私が姉のことを認識したのは、たぶん三歳とか四歳くらいのことだと思う。
もはや記憶になんてないけど、いわゆる「自我」というものが芽生えたころには、既にこの世に存在している。
姉なんだから当たり前のことだけど、それはおそらく、あっちも同じことだろう。
一歳差の姉妹というものは、ほとんど双子と同じくらいに近しい存在。
それでいて、決して超えることができない一年間の壁もまた、存在している。
私の幼少のころを良く知る母親の証言によると、私の小さい頃の口癖は「お姉ちゃんと一緒にする」だったらしい。
甚だ不愉快である。
記憶から抹消して正解だ。
しかし、無意識のことながら、大いに恩恵を受けていたことも確かだろう。
ウチの姉こと狩谷明は、とにもかくにも好奇心が旺盛な女だった。
今も大して変わらないけど、興味の方向がある程度絞られているぶんだけ、昔に比べたらマシと言えるのかもしれない。
とにかく、何でもやりたがった。
とりわけ習い事関連に、その好奇心は発揮されていた。
幼稚園のころから水泳にエレクトーン。
小学校に上がったら、加えて剣道と習字とそろばん。
どれも近所に教室があったからって言うのが大きいけれど、それでも手当たり次第に手を出すってのは、そうそう至れる考えじゃない。
「一緒にする」思考の私は、そのすべてを追従するように、一年遅れで教室に通う。
そして、姉が進級や進学を機に辞めた時に、自分も一緒に辞めるんだ。
そうやって最後に残ったのが剣道だけ。
もっとも、よくよく考えてみたらそれも、姉が中学校で剣道部に入っていたからというのが一番の理由だったのかもしれない。
他のどんな部を選ぶことも自由だったはずなのに、私は剣道部に入ることを迷いも疑いもしなかった。
もしも姉が居なかったら――私は、自分から興味を持って、それらの経験を積んでいただろうか。
そもそも、想像できる出来ないの話ですらないのだけれど。
なんとなく全く別のことをしていただろうなって思うのは、多少なりの反骨精神というやつだ。
小学校の頃っていうのは、だいたい何をやっても、真面目にさえ取り組んでいれば相応の評価を貰えるものだった。
常に一番ではないにしても、「今回は頑張ったな」って思える時は、ちゃんと結果がついてくる。
勉強でも、図画工作やスポーツでも。それは素直に嬉しいし、家族に自慢もする。
もちろん家族も喜んでくれる。
姉だって同じだった。
賞を貰ったりしたら、嬉しそうに報告する。
両親も、私だって一緒になって喜ぶ。
今夜はごちそうだねなんて話をする。
それが日常だった。
きっと楽しかったし、何も疑問なんて持たなかった。
わたしが〝たまに〟で、姉が〝いつも〟であることなんて、気に留めもしなかった。
自覚するのは、やはり中学校になってからだ。
おそらく誰もが直面する、努力がイコール結果に直結するわけではないという現実。
世の中では、頑張っても評価されないことがある。
だいたいの人間は、それを「才能」とか「向き不向き」とか呼んで自分を納得させて、代わりに自分が結果を出せる事柄に集中して取り組むようになる。
だけど、そういうものの考え方ってやつは、自分の置かれた環境に左右されるものだ。
そして私の環境――私の知る日常はと言えば〝努力しただけ評価される世界〟に他ならなかった。
何より姉は、中学校に上がってからも〝いつも〟評価され続けた。
そこで、ああ、私は違うんだって思えていたら、どれだけ楽な気持ちで思春期を過ごしてこれただろう。
だけど、中学時代の私は馬鹿だった。
もっと言えば、姉馬鹿だった。
そもそも、〝たまに〟と〝いつも〟の差を気に留めなかったくらい能天気だったんだ。
いろんな分野で活躍する姉の姿を見て、自分も頑張ろう、評価されないのは頑張りが足りないからだ、なんて考えてしまっていた。
他の人ならとっくに理解していた、「才能」とか「向き不向き」という言葉をようやく辞書で引くまで、ずっと、ずっと、ずっと。
だって、私が見て来た世界では、頑張ったら結果がついてくるんだから。
結果を出し続けている人がいるんだから。
だから――自分と姉が別の生き物だって理解したとき、本当に、ただただ、気持ちが悪かった。
姉妹でさえなければよかったのにって、あの時ばかりは本気で思っていた。
姉のことを避けるようになって、「お姉ちゃんと一緒にする」が本格的になくなったのはそのころからだ。
こうして姉と同じ高校に進学しているのだから、傍目には説得力がないかもしれないけど。
彼女が、私のことをどう思っているのかは、よく分からない。
たぶん嫌ってるってことは無いんだろうけど、だからこそ私の方から避けムーブができるというのもある。
ただ、おぼろげな幼少のころの記憶よりも、こちらを振り返ることがなくなったような気がする。
いつも私より一歩前を進みながら、顔だけはこっちを見て、何も言わずに手を引っ張ってくれた。
今はもう、彼女は彼女の道を進んでいる。
それは私の道とは違うのだから、振り返ることも、手を引くこともない。
手を引こうとするときは、必ず私に確認を取るようになった。
私はそのほとんどを、二つ返事で振り払っていた。
それが、ここ四、五年でできた私たち姉妹の距離感。
結局のところ私は、別の生き物であることを理解しながらも、対等でありたかっただけなのかもしれない。
手を引かれるより、胸を張って並んで歩きたかった。
だけど、ふたりの歩幅は違うから、いつまでも肩が並ぶことはない。
それでも歩き続けるのは、無意味なことなんだろうか。
やっぱり私は馬鹿だから、深く考えないことにしていた。
自分の世界を自分で否定してしまわないように。
自分の歩いてきた道が、間違いじゃなかったって胸を張って言えるように。