンブルをするというレベルには、まだまだ達していない。

 もちろん練習を重ねれば、本番までには〝らしく〟できるかもしれないけれど……今は、そう言う話をできる段階でもないのは見ての通りだ。


 そして〝半分〟というのは、じゃあその役を誰がやるのかということ。

 寄せ集めで、全員がプレイヤーであるこのチームに指揮をする余裕のある人間はいない。

 ひとり抜けたら、それだけでパートが足りなくなるのだ。


「指揮のいるジャズバンドもある」


 須和さんがそう言うと、傍らで宍戸さんが小さく頷いた。


「でも、指揮がいないのにも理由がある」

「いない理由……?」


 考えもしなかったことで、思わず口を挟んでしまった。

 すると、触発されたように穂波ちゃんが手をあげる。


「大人なバーとかで演奏するからですね。指揮者が立つような場所ないですし」


 ドヤ顔で言ってくれたけど、それはどうかな……?

 流石にそんな適当なこと言ったら怒られるんじゃ……と思って須和さんを見ると、思いのほか穏やかな表情で頷いていた。


「そういう環境的な要因も無いとはいえない。でも一番は、目指す曲の作り方にある」


 須和さんはそのまま、指揮者のように手を振る。

 しなやかな白い指先が、宙に放物線を描いた。


「オーケストラや吹奏楽は、指揮者が作り上げたい音をみんなで目指す。ある程度見えているゴールに向かっていく」


 〝指揮者〟がいるのだから、まあそうなんだろう。それぐらいは私でもなんとなくイメージがつく。


「逆にジャズは、その場で音楽という言語を使って、会話するようなもの。即興で、刹那的で、今その場で一番の音を目指す」


 うん……なんか、分かるような分からないような。

 そんな私の理解力を見透かされたように、須和さんの視線がこちらを向いた。


「ロックバンドだってそう。指揮者はいない。そのライブ時々の熱やノリで、その場限りの音楽を目指す」


 須和さんは私を見ていたわけではなく、私たち――私とアヤセと心炉の元ガルバデのメンバーを見渡して言った。

 関係ないけど、須和さんが「ノリ」って単語を口にするのが、妙に印象に残ってしまう。


「テンポとビートとコード進行は、そのための文法のようなもの。そこから外れなければ、即興でどんな演奏をしたっていい。逆に言えば、絶対に外しちゃいけない」

「それで私はやたら責められたわけな……」


 アヤセは苦笑しながら再度平謝りした。


「ベースも同じ」

「うわ、こっち来た」


 絶対何か言われるとは思っていたけど、いざ来ると身構えてしまう。


「ドラムはテンポとビートを作る。ベースはそのビートにコード――メロディを乗せる。ドラムの文法を、他のパートの文法に繋ぐ通訳者」


 そう言われると、さっきよりも一層理解が出来てきたような気がする。

 一方で、理解してしまうというのは、余計なことまで考える余地を生み出してしまうということだ。


「私、めちゃくちゃ適当な理由でその役目を押し付けられたんだけど?」


 確か、私がベース顔だとかなんとか……それを言ったのは、この場に居ないガルバデの仕掛け人――というよりも黒幕である、琴平さんだったけど。


「ベースがいないと会話が成り立たない」


 須和さんは、私が理解したことをどうでも良さそうに捨て置いて、話を進めた。

 実際、私がベースやることになった経緯なんてどうでも良いだろうけどさ……ちょっと傷つくよね。


「だから……頑張って」


 今、一瞬だけど須和さんが珍しく空気を読んだのを感じた。

 そしてそれは、決して手放しで喜んで良いものではなかった。


「いっそのこと、バッサリ斬り捨ててくれた方が清々しいよ」


 須和さんでも空気を読むくらい、私の演奏は酷いってことだ。

 傷つくを通り越して、気が滅入るよね。


「毎日、家で合宿みたいなことをやってうつつを抜かしてるからですよ」


 すかさず、心炉が傷口に丁寧に塩を塗り込んでくれた。

 まったくもってその通りなので、ぐうの音も出ない。

 今週できた練習は、昨日の天野さんの家での一回限り。

 ステージが一年後とか言うならまだしも、一ヶ月ちょっと先ってことを考えたら、とても間に合う上達速度じゃない。


「やっぱり、ユリに隠すってのが無理あるんじゃないのか?」


 アヤセが、散々議論されつくしたことを蒸し返して来た。

 なんだかんだで首の回らない状態になっているのは、私だって理解できている。

 でも、それを今ここで崩したら、ここまでの苦労が無駄になるというか……そもそも、なんでこんなにムキになって隠し通そうとしているのかも、分からなくなってきてしまう。


「あの……良かったらこの後、学校で練習していきますか……?」


 そう提案してくれたのは、宍戸さんだった。


「今の時期、午後からなら音楽室も空いてるからって須和さんが……私も、休みの日にこっちで時間をかけて練習できる機会は貴重なので」

「そうしようかな……流石に焦りというものを覚えて来たよ」


 ここで断るような余裕は、今の私にはない。

 家にはまあ、夕方までに帰れば問題ないだろう。

 せめて形になるまでは、ミッチリ練習をしないと。


「私も、新人戦で練習できなかった分、今日ミッチリやりたいです」


 穂波ちゃんも、後に乗るように手をあげる。

 これは何となく、全員残る流れになるのでは……?

 そう思ったところで、話の腰を折ったのは心炉だった。


「私は、家庭教師の時間があるので遠慮しておきます。ピアノは家でも練習できますし」


 つんと澄ました顔で答える。

 それに乗っかるように、アヤセもバツが悪そうに頬を掻いた。


「私もこの後、家の手伝いあるからパスだな。まー、課題はまた軽音の奴らにどっかで叩かせて貰ってクリアしとくわ」


 忙しいのは私だけじゃない。

 みんな、時間を見つけて頑張って練習してくれているんだ。

 一番出来てない私が、それをしないでどうするんだ。


「……とりあえず、スタジオの時間はまだあるから、もう一回やってみようか」


 今私にできるのは、自分で借りたスタジオのスケジュールをみんなに伝えて、練習を提案することだけ。

 それ以上のことを望むなら、甘いことを言ってないで、もう少し無茶をしなくちゃいけないのだろう。

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