ユリがウチに住み始めて一週間が経った。
最初のうちは、流石の彼女もいくらか他人行儀なところがあったけれど、一週間も経てばすっかり溶け込んでいる。
もともとウチは四人家族だったし、ひとり増えたくらいはなんてことはない。
そしてユリは知っての通り人当たりのいい性格をしているものだから、家族の一員となるのにそれほど苦労はしなかった。
「星~、先にドライヤ―使っていい~?」
ラグマットの上に足を投げ出して座りながら、髪の毛に美容オイルを塗っていたユリは、言うや否や壁に掛けて置いたドライヤーを掴み上げる。
「いいよ」
私は、話半分に答えながら、机の上に出した鏡とにらめっこしていた。
髪をタオルで巻き上げることで露になったおでこに、ぽつぽつとできたニキビが見えた。
夏に比べたらそこまで酷くないけど、おでこを出して歩ける日はまだ遠そうだ。
「ユリってあんまりニキビないよね」
「え~?」
ゴウゴウと鳴るドライヤーの向こうで、ユリは声を荒げながら首をかしげる。
けど、別にスイッチを切るつもりはないらしく、吹き荒れる温風に茶色の髪がばさばさと待っていた。
「そんなんじゃ絡まるよ」
見かねてドライヤーを取り上げると、彼女は私を見上げてニコっと笑みを浮かべる。
くそう可愛いな。
あっちも適当にしてみせたら、私に綺麗にやって貰えるということを覚えたのか、ここ数日ずっとこの調子だ。
室内犬でも飼ってるような気分。
飼ったことないけど。
私は櫛を取り出して、ドライヤーを当てながら丁寧に髪を乾かしてやる。
美容院なんかでやってくれるこの方法を教えてくれたのは、悔しいかな姉だった。
上に同性の兄弟や姉妹がいるっていうのは、一般的にはアドバンテージなんだろうね。
一足先に成長するものだから、流行り廃りや、多少の大人の知識なんかは、同世代の長男長女たちに比べたら一歩前を歩むことになる。
小学校でマセてファッション誌なんか持って来たり、中学校でバッチリ化粧なんか覚えちゃったりするのは、だいたい上に姉がいる家の子だ。
ただウチの場合はほぼ年が変わらないと言っていいくらいなので、そこまで大きな恩恵は受けてこなかったような気がする。
とはいえ、やっぱり私の何歩か先を、常に姉は歩いてきたわけだけど。
「はい、おわり」
「うん、ありがとー」
ドライヤーのスイッチを切ると、ユリはぶるぶると頭を振った。
さらっさらに梳いて乾かした髪が、纏のように宙を舞う。
「ちょっと! せっかく綺麗にしたのに……」
「驚くほどさらっさらになるから、どうしてもやりたくなっちゃうんだよねー」
そんなことしてると、ホントに犬みたいだよ。
犬だったら乾いた後じゃなくて、乾かすためにぶるぶるってするんだろうけど。
「こんだけさらっさらだったら、縛んなくても良いかなって最近思うんだよね」
ユリはいつもたいてい、髪の毛を右か左か、どっちか片方で縛っている。
ハーフアップをサイドにずらした感じ。
活発な彼女の動きに合わせてゆらゆら揺れるそれが、私は結構好きだった。
「縛った方が可愛いと思うけど」
「そう? でももともと、寝ぐせ隠しみたいなもんだったからなあ」
そうなんだ。それは知らなかった……衝撃の新事実だ。
「あ、じゃあ左右どっちか定まって無かったのって?」
「酷い方に合わせてまとめるって感じ」
なんか、どうでもいい疑問にひとつ答えを得た気分だ。
実際、どうでもいい疑問なんだけども。
「朝は忙しいから、髪の毛直す暇あんまりないんだよね。だから狩谷家に来て、わたくし美に目覚めましてよ?」
「馬鹿言ってないで場所変わってよ。私も髪乾かすから」
どこぞの御令嬢みたいに高笑いするユリを押しのけて、私は姿見と向かい合うドライヤーポジションを確保する。
すると、今度はユリがドライヤーを手に取った。
「お礼にやったげよっか?」
もう片方の手には、さっき私が使っていた櫛が握られている。
何それ嬉しい――と喜んだ反面、任せて大丈夫なんだろうかという不安もふつふつと沸き起こる。
「大丈夫? あんまり当てすぎないでよ? 櫛もゆっくり、手際よく、少ない回数でだよ?」
「大丈夫だよー! 暇が無かっただけで、できないわけじゃないもん!」
「そう……なら、お願いしようかな」
そこまで言うなら任せてみよう。
私はユリに背中を向けて、髪をまとめていたタオルを解いた。
ドライヤーの轟音に身を委ねていると、ぼんやりと昔のことを思い出す。
以前は――と言っても小学校くらいだけど――よくこうして、姉が髪を乾かしてくれたっけ。
「風邪ひくと悪いから」が、いつも姉の口癖のようだった。
当時は今よりずっと髪が短くて、長い時でも肩につかないくらい。
こんなに伸ばしたのは、この高校生活中が初めてだ。
そもそも剣道をやってたころは短い方が都合が良かったらそうしてただけで、長くて綺麗な髪にはそれなりの憧れがあった。
だから中三の部活を引退してから、手入れをしながらじわじわと伸ばしはじめて、今はすっかりロングヘア―である。
「星の髪、伸びたよねー。最初に会った時って、肩ぐらいだったじゃん」
「よく覚えてんね」
ふっと笑みがこぼれたのは、ちょうど同じようなことを考えてたんだなって思ったから。
だけど、たぶん当時はまだ、ここまで伸ばそうっては思ってなかったかもしれない。
あんまり長すぎても手入れが大変そうだし……事実、大変だし。
それでも伸ばそうって思ったのは、ひとえに言えば、ちょっとした対抗心だ。
ユリが、ああいう髪が好きなのかな――って。
残念ながら私の髪は、先輩みたいなふわふわ系じゃなくて、さらさら系だったけど。
今となっては比べる意味もないのかもしれないけど、特に切ろうかなっていう気にもならない。
失恋したら髪を切る、なんてあまりにベタ過ぎるから。
髪を切らないことは、私はまだ諦めてないっていう、願掛けみたいなものかもしれない。
それにこうして乾かして貰えるのなら、長いままの髪も悪くないかな。
「どうだ! とぅるんとぅるんにしてやったよ!」
さらさらっと、手櫛で私の髪を流しながら、ユリが得意げに言う。
確かに、びっくりするぐらいとぅるんとぅるんだ。
やるじゃん。
「まあ、明日の朝には寝ぐせでうねっちゃうんだろうけどね」
「ええー、せっかく綺麗にしたのに」
「私に寝るなってか?」
「まー、その時は、朝にまたしてあげる」
「そんな時間ある?」
「星よりは早起きだよ」
確かに……寝起きが辛いから、準備も含めて間に合うギリギリの時間までゴロついてる私とは、大違いの生活だ。
同じ部屋で寝てるから、ユリが起きたらなんとなく私も目覚めるようになって来たけど……寒くなって来たし、限界まで布団から出たくないよね。
「私、うつ伏せで寝てるから勝手にやっといて」
「いいけど、すごいやりにくそう……」
いいのか。
そんな事言ったらほんとにそうしてもらうけど。
けどまあ、朝もやってくれるって言うなら、その時間分くらい早く起きてやっても良いかな。
その分、今日は少し早めに寝れば良いと思うから……。