ウチの台所はそこそこ広い——と思っていたけれど、女四人も並ぶには、流石に家庭科室くらいの広さと設備が必要みたいだ。
「ユリのエビカレー久々だなおい」
なべてくつくつと煮込まれるカレーを見て、アヤセはうっとりしながら身震いしていた。
実際、ルウも投入された鍋からは、香ばしいスパイスの香りがこれでもかと漂っている。
「仕上げは私に任せて貰って良いんですか?」
「いいよー! スパイス☆マジックはあたしも気になってたし!」
「なんですかその、スパイス☆マジックって」
心炉は呆れたようにため息を吐くと、持ってきたお弁当袋を広げる。
中にはぎっしりと、色とりどりの調味料が詰め込まれていた。
「すご……これ全部カレースパイスなの?」
「カレー専用ってわけじゃないですが、まあ基本のスパイスたちです」
ターメリック、シナモン、コリアンダーなんかは何となく聞いたことがあるけど……クミンとか、カルダモンとかって何だろう。
「ルウでベースの味は決まっているので、香りを増す程度にブレンドしますね」
そう言って心炉は、小さなボウルに目分量でパッパッと香辛料パウダーを放り込んでいく。
茶色、黄色、赤と、合成着色料みたいな粉が放り込まれていく様は、ぱっと見では知育菓子か何かを作っているようにしか見えない。
ユリは楽しそうにそれを眺めながら、ゆらゆらと身体を左右に揺らした。
「すべて〜は愛のタ〜メリック♪ はらは〜らハラペ〜ニョ〜♪」
「何それ」
「え、知らない? カレーの歌」
聞いたこともないけど……教育テレビか何か?
気が抜ける上にめちゃくちゃ適当な歌詞だけど……。
そうこうしてる間にスパイスの準備が整ったようだ。
心炉はフライパンを熱すると、昨日ユリがエビを乾煎りしていたように、スパイスを丁寧に乾煎りしていく。
すぐに、ルーを溶いた鍋とはまた違う、フレッシュで……なんというか原始的で根源的なカレーの香りが立ち込めてくる。
「なんだろう。すごく雑味のないカレーって感じ」
「これににんにくや生姜を加えて、炒めた玉ねぎとトマト缶で煮詰めるだけでも、立派な手作りカレーになりますよ」
「へえ……」
トマト缶で作ったカレーが美味しいって言うのは、聞いたことがある。
酸味があって、サッパリして。
それはそれで食べてみたいけど……今度、そのスパイス混ぜた状態のやつ貰えないかな。
心炉は、乾煎りしたスパイスに既にできたカレーをちょっとだけ加えて、ダマにならないように伸ばすと、元の鍋に投入する。
どうやら完成のようだ。
「こ、これが秘伝のエビカレーを越えた、究極のエビカレー……」
ユリが料理漫画の解説役みたいなオーバーなリアクションをとる。
付き合っても仕方が無いので、私は早速小皿にちょっとだけルーをとって、ぺろりと味見してみた。
「美味しい……」
思った以上に旨い。
味はほぼルーの味なんだろうけど、鼻に抜けてくる香りが全然違う。
なんというか……カレーカレーした香りじゃなくって、その中に僅かな清涼感がある。
これがスパイス☆マジックか。
心炉も満足げに頷く。
「気に入って貰えて嬉しいです。良かったらレシピをあげましょうか?」
「調合したスパイスを頂戴」
「それはすごく味気ないですね……」
呆れられてしまった。
やっぱりダメか……仕方がないのでレシピで貰って母親とユリに託すとしよう。
万事準備は整って、お夕飯は昨日ユリと話していたエビパーティーとなった。
流石に全部いちから仕込む時間はないので、エビフライは冷凍のものを揚げただけ(それでも大きくておいしそう)。
生春巻きもスーパーのお惣菜だし、エビチリ——は流石にどうかという話になったので、フライの揚げ油でフリッター(これはユリが簡単に衣をつけて作ってくれた)を作って、マヨネーズソース和えにした。
揚げ物二品で脂質とカロリーがちょっとばかし心配なので、ご飯は雑穀米を炊く。
白米オンリーと大した違いはないだろうけど、乙女的免罪符だ。
「いただきます」
誰からともなく、手を合わせて食事を始める。
普段ならとりあえず野菜から……なんて順番を気にするところだけど、今日に限っては何はともあれまずカレーだ。
「あ、美味しいです」
ひと口食べるなり、心炉は目を丸くした。
ついでに思わず笑みが出てしまったのをはしたないと思っているのか、さっと口元を隠す。
「だろ? すげー技持ってんだよユリは」
「なんでアヤセさんが得意げなんですか」
心炉は不満そうに言っていたけど、私はアヤセの気持ちが分かるよ。
なんか、自慢したくなるよね。
後で両親にもドヤ顔で振舞おう。
「シーフードカレーはあまり作らないのですけど、これは良いですね。ユリさん、良かったらレシピを貰っても?」
「レシピってほどじゃないけど、作り方なら教えたげるね」
「ありがとうございます」
カレーの妖精ふたりは、すっかり意気投合してカレー談義に花を咲かせていた。
なんだかんだで、心炉もちゃんと合宿を楽しんでくれているみたい。
そう言う意味でも安心した。
エビ尽くしの夕食が終わると、順番にお風呂に入ってカレー臭を落とす。
流石に今日はひとりずつ。
私もいつもの長風呂は控えた。
「さ……何観る!?」
寝巻に着替えたユリが、テレビのリモコン片手に今日イチのテンションで声を弾ませる。
とりあえず、後でまた勉強はするとして、お風呂上がりのこの時間は何か一本ゆっくり映画を見ようって話しになっていた。
「どうせ日中も散々見てるんでしょ? 何観てたの」
ユリからリモコンを奪って視聴履歴を見ると、見事に、頭を使わなくて良さそうなアクション映画ばかりだった。
私がベースの練習に行っている間、勉強しながら流していたんだろう。
作業用BGMとしてなら、良いチョイスかもしれない。
「……で、何残ってるの?」
「えーっとね……これ!」
そう言ってユリが開いたマイリストは、どれも暗くておどろおどろしいパッケージに赤字や掠れたような文字でタイトルが書かれた、ホラー映画ばかりだった。
「やだ」
タイトルもちゃんと読む前から即答する。
反応速度は事故最短記録を突破したかも。
「何か、ヒューマンドラマ的なの観ようよ」
「ええー、お泊り会で観る作品チョイスじゃないよぉ」
ユリは見るからに不満をあらわにして、リモコンをぎゅっと懐に抱え込んだ。
いや、別に取らないけどさ。
そもそも、お泊り会の作品チョイスって何よ。
「そう言えば星さん、ホラー苦手でしたね」
隣で心炉が笑いを堪えていたので、私はちょっとムッとして答える。
「そうだけど……悪い?」
「いえ。ただ映画の撮影のことを思い出して」
ああ……うん。
あれは地獄だったね。
あんな撮影二度とやりたくない。
しかも、あの時のノウハウを活かして開催されたお化け屋敷は、今年の学園祭売り上げでナンバーワンを獲得した。
しかもしかも二位とダブルスコアで。
特に琴平さんは、私の声帯を犠牲に築き上げた結果であることを自覚して、末永く感謝を示して貰いたい。
「これ、めちゃくちゃ評判良かった奴だろ? 私、書展の準備で忙しくて観に行けなかったんだよな」
「そうそう! あたしも、チアの全国大会が日程ずれ込んで観れなかったの!」
心炉と思い出話を語っている間に、アヤセとユリの方で何を観るかの話し合いが勝手に進んでいた。
「私、観ないよ? 部屋で勉強でもしてる」
すっかりそういう系を観る流れになっていたので、私は退散すべく腰を浮かせた。
だが、すぐにアヤセに腕を掴まれて、席に引きずり降ろされる。
「まあまあまあ、大丈夫だから! これ、怖いんじゃなくて不気味系……らしいから!」
「ふわふわしてて信用できない」
「星、後味悪いことの好きだろ? だから大丈夫だって」
「後味悪いのが好きっていうか、こうするしかなかったよね……みたいな、納得できるバッドエンドが好き」
「まあまああ歪んでません……?」
「え……そこ引くとこ?」
心炉がしかめっ面を浮かべて引いていたので、ちょっと気後れしてしまった。
よくある好み……でしょ?
理不尽な死とか、そういうのはイライラしちゃうけど、納得できるどうしようもない結末とかなら逆に気持ちがいい。
「星、一緒に観ないの……?」
一方でユリは、リモコンを構えたまま、子犬みたいな目でこっちを見ていた。
それはずるいって。
「……ホントに怖くはないんだよね?」
「たぶん!」
信用ならない……けど……最悪、寝た振りも辞さなくてもいいか……。
約二時間後、渡しは自室で完全にノックアウト状態だった。
「嘘つかれた……怖くないって言ったのに」
「かもしれないって、言ってたじゃないですか」
心炉から、投げやりな返事が返ってくる。
彼女は、床に布いた布団で念入りな柔軟体操に勤しんでいた。
座って開脚したまま、べったりと胸が床までついている。
滅茶苦茶柔らかいな……。
映画が終わって、程よく寝てもいいかな……という時間になってきたので、今日はお開きになった。
また明日、朝から便宜することになるだろうし。
流石に四人いっぺんに寝泊まりできる部屋はないので、私の部屋と、姉の部屋とで二:二ずつ。
割り振りはなぜか、グッパで決めることになった。
その結果がこれだ。
「ユリさんかアヤセさんじゃなくて、すみませんね」
「そんなことないけど……むしろ、心炉とユリが一緒になったほうが気まずくない?」
「それは……どういう意図のお話で?」
「二人で話してるのとか、ほぼ見たことないから」
「まあ……友人の友人くらいの感覚は否めないですね」
「一番気まずいやつじゃん。あっちは、そんなの気にしないとは思うけど」
私も割と苦手だから気持ちは分かる。
アヤセの友人関係とか、恐ろしいほど広いけど、私はほとんど知らないし。
「今日はありがとね」
「え?」
「おかげでたくさん練習できたから」
「ああ」
豆鉄砲食らったような顔をしていた心炉は、会話が腑に落ちた様子で、安心したようにため息をついた。
「どうせ首が回らなくなっていると思ってたので」
「回ってないように見える?」
「何でもないような顔してるように見えます」
それは強がってるって意味なのか、若干はかりかねたけど、自分の中で勝手に解釈しておくことにした。
「生徒会の肩書がなくなったら……もう頼りがいがないですか?」
心炉は、布団の上に正座をして、バツが悪そうに尋ねる。
私はベッドに背中を投げ出して、天井を見つめながら答えた。
「……たぶん、想像以上に頼ってるよ」
私はそのまま、枕元にある、部屋の照明のリモコンに手を伸ばした。
「いつでも寝れるように消しとくね」
「わかりました」
部屋の明かりが消えて、暗闇の中で心炉が布団に横たわる気配がした。
本当に、想像以上に頼ってるよ。
おそらく、私自身が自覚しているよりも、ずっと――