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11月30日 リバーダンス

 お昼休みに、須和さんに呼び出しを受けた。

 場所はいつか宍戸さんたちと練習をしていた空き教室で、また三人で練習をしているのかと思ったけれど、今日はひとりきりで待っていた。


「今日は昼練は?」

「テスト期間」

「なるほど」


 流石の須和さんも、後輩の大事な期末テストを棒に振らせてまで、クリコンの練習をさせるほど鬼ではないようだ。


「じゃあ、何で私を……ああ、もしかして、演奏が芳しくないから……?」

「それはそれ」


 否定されなかったのが、いっぱい悲しい。

 いや、私だって頑張ってるんだ。

 次の合同練習では、少しは上達したところを披露できるはず。


「聞いて欲しいものがある」


 そう言って彼女は、鞄からスマホを取り出して机の上に置いた。

 ケースも、なんなら保護フィルムすら張られていない、なんとも潔いスマホだった。

 シンプル・イズ・ベストというか、彼女の言いそうな言葉を使えば「必要性を感じない」のだろう。


 差し出されるように置かれたものだから、思わず画面を覗き込んでしまったけど、起動していたのはミュージックアプリだった。

 サブスクじゃなくて、mp3とかで取り込んだ曲を再生できるやつ。


「『リバーダンス』……?」


 なんともなしに、表示されていた曲名を読み上げてしまう。

 曲名以外、アルバム名どころか歌手名すら表示されないので、他に目のやり場がなかった。


 穏やかなイントロから始まった曲を聞いて、すぐに吹奏楽か何かの音源なんだっていうことが分かった。

 いったい、どんな意図があってこれを私に聞かせているんだろう。

 まさか、シングとは別にこれも演奏するとか……?


 とはいえ、聞いた感じ普通の吹奏楽の楽曲で、ジャズって感じは全くしない。

 ただ、カッコいい……と言うより素敵な曲だなって、月並みな感想は覚えた。


「良い曲だね」

「ここから」


 話題の提供程度に誉め言葉を口にしたのに、須和さんの返事は全くかみ合ってなかった。

 むしろ「集中して聞きなさいよ」って怒られた気分。


 須和さんが示したところから、曲調がガラッと変わった。

 リバーが「river」のことを指すのかはわからないけど、それまでは川の流れのように美しいメロディだったのが、急に「dance」と呼ぶにふさわしい音の粒に変わる。

 ここ半年、嫌でも音楽と向き合う機会があったので、一度聞いただけで理解できる。

 この曲、めちゃくちゃ難しい。

 あ、演奏する側の意見としてね。

 聞いてる分には、ただただカッコいい。


 だけど、難しいなっていう私の評価そのままに、流れている演奏もどんどん音が揃わなくなって、みるみる瓦解していくのが分かった。

 正直、聞くに堪えない。

 でも、そのなかで妙に耳に残る音があった。

 それが何の楽器なのかまでは分からないけど、雨上がりの濁流のように混沌とした演奏の中で、その音だけはどこまでも清らかで、それでいて力強かった。


 やがて曲が終わると、須和さんはアプリを落としてスマホをしまう。


「知り合いに貰った」

「知り合い?」

「中学のころの顧問」

「それは恩師っていうんじゃないかな……」

「中三の県大会の演奏データ」

「須和さんのとこの?」


 噛み合わない会話の急流をどうにか乗りこなして、話の本流を掴みにかかる。

 なんだか、カヌーイストにでもなったような気分だ。

 私の質問に、須和さんは静かに首を横に振る。


「宍戸さんの学校」


 それを聞いて、ようやくいろんな疑問に合点がいった。

 そうか、これが宍戸さんが言っていた「めちゃくちゃにしてしまった演奏」か。


 なら、あのひときわ目立って聞こえた音が宍戸さんのサックスで、周りがそれについていけなかったのが、混沌の原因――と解釈して良いのだろう。


「これを聞かせるためにわざわざ?」

「響いた?」


 質問に質問で返されてしまった。

 まあ、いい。


「上手いなっては思うよ。でも、残念ながらこれだけじゃ……」


 おそらく、ちゃんとした録音設備によるものじゃなくて、ご家庭のハンディカムか何かで録画されたやつから音だけを抜き取ったんだろう。

 どこか遠く、籠ったように聞こえたその音声データは、かろうじて一通りの顛末を確認するので精一杯という感じだった。


「私は、今でも耳に残ってる」

「そんなに凄かったんだ」

「協力して」


 また脈絡のない言葉を口にして、須和さんは鞄から一冊のノートを取り出す。

 拍子に綺麗なペン字で「物理」と書かれた自習ノートらしきそれをペラペラとめくると、途中からいきなり、ページめいいっぱいに書かれた棒人間が現れた。

 なんだろう……箱の上に、何人かの棒人間が並んで……喧嘩でもしてるのかな?


「コンクール」

「ああ、ステージなんだこれ」


 ぺらっと彼女がページをめくると、また別の絵が書かれている。

 絵って言うか、さっきと同じステージの上に並んだ棒人間たちが、阿鼻叫喚の叫び声をあげて、その上にでかでかと「ACCIDENT!!!!」と書かれていた。


「ピンチになる」

「なんで?」


 私の疑問は、再びめくられたページと一緒にどこかに追いやられたようだ。

 次のページでは、棒人間のひとりが、ブブゼラみたいな謎の楽器を景気よく吹いていた。


「ハッピーエンド」

「なにが?」


 須和さんは謎のフリップ芸を披露すると、満足――したのか分からない、終始無表情のまま、ぱたりとノートを閉じた。


「口下手だから絵にしてみた」

「謎が増えただけだったけど……」


 素直な感想を述べると、須和さんはとても陰った顔で、じっと手元のノートを見つめた。

 あ……たぶんこれ、ショックを受けてるんだ。

 無表情の分、悲壮感だけは百億倍よく伝わって来た。


「彼女には、やっぱりサックスを吹いて欲しい」


 ぽつりと、須和さんが呟く。

 彼女っていうのは宍戸さんのことだろう。


「吹くしかない、吹かざるを得ない、吹かされてしまった。そんな状況になれば、いいんじゃないかって」

「それでACCIDENTってこと?」


 彼女は、大真面目に頷く。


「それは、まあ、うん……そうなるに越したことはないけど。この案自体は、何の解決策も示されてないよね?」


 ACCIDENTが何なのかも、それをどう克服してハッピーエンドなのかも謎だ。

 過程の一切が、あのフリップの中にはない。


「協力して」

「だから、ガバガバすぎて……」

「考えるのを、協力して」


 言葉が増えた。

 それでようやく、何を求められているのか理解できた。


「全くビジョンが見えないんだけど……てか、サックス吹いてもらうつもりなら、あんなにトランペットの練習させなくたって」

「やっぱりムリな時は、トランペットを吹いてもらう。だから最低限のスキルは習得しておいてもらう」


 ううん……まあ、須和さんなりに、いろいろ考えてくれてはいるみたいだ。

 とはいえ、そう言う退路を用意してくれているのであれば、考えてみるくらいは良いことなのかもしれない。

 かといって「ACCIDENT!!!!」はどうかと思うけど。


「確かに、トランペット吹けるようになりましたで終わりじゃ、後味悪いか……」


 実際のところ、それじゃ何の解決にもなっていないと思う。


「何ができるのかはサッパリだけど、やれるだけやってみようか」


 乗り掛かった舟ってやつだ。

 私の言葉に、須和さんも頷き返してくれる。

 彼女も手を貸してくれるのなら、何かができるような、そんな漠然とした希望が見えた気がした。


 それと、謎フリップが妙に目に焼き付いてしまったのか、その日の夢の中で所狭しと暴れまわってくれた。

 おかげで少し、寝不足になった。

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