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12月10日 D.C.

 土曜日の昼下がり。

 ウチの座敷に、真っ黒な美人が座っていた。

 リビングから続いた襖もない小上がりの座敷は、生け花が趣味の母親の希望で付けたものだそうだ。

 ぽつんと木製ローテーブルがひとつあるだけの、今の住宅環境基準で考えたら比較的殺風景な部屋だけれど、急な来客の際にはそれなりに重宝している。


 もっとも、そんなウチの住宅事情はどうでもよくって、目下の注目の的は真っ黒な美人の方だ。

 真っ黒といってもセミロングの艶っぽい髪と、瞳と、服の色がそうだってだけで、肌の方は雪みたいに白い。

 日焼けも雪焼けも無縁そうな箱入りシルク、ないし無機質な白磁のようだった。


「お茶どうぞ」

「どうも」


 母親からお盆ごと受け取った湯呑を差し出すと、真っ黒な美人――須和さんは、小さく会釈を返す。

 母親はすっかり上機嫌で、私の背中をバシリと叩いた。


「痛いんだけど」

「あんたが連れてくる友達美人ばっかりね」

「そうだけどそういうんじゃないから」


 なんとも人聞きが悪い。

 面食いみたいに思われるのは実に不愉快だ。

 強いて言えば、母親が女子高生のころよりも、比較的みんな見てくれがいいだけじゃないかな。

 女子高生の手が届く美容グッズの質も、それを使った美容理論も、はるかに進化しているだろうし。

 もっとも――目の前の彼女は、そういう小手先の技術とは関係ないところの存在だと思うけど。


「ごめんなさい」

「いいよ。てか、昨日の夜に連絡貰ってたし」


 昨晩、彼女から突然メッセージが送られて来た。

 今日会えないかということで、最初は適当な喫茶店で落ち合おうかとも思ったのだけれど、天候があまり良くなさそうだったので自宅にお呼びすることになった。

 ウチじゃなくても良かったのだけど、「じゃあ、そっちに行く」という須和さんの端的かつ一方的な決断により、この状況になったわけだ。


「……犬童さん?」

「はい! 犬童です!」


 須和さんの視線を受けて、ユリが背筋を正して敬礼した。

 彼女はどうしてか私の斜め後ろ、付き人の位置に座って粛々としている。

 だから余計に部屋の緊張感が増してるような気がするんだけど、ユリは嬉々としてその位置から離れようとしなかった。


「ワケあって、今はウチで居候してるんだ」

「居候です!」

「そう」


 須和さんはたったそれだけ答えると、もう興味が無さそうに視線を外した。


「それで話って?」


 居たたまれなくなって、とにかく話題を前に推し進めてみる。

 すると、須和さんの小さな唇が微細に揺れた。


「練習スケジュールの見直しを」


 彼女の言葉と共に、大きなため息が自分の口からこぼれた。

 なんだ、いつもの話か。

 なにやら大事に感じてしまっていたのは、私の早とちりだったらしい。


「あと二週間だものね。今の完成度じゃ足りないか」

「違う」


 須和さんはピシャリと言い切ると、黒々と塗りつぶされた瞳で私を見据えた。


「出来がいいから、もういくらか完成度を高めるために、練習を増やしたい」

「それは、必要なこと?」

「私たちにとっては必要じゃない」

「私たち以外なら……って、考える必要も無いか」


 宍戸さんだ。

 それ以外はない。


 まったく話についていけてないユリが、そわそわしながら私と須和さんの顔を見比べている。

 無理に付き合わなくてもいいのに。


「計画」

「例のやつね」


 宍戸さんに、今の暫定のトランペットパートじゃなくて、ちゃんとサックスを吹いてもらおうという計画。


「上手く行った時、彼女の演奏を支えられる音楽がいる」

「周りが下手くそじゃ、中学の時の二の舞か」

「ねー、何の話?」


 いい加減、首を振り回すのにも飽きたらしいユリが口を挟む。

 そういや、ユリってばその辺の事情すら知らないんだっけ。

 宍戸さんから直接聞いていたら別だけど、この様子を見るに、単なる先輩と後輩の域は出てないんだろう。


「ユリ、部屋で勉強してても良いよ」

「ええー、またそうやってのけ者にする!」


 のけ者にしてるつもりはないんだけど、そう言われると弱ってしまう。

 クリコンのこと自体も内緒にしていた前科があるし……。


「ギター、やらないの?」


 そう真っすぐな視線でぶっこんで来たのは、説明するまでもない、須和さんだった。


「学園祭の演奏スキルなら歓迎する」

「え!? えーっと、それは……」


 ユリは、どぎまぎしながらちらちらと私の顔色をうかがって来た。

 流石にあからさますぎるでしょ。

 私は何も言わず、ぬるくなって来た自分のお茶を啜った。


「あたしは、うーん、受験に集中しないとなので……」


 ユリは、そう言って「あはは」と苦笑してみせた。


「そう」


 須和さんは、相変わらずその一言で会話を終わらせる。

 その切り替えの早さというか、後腐れの無さみたいなところは、大いに見習うべきところがある気がする。


「スケジュールの見直しは、あとでみんなにも聞くとして。場所はどうするの? 流石に、スタジオを何度も借りている予算はないよ」

「スタジオは、来週の一回が最後。他は学校でする」

「音楽室は使えるの?」

「昼なら空いている……けれど、あの教室を使う」

「宍戸さんたちと練習している空き教室?」

「あそこなら、全力で音出ししても迷惑にならない」

「そうなんだ」

「私が三年間、個人練習で使って来た場所」


 それなら安心だと思うのは、それくらいすっかり須和さんのことを信用しているから。

 音楽に関して彼女は最善を尽くすし、嘘もつかない。

 同じくらい遠慮もしないけど、だからこそ信頼できる。

 プロフェッショナルというより、スペシャリスト。

 なんだかんだで、私はこういう人が好きなんだ。

 もちろん人間としてだけど。


「それ、あたしも見学くらいは行っていいのかな?」


 ユリが、おずおずと手を上げて言う。

 直接協力することはできなくても、やっぱり何かしら関わりたいんだろうな。

 その気持ちは今さらだし、私も分かっているつもりなので、特に考える必要もなく頷き返してあげた。


「もちろん、いいよ」

「やた! じゃああたし、マネージャーやるね!」

「別に、マネジメントする必要ないんだけど」

「じゃあ応援する! これでもプロのチアリーダーなんだから」


 何を持ってプロなのかよく分からないけど、これもこれで妙な説得力があって、思わず笑ってしまった。

 きっと理由は須和さんと同じ。

 三年間、応援だけしてきたヤツの言葉は重みが違う。


「あと、チーム名考えた」


 須和さんが、付け加えるように言う。


「そう言えば、ずっとほっぽってたねそれ。なんて?」

「『D.C.(ダ・カーポ)』。意味は――」


 ――もう一度はじめから。

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