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11月21日 100日

「今日が何の日か、分かる人はいますか?」


 朝のホームルームで、担任の女教諭が開口一番そんなことを口にした。

 教室のあちこちから「え-」だの「わからん」だの戸惑いの声がこぼれる中で、いくつかそれらしい答えがあがる。


「先生の誕生日!」

「三月の暮れです。残念ながらみなさんが卒業してからですね」

「先生の結婚記念日!」

「独身です」

「じゃあ先生のペットの誕生日!」

「そろそろ先生の話題から離れませんか?」


 いい加減に釘を刺されて、クラスメイト達は一様に押し黙ってしまった。


「さっきの答えにヒントがあったのですが……」


 担任は小さく息をついてから、クラスをざっと見渡すように視線を巡らせる。


「今日で、みなさんの卒業まであと百日となりました。高校生活が残り百日……と言い換えても良いかもしれませんね」


 その言葉にクラスがどよめく。

 たいていは「まじかー」なんていう、しみじみとした感嘆のどよめきだ。


「百日間。長い、短い、人によって感じ方は様々だと思いますが、漫然としたままでも時間は不可逆に流れていきます。今こうして話をしている間にも着実に」

「先生ー。怖いこと言わないでくださーい」


 誰かの投げやりな反応に、担任は小さく鼻先で笑うと、出席簿を閉じて小脇に抱える。


「受験も大切ですが、残りの時間を悔いなく過ごしましょうという話です。在学中にやっておきたいことがある人は、自由登校期間の使い方などを考えておくと良いでしょう。ホームルームは以上です」


 それだけ言い残して、彼女は教室を去っていった。

 やらなければならないことはいろいろあるけれど、やり残したことか……何かあるかな。

 最近何かと忙しい毎日だけど、そのほとんどは学校の外での話だ。

 在学中――高校生のうちにしかできないこと。

 すぐには思いつかないってことは、私は案外、学校生活というものをやりつくしているのかもしれない。

 そもそも、やりたいことリストの項目が少ないせいもあるのだろうけど。


 放課後になって、今日も勉強会が開かれる。

 月曜日なので、今日は心炉も参加できる日。

 土日はずっとこの四人で過ごしていたので、今日という日に限っては、なんだか「改めて集まりました」って言うような浮ついた空気に包まれていた。


 浮ついているのにはもうひとつ理由があって、アヤセを除く三人は、机の上にペラ紙一枚を裏にして置いていた。


「いくよ? せーの……!」


 ユリの掛け声で、一斉に紙をめくる。

 表面に印字されていたのは、先月行われた全国模試の成績だった。


「C! やった、Dじゃない!」


 ユリが印字された文字を見て、もろ手を上げて喜んだ。


「いや、それは喜んでいいのか?」

「喜んで良いんだよー! 夏の校内模試は散々だったもん!」


 苦い顔をするアヤセに、ユリは満面の笑みで答える。

 私もぶっちゃけアヤセと同意見だけど……でも、伸びてるのは確かだ。

 この模試は一ヶ月前のユリの学力状況だ。

 伸びしろしかないユリは、あれからさらに力をつけているはずだし……今ならもっといい結果を出せているかもしれない。

 それは、全国津々浦々の受験生たちにも言えることだけど、実際にユリが伸び盛りなのは確かなことなので、全くの希望的観測ってほどでもないだろう。


「期末テストで学年の真ん中より前にいることができたら、B判定くらいに捉えて良いと思うよ」


 ユリが目指す地元の国立大学は、おおむねウチの高校における平均レベルの難易度だ。

 実際のところ、毎年大半の生徒がそこか、同じくらいのランクの他県の大学に合格している。

 だから超大雑把な見積もりだけど、学年順位の平均を越してるかどうかは、ある程度の目安にして良いはずだ。


「真ん中かあ……根拠はないけど頑張れる気はするよ!」

「根拠のない自信で結構。こっちだって、勉強会の成果を見せてもらわなきゃ」」 じゃなきゃ、ただ放課後を適当に――今朝の担任の言葉を借りれば、漫然と過ごしていただけということになってしまう。私だってこうやって勉強会に参加している以上は、みんなに結果を出して貰いたい。

「そういう星は……わー! やっぱりAだ! すごいねえ」


 私の結果を覗き込んで、ユリは目を丸くする。


「安堵はしたけど油断はできないってところかな……ギリギリ引っかかってるだけっぽい感じがするし、体感ではほとんどB判定」


 なんていうか、ガッツリとした手ごたえみたいなのが感じられなかった。

 基本問題はしっかり点を取って、応用問題もそつなくこなして、ふるいにかける用の高難易度問題はぼちぼちという感じ。

 穿った見方をすれば、出題者の意図通りの点数を取らされたという印象だ。


 目指す大学の難易度を考えたら、それをねじ伏せて高得点を取れなければ、安定した合格ラインに乗った気分になることはできない。

 ユリと私の結果を確認したところで最後は心炉だ。

 私はそっと、彼女の成績表に視線を落とす。


「え……B……?」


 一瞬、目を疑った。

 心炉がB……?

 あれ、これまでずっと余裕のAじゃなかったっけ……?

 もちろん難関大のひとつではあるけれど、私と競り合うような彼女の学力なら、安全圏をキープしているはずなのに。


 戸惑う私を他所に、心炉はどこか余裕――というか結果に納得した様子で、小さく息を吐いた。


「星さんがギリギリ引っかかっているだけなら、その一歩後ろを行く私はこうなりますよね」

「は……もしかして心炉」

「試しに星さんと同じ大学を第一志望に出してみたんです」


 なるほど……そういうことね。

 体調でも悪かったのかと本気で心配しかけたけど、よくよく見れば第二志望以下にいつもの大学の名前が並んでいて、そっちはどれもA判定を獲得していた。


「心炉ちゃん、星と同じ大学受けるの?」


 ユリの質問に、心炉は静かに首を横に振る。


「家庭教師の方の勧めもあって受けただけですよ。実際の志望校は変わりません。でも……」


 心炉は、自分の成績表に目を落としてしばし考え込む。


「B……なら、挑戦してみるのもありかもしれませんね」

「マジ?」


 その言葉に、この場で一番驚いたのはたぶん私だ。

 石橋を叩いて渡る彼女の性格からしたら、その挑戦はかなりの思い切りを要するものじゃないだろうか。


「警察官を目指すにしろ、弁護士を目指すにしろ、キャリアを考えたら箔がつくのは間違いありませんし」

「もちろん、そうだろうけど」

「まあ……あくまで候補のひとつですよ。それとも、私が受けるのは嫌ですか?」

「そんなことは……心炉の進路だもん。決めるのは心炉だからね」


 私がとやかく口を出せる立場じゃない。

 彼女が受けると言うのなら、私は「一緒に頑張ろう」って言うだけのことだ。


「うう……ふたりが私の追いつけない高みに行ってるよ」


 ユリが、眩しそうに顔をしかめて目元を手で覆う。

 そんな彼女の肩を、アヤセが優しく叩いた。


「C判定は地に足付けて頑張ろうな」

「くうう……推薦合格の余裕が今は憎いよ……」


 ユリの思ってもいないような軽口の恨み言は、放課後の部活の喧騒の中に溶けて消えて行った。

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