「ところで、今週末で良いですか?」
放課後勉強会のさ中、心炉が突然そんな脈絡もない確認を取る。
「……何が?」
理解が追いつかなくて気遅れ気味に尋ねると、心炉はフンと小さく鼻を鳴らして私を見据える。
「星さんの家にみんなでお泊りする話です」
「ああー、そんな話してたな」
アヤセがうんと背伸びをしながら、首をゴキゴキと鳴らした。
とてもじゃないが、女子高生が人前でやっていい動きじゃない。
「どうなん? そもそもキャパ的に」
「まあ、問題ないんじゃないかな」
キャパの話をしたら、姉がいる間にユリとアヤセが泊まったこともあるし。
今週末は、両親も特に予定があるような話を聞いたことがない。
「じゃあ、帰ったらおばさんに確認しとかなきゃねー」
「うん。まあ、OKだと思うけど」
すっかりホスト気分のユリに、私は素直に相槌をうつ。
この手の話でダメと言われたことは今のところない。
基本的にウチの両親は、賑やかなのが好きなのだ。
「それにしても唐突だったね」
「前に話したっきり、全然話が進んでないようだったので」
まあ確かに。
何となく頭の片隅にはあったけど、そのまま立ち消えになるんじゃないかって思ってたところだ。
いつもなら残念がるところかもしれないけど、いつでもユリと話せる今の状況なら、まあそれはそれでというくらい。
「もしかして楽しみにしてた?」
何ともなしに尋ねると、心炉はきょっとしたように口を半開きにして、つり上がった眉をひくつかせた。
「話が宙ぶらりんだったのが気にかかってただけです!」
「ふうん……まあ確かに、スッキリはしたね」
話題に出なきゃ、たぶん一生宙ぶらりんのまんまだったよ。
「泊まりに来るのは良いけど何すんの?」
「そりゃあ、まあ、ミッチリ勉強でしょう」
「ええー!?」
心炉の合宿計画に、ユリがあからさまに不満げな声をあげた。
「勉強なら毎日ミッチリ監督つきでさせられてるよー」
「学年上位のマンツーマンとか、成績伸びるばかりじゃないですか」
「伸びてる実感が無いから最近モチベが無いー」
そのままユリは、机の上にぐでっと溶けた。
ダリのぐにゃぐにゃの時計みたいだ。
「少なくとも二ヶ月分の成果は、模試の結果で見れるでしょ。その次は来月頭の期末テストに照準合わせな」
「テストばっかで気が滅入るー」
実にマトモなアドバイスをしたつもりなのに、ユリはさらにでろでろに溶けて行ってしまった。
「D判定とかだったらどーしよー」
「Eを懸念しないのはいい度胸だね」
「その時はあたし、監督者を訴えるよー。相手取るよー」
「危機感はあってしかるべきですが、伸びしろしかなくて良いじゃないですか」
「ナイス、心炉ちゃん。ポジティブシンキーン」
ユリはぐでっとしたまま、心炉にサムズアップを返した。
これはダリじゃなくてあれだ。
溶鉱炉からグッと腕だけ突き出すやつ。
「Eって合格率二○パーセントとか言われるけど、実際は模試受けた半分くらいEになるらしいな。結局すべての高校生が同じ模試受けてるわけじゃねーから」
「んー? どゆこと? 半分なのに二○パーセント??」
アヤセはフォローのつもりで言ったんだろうけど、ユリは眉をひそめて真面目に首をかしげてしまった。
「ユリ、今夜は倒れるまで数学やろうね」
「いーやーだー!」
悲鳴をあげてユリがうずくまる。
大丈夫。
寝るころにはきっと、なんで半分なのに二○パーセントなのか理解できてると思うよ。
頭の中でぼんやりと今日の自宅学習のスケジュールを練っていると、うずくまっていたユリがぱっと身体を起こす。
朝顔の蕾が花開いたような、突然の変わり身だった。
「出かけようなんて言わないから! 出かけてもいいなら出かけたいけど!」
「一瞬で本音漏れてるぞ」
アヤセのツッコミは聞かなかったことにしたらしく、ユリはそのまま演説を続ける。
「せめて映画とか見よ! ネトフリでいいから! あれ、星んちアマプラだっけ?」
「そこはどっちでもいいでしょ」
本当にどっちでも良い。
ちなみに家族共用のネトフリだけど。
「おかみ! なにとぞ!」
ユリは、年貢の軽減を訴える百姓みたいに、両手をすりすり頭を下げた。
「……ってことだけど、どうですか、おかみ」
心炉に視線を向けると、彼女は「え、私ですか?」とあからさまに動揺していた。
「まあ、他の時間は勉強するなら一本くらい良いんじゃないですか……」
あまりの必死さに、流石の心炉も折れたようだ。
まあ、気持ちは分かるよ。
その程度のことにここまで必死になられたら、ダメって言うほうが悪人みたいな気分になっちゃうよね。
少なくとも心炉は、受験生として何も間違ってないことを提言していたハズだと思う。
言質を取ったユリは、晴れやかな表情で、うやうやしく頭を垂れていた。
その横で心炉が、「ちょっと」と顔を寄せてくる。
「日中は私たちがユリさんの相手をしますから、その間に練習してきてくださいよ」
彼女は囁くように言って、手元で小さくエアギターをして見せる。
ああ……それで今週末なんて、いきなりぶっこんで来たわけね。
「ありがと」
私も耳元で囁くように言って、小さく笑みを返した。
最近、機嫌が悪そうだったけど、どうやら見捨てられたわけではないみたいだ。
良かった。
「な、情けない結果を出されたら、私たちも迷惑しますから」
「分かってる」
念を押すように頷くと、心炉も納得したのかそれ以上何も言わなかった。
口をもごもごさせているのは気になったけど、やぶ蛇になるのも嫌だから、そこは触れないでおこう……私は、平伏したままのユリの高等部をツンと突いてやる。
「もう良いから勉強しな」
「……はっ、ちょっと寝てた」
「うそでしょ」
確かに毎日寝つきは良いみたいだけど……流石にここじゃ寝ないでしょ。
寝ないよね?
「そんじゃあ、週末は星ん家に集合だな」
「何か、持って行くものはありますか?」
「持ってくものって……普通に、友達んちに行く準備で大丈夫だと思うけど」
「いえ……その普通が分からないので……」
「ああ……」
なんか、気まずい感じになってしまった。
最近すっかり忘れがちだけど、そもそも互いに友達少ない人種だったじゃないか……出会いが変われば、私が心炉で、心炉が私だったかもしれないね。
そういうことなら、少しくらいはお泊り会っぽいことをしても良いのかもしれない。
映画の一本くらい、大目に見ようじゃないか。