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12月24日 シング・ア・ソング(前編)

 二○二二年のクリスマスは、ホワイトクリスマスならぬ、ホワイトアウトクリスマスだった。

 記録的な大雪で、ニュースでは朝から豪雪注意報が報道される。

 だが、記録的な大雪なんて年に何度かは必ずあるもので、この辺りの人たちにとっては日常のワンシーンだった。


「チューニングは、ゲネプロと本番の前。温度で音程が変わるから」

「金管のチューニングって、具体的にどうやるんですか?」

「こうやって、マウスピースの刺し加減で調節するんだよ」

「なるほど」


 須和さんと宍戸さんの講習を受けつつ、穂波ちゃんがマウスピースの位置を丁寧に調節する。

 私もベースにチューナーを挟んで、弦一本ずつ丁寧に音を合わせる。

 コンサートと銘打っているからには、何となく格式ばった会をイメージしていたけど、控室である市民ホール内の小ホールに集まった演者たちは老若男女バラエティ豊かだった。


 地元のバンドやシニア合唱団みたいな人たちもいるし、小学校や幼稚園のクラブっぽい団体、他校の高校生らしき姿もある。

 もちろん我らが南高吹奏楽部の面々も、揃いのコンクール衣装に身を包んでわき目もふらずに準備に勤しんでいた。


 対する私たちは、結局、着慣れた制服での出演となった。

 彼女たちと被らなくて良かったというのが正直なところだ。


「高校生っぽいのも結構いるんだな」

「他校の吹奏楽部とかでしょう。あっちは、学院のハンドベル部ですかね」

「見慣れない制服もあるな。市外かな。この大雪の中、ご苦労なこって」


 アヤセと心炉、チューニングのいらないふたり組(かつそれぞれ楽器もステージ備え付け)は、手持無沙汰に他の参加者たちを物色していた。

 そうこうしてる間に、席を外していた天野さんが帰って来た。

 流石に制服というわけにはいかないので、彼女だけパリッとしたパンツスーツ姿だ。


「ごめんね。ちょっと知り合いと話してて。そろそろ順番だから行こうか」

「はい」


 メンバーが揃ったところで、私たちも大ホールに向けて移動を始める。

 ゲネプロは本番の順番通りらしいけど、前の団体ってどこなんだろう。

 入口でパンフレットを配っていたから後で貰っておこうか。


 裏の関係者通路を通って、ホールの舞台裏へ通じる扉をくぐる。

 ここに足を踏み入れるのは、きっとこれが最初で最後だろう。なんだかんだで、いい経験をさせてもらっている。


 舞台袖までいくと、ちょうど前の団体の演奏が終わるところだった。

 漏れ聞こえていた演奏を聞いていた限り、どこかの吹奏楽部のようだった。

 見たことのない制服。どこか市外の高校のようだ。


「えっ、もしかして須和白羽?」

「うそ、だって三年でしょ? てか、吹奏楽部の方いなかったよね? 別団体?」


 すれ違いざま、そんな声が聞こえる。

 話しかけるわけでもなし、道端で有名人とすれ違った時のような、ミーハーな反応だった。

 てか他校に個人名で知られてるって、須和さんってほんとにすごいんだなと再確認する。

 対する須和さんは、まるで聞こえてないかのような素知らぬ顔で、袖のステージを見やすい位置を確保していた。


「――宍戸さん?」


 須和さんに色めき立つ中に、全く違った声色がひとつ混ざる。

 さざ波の中に、小さな石を投げ込むような、かすかな雑音。

 しかし、まるで耳元で囁かれたかのように、ハッキリと鼓膜を揺らした。


「やっぱり、宍戸さんだよね」

「え……あ……」

「その制服、もしかして南高校だったの? そりゃ見かけないわけだ。あの辺、高校なんてウチしかないはずなのに――」


 宍戸さんは、見るからに動揺しながら、震える視線を足元に落とした。


「てか、トランペット? サックスはやめたの?」


 その言葉が宍戸さんの心に巣食う、何かの引き金を引いたのは確かだった。

 彼女は何も言わずに、その場から逃げ出すように駆け出す。


「えっ、ちょっと――」


 他校の生徒も、流石に驚いた様子だった。

 けれども、小さく首をかしげると、それ以上は興味を失った様子で自分たちの団体に合流していった。


「なんだ? どうした?」


 先にドラムのポジションを確認していたアヤセが、騒ぎに気付いて戻って来る。

 他のメンバーも、何事かと視線をこちらに向けていた。

 状況が理解できていないのであろう穂波ちゃんも、とりあえずそのまま駆け出してしまいそうな勢いだった。


「そろそろ始めても良いですか?」

「あの、え……いや、ちょっと」


 スタッフさんに急かされる中で、返す言葉が見つからずに言葉を濁す。

 すると、誰かが私の肩をポンと叩いた。

 須和さんだった。


「お願い」


 そう口にして、彼女の視線は宍戸さんが駆けて行った方向へと向く。

 お願いって、行ってこいってこと?


 ものすごく無茶な要求をされている一方で、須和さんの手には、宍戸さんが置いていったトランペットが握られていた。

 この場は任せて良いってことなのかな。

 だったら遠慮はいらないのだろう。


「よろしく」


 私はベースごと後のことを須和さんに託して、宍戸さんの後を追った。


 とりあえず小ホールへ行き、私たちの荷物スペースを見る。

 誰もいない。

 だとしたら、エントランスの方かな。

 もしくはトイレとか。

 広い会場の中じゃ、選択肢なんていくらでもある。

 この雪だし、流石に外には出てないと思うけど……一刻も早く見つけるには、とにかく走り回るしかなさそうだ。


 そう覚悟を決めたところで、思いのほか早く宍戸さんは見つかった。

 最初に向かったエントランスホールの片隅で、彼女は誰かの懐にしがみつきながら、息を殺すように泣いていた。


「あっ、星……! これ、どういう状況?」

「は……ユリ、何してんの?」


 ユリがいた。

 宍戸さんが、ユリにしがみついていた。

 状況が全く飲み込めなくて、私も思わず挙動不審になる。


「病院は? 今日、お父さんの退院なんでしょ?」

「今日のことお父さんに話したら『退院の手伝いなんてしてないで行ってこい』って怒られちゃった。あ、怒られたってのは言い過ぎで、もっと諭すって感じだったけど」


 そんなニュアンスのことはどうでも良いんだけど……とにかく、お許しを貰って応援に来てくれたってことなのね。

 それは理解した。

 じゃあ今度はこっちが説明する番だけど――


「とりあえず落ち着くのを待とうか」


 そう言って、宍戸さんの背中をそっと撫でてあげる。

 関係者の出入りでたびたび開く大ホールの扉から、聞きなれたフレーズが断続的に響いていた。


 彼女が落ち着くのに、そう長い時間は必要なかった。

 ひとまず片隅にあるベンチに座らせて、近くの自販機で買ったホットドリンクを手渡す。

 温かい飲み物を飲んでお腹の方からじんわりと温まって来ると、宍戸さんはぽつりぽつりと口を開いてくれた。


「中学の時の先輩でした……ひとつ上の」

「つまり、宍戸さんがコンクールに出た時の?」


 彼女は無言で頷く。

 まあ、状況を整理すればそう言うことなんだろうなとは、薄々感づいていた。

 その辺りの事情を知る私はいいけれど、全く知らないユリは、頭の上にクエスチョンマークを浮かべて首をかしげる。


「ヤバイ。あたし、全然わかんない」

「えと、それは……」


 宍戸さんは少しだけ迷っていたけれど、すぐに顔を上げて、中学の時のことを掻い摘んでユリに話した。


 自分がコンクールの曲をめちゃくちゃにしてしまったこと。

 大なり小なり、当時の部員たちから責められたこと。

 それが一種のトラウマになって、得意のサックスが演奏できなくなってしまったこと。

 そして、地元から逃げるように、片道二時間もかかる南高校へ入学したこと――


 ユリは一切の口を挟まず、静かに宍戸さんの話を聞いていた。

 すべてを話し終えたころには、なぜかユリのほうが感極まって涙を浮かべていた。


「大変だったんだねぇ。でも、南高に来てくれてよかった。だってこうして、歌尾ちゃんと出会えたんだもん」

「は、はい……わたしも……です」


 宍戸さんは、ちょっぴり恥ずかしそうに俯きながら答えた。

 ちょっぴり胸の内がムッとしたけど、今は自制するべきだと思った。


「ステージに戻れそう?」


 そればかりは私が確認しなければならないことだと思った。

 落ち着いたところに鞭を打つ格好になってしまうけど、宍戸さんのことは彼女自身にしか分からない。


 もっともゲネプロはもう終わってしまっているだろうから、本番に出られるかどうかという話になる。

 宍戸さんは、俯いたまま何も口にできなかった。

 時おり唇をもごもごさせているのは、何か言いたいことがあるからだろう。

 だけど、それを声という音にするだけの勇気と覚悟がなくて、荒い息と一緒に飲み込んでしまっていた。

 ユリが隣に座って、優しく彼女の肩を抱く。


「本番までまだ時間があるんだよね? だったら、それまで私がついてるよ」

「でも……」

「ここはマネージャーにまかして!」


 ユリは屈託のない笑みを浮かべて、とんと胸を叩く。

 そこまで言うのなら、今は彼女に任せよう。

 宍戸さんも、もう少しだけ整理する時間が必要だろうし……私も、みんなの所に戻って状況を説明しなければならない。

 開場まではまだ何時間もあるはずなのに、タイムリミットのカウントが鳴り始めたかのような気分だった。


 控室の小ホールへ戻ると、とっくの昔にゲネプロを終えたメンバーたちが自分たちのスペースで待っていた。

 どこか浮ついた様子なのは、出演前に緊張しているからではなく、突然いなくなった宍戸さんを心配してのことだった。


「星先輩、歌尾さんは?」


 私の姿を見つけるなり、穂波ちゃんがぱたぱたと駆け寄って来る。

 今にも泣きそうな様子の彼女の頭をそっと撫でてあげた。


「ちょうどユリが来てて、今、ついてて貰ってる」


 それから、私は宍戸さんの状況をかいつまんでみんなに話した。

 たぶん、思ったより状況は深刻で、次第にみんなの表情が暗くなっていく。


「こればかりは、気持ちの問題なのでどうしようもないでしょうねぇ」

「……琴平さんたちも何してんの?」


 すっかりスルーしそうになっていたけど、いつの間にか控室には琴平さんと雲類鷲さんの姿があった。

 彼女は悪びれる様子もなくヘラヘラと笑って、手に持った買い物袋を掲げる。


「応援に行くって言ったじゃないですか。これ差し入れです。どうぞ」


 買い物袋には、アソートタイプのお菓子と飲み物が入っていた。

 なんだかんだで長丁場なので、確かにありがたいけれど……今はそれどころでなくなってしまったのが正直なところだ。


「人数が多い部活は、どうしても面倒なとこ出ちまうよな」


 雲類鷲さんが、ムスっとした表情で言う。

 前に琴平さんに聞いた話によれば、中学時代の彼女たちは陸上部で、面倒な人間関係に嫌気がさしてしまったんだっけ。

 人が多いコミュニティの厄介さは、骨身に染みているのかもしれない。


「そう言えば、ゲネプロはどうなった? ベースとか押し付けちゃったけど」

「ベースなら、私が代わりにやっておいたよ。サックスはスピーカー通さないし、本番でも合わせられると思うから」


 天野さんはそう言って、傍らに置いていたブラックバードを手渡してくれた。


「ありがとうございます。助かります」

「いえいえ。それよりも、宍戸さんのことを考えなきゃ。考えたところで、結局は本人次第なんだろうけど……」


 流石にこういうことになると、天野さんの発言も弱気に見えた。

 おそらく「何をしたら正解」なんてものはなくて、結果論で「正解だったね」って思えるような道を探すしかない。


「とりあえず、ここまで来たら出場辞退って選択肢はない。もし宍戸さんが戻ってこられない時は……スワンちゃん、トランペットなら吹いても良いんだよね?」

「問題ない」


 相変わらず頼りになる返事だ。

 トランペットパートの穴さえどうにかなるなら、サックスは引き続き天野さんにお願いして、必要なパートは埋まる。

 ただ、このバンドが宍戸さんのために結成されたことを考えたら、主役不在の形骸化したナニカにはなってしまうけれど……。


「狩谷サン、ちょっとユリさんと交代してきてくれます?」

「は? なんで?」


 琴平さんの不躾な提案に、思わずマジトーンで返してしまった。

 しかし彼女は動じた様子もなく、雲類鷲さんの肩をトントンと叩く。


「なんだよ」

「アレですよアレ」

「もしかして、あの無駄に重かったやつか?」

「そうそう。流翔ちゃん、そのために連れて来たようなもんなんですから」

「いや、あたしだって普通に白羽たちを応援するつもりで――」


 雲類鷲さんの不満は完全に無視して、琴平さんはもう一度私に向き直る。


「とにかく、お願いします」

「まあ、いいけど」


 共有するべきことはしたし、私も宍戸さんの事は気がかりだ。

 様子を見る意味でも、琴平さんの提案に従ってみよう。

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