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11月16日 おかみ! なにとぞ!

「ところで、今週末で良いですか?」


 放課後勉強会のさ中、心炉が突然そんな脈絡もない確認を取る。


「……何が?」


 理解が追いつかなくて気遅れ気味に尋ねると、心炉はフンと小さく鼻を鳴らして私を見据える。


「星さんの家にみんなでお泊りする話です」

「ああー、そんな話してたな」


 アヤセがうんと背伸びをしながら、首をゴキゴキと鳴らした。

 とてもじゃないが、女子高生が人前でやっていい動きじゃない。


「どうなん? そもそもキャパ的に」

「まあ、問題ないんじゃないかな」


 キャパの話をしたら、姉がいる間にユリとアヤセが泊まったこともあるし。

 今週末は、両親も特に予定があるような話を聞いたことがない。


「じゃあ、帰ったらおばさんに確認しとかなきゃねー」

「うん。まあ、OKだと思うけど」


 すっかりホスト気分のユリに、私は素直に相槌をうつ。

 この手の話でダメと言われたことは今のところない。

 基本的にウチの両親は、賑やかなのが好きなのだ。


「それにしても唐突だったね」

「前に話したっきり、全然話が進んでないようだったので」


 まあ確かに。

 何となく頭の片隅にはあったけど、そのまま立ち消えになるんじゃないかって思ってたところだ。

 いつもなら残念がるところかもしれないけど、いつでもユリと話せる今の状況なら、まあそれはそれでというくらい。


「もしかして楽しみにしてた?」


 何ともなしに尋ねると、心炉はきょっとしたように口を半開きにして、つり上がった眉をひくつかせた。


「話が宙ぶらりんだったのが気にかかってただけです!」

「ふうん……まあ確かに、スッキリはしたね」


 話題に出なきゃ、たぶん一生宙ぶらりんのまんまだったよ。


「泊まりに来るのは良いけど何すんの?」

「そりゃあ、まあ、ミッチリ勉強でしょう」

「ええー!?」


 心炉の合宿計画に、ユリがあからさまに不満げな声をあげた。


「勉強なら毎日ミッチリ監督つきでさせられてるよー」

「学年上位のマンツーマンとか、成績伸びるばかりじゃないですか」

「伸びてる実感が無いから最近モチベが無いー」


 そのままユリは、机の上にぐでっと溶けた。

 ダリのぐにゃぐにゃの時計みたいだ。


「少なくとも二ヶ月分の成果は、模試の結果で見れるでしょ。その次は来月頭の期末テストに照準合わせな」

「テストばっかで気が滅入るー」


 実にマトモなアドバイスをしたつもりなのに、ユリはさらにでろでろに溶けて行ってしまった。


「D判定とかだったらどーしよー」

「Eを懸念しないのはいい度胸だね」

「その時はあたし、監督者を訴えるよー。相手取るよー」

「危機感はあってしかるべきですが、伸びしろしかなくて良いじゃないですか」

「ナイス、心炉ちゃん。ポジティブシンキーン」


 ユリはぐでっとしたまま、心炉にサムズアップを返した。

 これはダリじゃなくてあれだ。

 溶鉱炉からグッと腕だけ突き出すやつ。


「Eって合格率二○パーセントとか言われるけど、実際は模試受けた半分くらいEになるらしいな。結局すべての高校生が同じ模試受けてるわけじゃねーから」

「んー? どゆこと? 半分なのに二○パーセント??」


 アヤセはフォローのつもりで言ったんだろうけど、ユリは眉をひそめて真面目に首をかしげてしまった。


「ユリ、今夜は倒れるまで数学やろうね」

「いーやーだー!」


 悲鳴をあげてユリがうずくまる。

 大丈夫。

 寝るころにはきっと、なんで半分なのに二○パーセントなのか理解できてると思うよ。


 頭の中でぼんやりと今日の自宅学習のスケジュールを練っていると、うずくまっていたユリがぱっと身体を起こす。

 朝顔の蕾が花開いたような、突然の変わり身だった。


「出かけようなんて言わないから! 出かけてもいいなら出かけたいけど!」

「一瞬で本音漏れてるぞ」


 アヤセのツッコミは聞かなかったことにしたらしく、ユリはそのまま演説を続ける。


「せめて映画とか見よ! ネトフリでいいから! あれ、星んちアマプラだっけ?」

「そこはどっちでもいいでしょ」


 本当にどっちでも良い。

 ちなみに家族共用のネトフリだけど。


「おかみ! なにとぞ!」


 ユリは、年貢の軽減を訴える百姓みたいに、両手をすりすり頭を下げた。


「……ってことだけど、どうですか、おかみ」


 心炉に視線を向けると、彼女は「え、私ですか?」とあからさまに動揺していた。


「まあ、他の時間は勉強するなら一本くらい良いんじゃないですか……」


 あまりの必死さに、流石の心炉も折れたようだ。

 まあ、気持ちは分かるよ。

 その程度のことにここまで必死になられたら、ダメって言うほうが悪人みたいな気分になっちゃうよね。

 少なくとも心炉は、受験生として何も間違ってないことを提言していたハズだと思う。


 言質を取ったユリは、晴れやかな表情で、うやうやしく頭を垂れていた。

 その横で心炉が、「ちょっと」と顔を寄せてくる。


「日中は私たちがユリさんの相手をしますから、その間に練習してきてくださいよ」


 彼女は囁くように言って、手元で小さくエアギターをして見せる。

 ああ……それで今週末なんて、いきなりぶっこんで来たわけね。


「ありがと」


 私も耳元で囁くように言って、小さく笑みを返した。

 最近、機嫌が悪そうだったけど、どうやら見捨てられたわけではないみたいだ。

 良かった。


「な、情けない結果を出されたら、私たちも迷惑しますから」

「分かってる」


 念を押すように頷くと、心炉も納得したのかそれ以上何も言わなかった。

 口をもごもごさせているのは気になったけど、やぶ蛇になるのも嫌だから、そこは触れないでおこう……私は、平伏したままのユリの高等部をツンと突いてやる。


「もう良いから勉強しな」

「……はっ、ちょっと寝てた」

「うそでしょ」


 確かに毎日寝つきは良いみたいだけど……流石にここじゃ寝ないでしょ。

 寝ないよね?


「そんじゃあ、週末は星ん家に集合だな」

「何か、持って行くものはありますか?」

「持ってくものって……普通に、友達んちに行く準備で大丈夫だと思うけど」

「いえ……その普通が分からないので……」

「ああ……」


 なんか、気まずい感じになってしまった。

 最近すっかり忘れがちだけど、そもそも互いに友達少ない人種だったじゃないか……出会いが変われば、私が心炉で、心炉が私だったかもしれないね。


 そういうことなら、少しくらいはお泊り会っぽいことをしても良いのかもしれない。

 映画の一本くらい、大目に見ようじゃないか。

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