夕食前にお風呂掃除をしていたら、台所から香ばしい匂いが漂って来た。
なんていうか……すごく、甲殻類。
自動給湯のボタンを押した私は、何作ってるんだろうと思って台所へと向かった。
「ユリ、何してんの?」
台所では、ユリがコンロの鍋に向かっていた。今日、ユリがご飯作ることになってたっけ?
とりあえず鍋を覗き込んでみると、中でカラッカラに焼かれたエビの殻が踊っていた。
「あ……エビカレー?」
「そ! 合宿って言ったらカレーだよね!」
「合宿って……ああ、明日の準備か」
お夕飯どうしよっかーなんて話し合いに時間を割く必要もなく、とりあえずひとつ、ユリの中で献立が決まっていたらしい。
「お出汁だけ今日のうちにとっとこうかなって」
「あれ、時間かかるもんね」
ユリのエビカレーは、ひいき目なしにめちゃくちゃうまい。
エビの殻をカラッカラになるまで炒って、水で出汁をとって、あらかた出たら殻を乾かして、乾いたら摺って、その粉末も出汁に混ぜちゃう。
もちろん身の方も具として入れる、エビ尽くしのカレーである。
「とりあえずメインはこれにしてさ、付け合わせはその時考えても良いかなって」
「カレーに付け合わせって発想がまずないんだけど」
サラダくらいは作るけど、カレーってほとんどそれだけで完成されてる印象がある。
家庭の具沢山カレーならなおさらだ。
「犬童家なら普段何を合わせるの?」
「うーん、カレーが味濃いからサッパリしたのが多いかな。酸っぱいのとか」
「例えば?」
「タコ酢きゅうり」
「タコスってきゅうり入ってたっけ……?」
「タコときゅうりを酸っぱく和えたやつ」
「ああ」
ウチでもたまに食べるやつだ。
駄菓子っぽくて結構好き。
「あと、ソース凝って野菜スティックとか」
「人数いるしそう言うのありかもね」
「あとはあとは、うーん……いっそ最強エビパレードにする?」
「というと?」
「エビカレーエビフライ乗せに、エビの生春巻きを添えて、トドメにエビチリでどうだ!」
「それはすごい……最後だけ浮きそうだけど」
エビチリはエビチリで好きだけど、食べ合わせ的にどうだ?
「でも、エビ尽くしはありかもしれないね」
「あとでグルチャで聞いてみよー」
能天気に言いながら、ユリは木べらで鍋の底をガスガスと突き始めた。
カラッカラになったエビの頭が、中身のミソごとバッキバキに砕かれていく。
「あとは水入れて、しばらく煮込むだけ……っと」
「手が込んでる」
「お料理は基本的に、丁寧に時間をかけた方が美味しいんだよ」
そう、ユリは胸を張っていた。
それはある意味で真理なのかもしれない。
エビひとつとっても、別にワタなんて取らなくても食べられるけど、取った方が美味しい。
そのひと手間をどこまで積み重ねるのか……料理が趣味って言えるのは、それができる人なのかもしれない。
「明日、楽しみだねー」
「心炉もユリにみっちり勉強教えるって楽しみにしてたよ」
「それは楽しみじゃないね……」
目に見えるテンションの落差で、ユリの目から光が消えた。
「ユリ、夏休み空けてから頑張ってるから大丈夫だよ。来週の模試も、それなりの結果は出てるんじゃないかな」
「A判定出たら遊んでいい!?」
「はいはい、出たらね」
まあ、流石にAは無理だろうな……よくてB。
Cでも今は受け入れようっていうくらい。
夏休みまではDとか、それこそEなんじゃないかってレベルから短期間でここまで頑張ってるんだから、大したものだ。
もともと伸びしろしかないせいもあるしね。
「絶対出るはずないって顔してる……」
「そんなことないよ。判定なんて結局は相対評価だから……周りがみんなユリみたいなのだったら、A判定だってあり得る」
結局それも、世代の問題だよね。
絶対数が多いから、毎年そう大きく振れ幅が出ることはないだろうけど。
受験をひとつの競技と考えるなら、相手である他の受験生たちの状況も、合格のためのひとつの要因となる。
極端な話をすれば、災害や何かがあって、遠方の高偏差値の大学を受けようと思っていた受験生たちが、実家に残るために地元の大学に大挙して押し寄せる……なんてことも、無いわけじゃない。
そして、その逆も。
そういうことを考え始めると、受験なんて運しだいみたいに感じてしまうけど、どういう状況でも安定して受かるくらいの自信と学力をつけるのが、受験勉強ってものだと思う。
「星って夏の模試はどのくらいだったの?」
「A」
「おおー、流石」
成績としては、ギリギリのAだったと思うけど……まあ、AはAだ。
この模試の合格判定ってやつが厄介だよね。Aだからと言って安心できるラインじゃないというのを考えると、何のために受けてるんだろうって疑問に思うこともある。
単純に、場数を踏むために受けてるんだけど。
「そーだ。お出汁取ってる間に、明日観る映画決めようよ!」
「良いけど……私たちで決めても意味ないでしょ」
「十作くらいマイリスに候補入れとくの! そっから何本か二人に選んでもらお」
「いや、何本観る気なの?」
「なんか、勉強中にBGM代わりに流しといても良いかなって思って」
「それは気が散りそうな気がするけど……」
BGM代わりなら許容範囲……かな。
あんまり音をでかくしなければ、他のことにも集中できるだろう。
……って、私はベースの練習しなきゃいけないんだっけ。
ユリは、午前中に今週のお見舞いと家の掃除をして来るらしいのでその間と、あと「ちょっと図書館行く用事あった」とか言って、もう二〜三時間遅れて帰ってもなんとかなるだろう。
「なんでこのタイミングで!?」ってユリも思うかもしれないけど、帰りにケーキでも買ってくるって言えばたぶん大丈夫。
アヤセたちには、ユリが帰ったタイミングで来て貰うようにして、出迎えはユリに任せよう。
ひとまずこれで、練習時間は確保できそう……かな?
その分の勉強は、今夜前倒しして、いくらかやっておく。
今日は、ユリが寝てから姉の部屋に籠るかな……ここ最近ほど、ショートスリーパーって言う身体の構造をした人を、羨ましいと思ったことはないね。