「イェェェェス!!」
カラオケボックスに、ユリの絶叫が響いた。
スピーカーからこぼれる爆音を耳の左から右に聞き流して、私は今日帰って来たばかりの期末テストの答案用紙とアネノートとを交互に睨む。
「ちょっと、気持ちよく歌ってるんだから聞いてよー!」
「マイクで喋んないで。歌いたい人は歌う。勉強したい人は勉強するって最初に決めたでしょ」
「そうだけど、空気がなんだかモニタリング番組みたいだよー」
ユリはなおも文句を垂れながらソファーに腰かけると、なみなみに注がれたドリンクバーのメロンソーダを啜った。
今日の放課後勉強会は、いつもと場所を変えてカラオケボックスでの開催となった。
別に歌いたい気分なわけじゃなかったけど、勉強とそれ以外とで9:1の1の方を持て余しているというユリのストレス発散のために、安直だけどカラオケという手段を選んだわけだ。
もちろんアヤセと心炉も一緒。
二人は半ば、道連れのようなものだけど。
「最近こっちの方の発散はしてなかったからな。たまには良いんじゃねーの」
アヤセは、口元で手を開いたり閉じたりして見せる。
散々ドラムは叩いているけど、声は出してないって言いたいんだろう。
彼女の場合はとっくに受験も終わっているので、真正面からユリの発散に付き合ってくれて非常に助かる。
「心炉とカラオケは合宿の時振りか? 今日はキンキ歌わんの?」
「ちょ……私は良いです! テストの見直ししたいですし、おふたりでどんどん好きに歌っちゃってください!」
「別に怒らんでも……」
「心炉ちゃんキンキのファンなの?」
「私じゃなくて、その……母が、結構どっぷり。小さい時から運転中の車内とかでよく聞かされるので、そればっかり耳に残ってしまって」
「そういうのあるよな。私もおっかあの趣味そのまんま受け継いだの多いわ。ドリカムとかもろそうだし」
「それで言ったら、あたしはまっさんのファンになっちゃうなぁ」
「ユリのまっさんは、ちょっと似合わねぇな」
「そう? じゃあ、あたしサンボ好きで良かった!」
それって、喜ぶべきところなのかな。
嘆くところでも無いとは思うけど。
「星も、陽水とか聖子ちゃんとか、絶対に親かそこらの影響だろ」
「聖子ちゃんは普通にリバイバルしてた時に聞いて好きになんたんだけど」
「じゃあ井上陽水はどうなんですか?」
突っ込んで来た心炉に、私は少しだけ迷ってから首を横に振る。
「教えない」
「えー、なんで!?」
ユリが、ソファにぐったり横になって、私の太ももをバシバシ叩いてくる。
全身で不満をあらわにしているようだった。
質問した心炉も同じく不満そうに顔をしかめていたが、やがて何か思いついたようにはっと口を開ける。
「前々期生徒会の打ち上げでカラオケに行った時に、明さんも歌ってましたね。しかも熱唱」
「なるほど。親じゃなくて姉ちゃんの影響だったか……そりゃ、ウチの天邪鬼ちゃんは口を割らないわ」
天邪鬼ちゃんって何さ。
抗議の意味でアヤセのことを睨みつけてやったけど、言葉が上手くでなくって、代わりにウーロン茶のグラスに口をつける。
アヤセはニマニマと愉快そうに笑っていた。
「いや、まー気持ちは分かる。私もバンドの趣味は、兄貴のそれがベースだしな」
「私は兄弟いないのでよく分かりませんけど……でも、好き嫌いの物差しって、大部分は家族の影響を受けるものなんでしょうね。根本的な自我形成に関わる環境の違いという意味でも」
「あれ、もしかして倫理の勉強になってる?」
ユリが困惑しながら顔を上げると、心炉は肩をすくめて「違います」と言い添える。
それで安心したのか、ユリはほっとひと息ついて、もぞもぞとソファーに座り直した。
「あたしもひとりっ子だから、兄弟とか姉妹とかちょっと憧れたなー。だから、星の家とか行くと、明ちゃんいて楽しかったし」
「なんだ。それでお前、星の姉ちゃんだけ〝先輩〟呼びじゃないのか」
「あー、なるほど、たぶんそうかも? 自分でも気づかなかった衝撃の事実!」
アヤセの推論に対して、本人が一番驚いたようにパチパチと手を叩く。
それからユリは、私の方に向き直ってニコニコと笑顔を浮かべた。
「じゃあ、星もお姉ちゃんみたいなもんだね。今も一緒に暮らしてるし」
「それは……どっちかと言ったら、母と娘じゃないですか?」
心炉がかぶせ気味に言うと、ユリは「えー」と残念そうに肩を落とす。
「じゃあ、あたしがお母さんかな!?」
「どう見ても逆だろ。てか、自分でよく言ってんだろ」
アヤセの追い打ちで、ユリはさらにがっくり肩を落とした。
「じゃあ、今度から星ママって呼べばいい?」
「それはなんか、夜のお店っぽくてヤダ……」
脳裏にフラッシュバックしたのは、雲類鷲さんの親戚の店だと言うあの場末のカフェバーだった。
あのカウンターの向こうで無愛想に管を巻いてる自分の姿は、ちょっと想像に難い。
そもそも接客業自体があんまり向いてないって、元バイト先で散々思い知らされてきたし。
「私は、ユリのママにはならないよ」
「え?」
ユリがきょとんとした顔で見つめ返してくるので、胸の内が高く跳ねた。
何かマズいこと言ったかな。
思い返してみれば、ちょっとストレートでキツイ印象はあるかもしれないけど。
「……こんな手のかかる子の面倒は見れませんってこと」
「ええー、ひどいー!」
それとなくフォローを入れてみると、ユリはいつもと変わらぬ様子で泣き崩れた。
それから勉強はちゃんとしつつ、結局ひとり一曲ぐらいは歌わされて、カラオケ大会はお開きとなった。
昼間フリータイムの切れ目が、ちょうどいい時間の切れ目だった。
「今週末は、スタジオ借りて無いんだもんな?」
「うん」
「また学校でな」
「帰り道、お気をつけて」
帰りの方向が違うアヤセと心炉と、店の前で別れる。
時間はそんなに遅くないけれど、すっかり空が暗くなって、街灯の明かりが十字にきらめいていた。
「ねえ」
並んで歩いていると、ユリが呟くように言う。
「あたし、星に迷惑かけちゃってるかな?」
「……それはないよ」
妙に弱気の発言に、私はできるだけ優しいトーンで答えた。
迷惑だなんて、微塵も思ったことはない。
それこそ、やりたくてやっているんだから。
「そっか。だったら……うん。ありがと」
ユリはそう言って、小さく息を吐くように笑った。
迷惑なんて思うわけがない。
だけど同じくらい、私はユリのママになるつもりも、絶対にない。