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12月28日 稽古納め

 無心で机に向かっていれば粛々と時間が過ぎる。

 いろいろと考えるべきことはあるけど、目先にやることがあるっていうのが大きい。

 スマホは、日中は電源を切っておくことにした。

 夜はみんなの都合がつきやすいので、通話しながら勉強とかもできるけれど、日中はただ気を散らしてしまうだけのものだ。


 昼過ぎになって、下階の玄関に人の気配を感じる。

 そう言えば、今日は姉が朝から出かけていた。

 どこに行ったのかは興味がないけれど、帰って来たと言うのなら、私の極限集中タイムもここまでということだ。

 午前中いっぱい使えたのならよしとしよう。


 トタントタンと独特の足音が階段を登って来る。

 そのまま相変わらずノックもなしにドアノブに手をかけられたので、私は反射的に一喝してしまった。


「邪魔しないで」

「えっ、ごめんなさい」


 思っていたよりも小さな陰がそこに立っていて、私の剣幕にすっかり驚いていた。


「え……穂波ちゃん、なんで?」

「いえ、それが……」


 穂波ちゃんは、助けるように後ろを振り返る。

 すると、また別のトタントタンが聞こえて、姉が素知らぬ顔を覗かせた。


「ほらー、やっぱり間違えたでしょ?」

「ちょっと……私の後輩に何を吹き込んでんの?」


 ストレートに頭にきて、穂波ちゃんごしに姉のことを睨みつける。

 その剣幕に、流石の姉も引きつった笑みを浮かべた。


「いやね……星はお姉ちゃんのこと足音で判別してるから、間違えるかなーって。穂波ちゃん、私と歩き方似てるから」

「にどとすんな」

「はい」


 姉、全面降伏。

 間に挟まれて、狼狽えながら私と姉の顔を見比べていた穂波ちゃんに、私は「気にしないように」と笑顔を向ける。


「ところで、なんで穂波ちゃんがウチに来てるの?」

「今日は、剣道部の稽古納めだったんです。朝稽古をして、忘年会をして、その帰りで」

「そこに、なんでコレが?」

「暇だからコーチして、ご飯御馳走になってきた☆」


 コレ呼ばわりされた姉は、アイドルみたいにあざといウィンクを返してくる。

 おぞ気がしたので唾を吐き捨ててやりたかったけど、自分の部屋だったので舌打ちで手を打ってやった。


「とりあえず穂波ちゃんはゆっくりしてっていいよ。あんまりお構いできないかもだけど。ほら、お茶」

「ういっす。淹れさせていただきやす」


 顎で指示をしてやると、姉はチンピラの三下みたいに顎で返事を返して、いそいそとリビングへ降りて行った。

 残された穂波ちゃんは、すすーっと流れるように部屋の中に入ってきて、ローテーブルの傍に腰かける。


「そう言えば、星先輩の部屋は初めて入りました」

「宍戸さんを送ってくれた時は、玄関先でバイバイだったもんね。雪の中大変だったでしょ」

「はい……でも、門限もあって、早く帰らないといけなかったので。親御さんに車で送って貰えて助かりました」

「それくらいはね」


 送って行ったのは私ではないけど。

 私は返事をしながらも、当たり前のように机に向かい直して勉強を再開する。

 すると、背中越しに穂波ちゃんがはっと息を飲むのを感じた。


「私、受験生の邪魔を……」

「大丈夫。案外、静かすぎない方が集中できるものだから」

「なんとなく分かります。道場で一面コートで試合をするより、大会の多面コートの中で試合してる方が集中できるようなものですね」

「ごめん、ちょっと分からないかも」


 分からなくはないんだけど、例えがあまりに限定的すぎない?

 ちょうど稽古してきたところだし、剣道脳なのは仕方が無いのかな……そういうことにしておいてあげよう。


「そう言えば、年越しにユリたちと初詣に行くけど、穂波ちゃんも行く?」

「ああ……お誘いは嬉しいんですけど、遠慮しておきます」

「もう予定があった?」

「そうと言えばそうなんですが。私、明日実家に帰るので」

「なるほど」


 すっかり忘れ気味だけど、彼女の実家は遠い遠い山間の温泉街にある。

 今年の記録的な大雪の被害を特に受けたらしく、連日県内ニュースで積雪情報が繰り返し報道されていた。


「雪、ヤバイんじゃないっけ?」

「はい。なので、マシなうちに帰っておこうって話になりまして。年末は、地域の寄り合いとかもあって忙しいですし」

「じゃあ、今年会うのはこれで最後か」

「だから来ました」

「なに、わざわざ挨拶に?」

「先輩がす……好きなので」

「は?」


 慌てて振り返ると、穂波ちゃんはなぜか入口の方を向いていた。

 僅かに空いた扉の向こうで、姉がこれ見よがしに「あなたがすきだからー」と書いたカンペを掲げていた。

 私は無言で立ち上がると、そのまま大股で入口に近づいて、ドアノブに手をかける。


「あ、まって! 閉めないで!」

「寒いから」


 問答無用。

 差し出された穂波ちゃんのお茶だけ受け取って、力いっぱい締め切ってやった。


「良かったんですか?」

「いいよ。いつものことだから」


 お茶の入ったマグカップを穂波ちゃんの上に置いて、いくらかスッキリした気分で勉強机に向かう。


「てか、あんなのに付き合わなくていいのに」

「尊敬してる先輩なので」

「そういう体育会系マインド、あんまり良くないと思うよ」

「ううん……星先輩がそういうならやめます」

「ふっ、私が言うならやめるんだ」

「星先輩の方が、もっと尊敬してるので」

「ぶっ」


 思わず吹き出してしまうところだった。

 嬉しいけど、そういうこと面と向かって言えちゃうのが穂波ちゃんだもんなぁ。

 勉強机に向かって背を向けてて良かったと思った。

 たぶん、今の顔はにやけてしまっていると思うから。


「そう言えば、聞きました。二月のクラスマッチのこと」

「ああ、もう生徒会は準備を始めてるころか」

「冬は個人競技がメイン……というか、武道があるんですね」

「ああ、そうね。先々代の会長が『個人技系の部活の人も活躍できるように』って始めたのが冬のクラスマッチだから」

「先輩、剣道で出ましょう。勝負しましょう、勝負」


 穂波ちゃんが、いつになく弾んだ声で口にした。


「えぇ……私はいいよ。三年生は自由参加なんだ。そもそも自由登校期間中だし」

「そうなんですか? せっかくの機会だと思ったのに……」


 背中で聞いてるだけで分かるくらいに、声のトーンがしょんぼりと下がった。

 そこまでの落差を見せられると、何とも悪いことをしてしまったような気分になる。

 けど、それだけは無理というものだ。

 申し訳ないけど涙を呑んでもらおう。


「代わりに、大学受かったら一回くらい練習付き合うから」

「良いんですか!」


 また、声が跳ねた。

 相手がもし犬なら、ぶんぶんと尻尾を振っている様子が目に浮かんだ。

 その剣道馬鹿っぷりは、まったくもって恐れ入るよ。

 だけど強くなれるのはみんな、こうやって馬鹿になれる人間なのかもしれない。


 穂波ちゃんの中学の自己ベストがベストエイトだったっけ。

 今年は新人戦でベストフォー。

 このまま伸びれば次は準優勝?


 まあ、そんな皮算用が通じる世界ではないだろうけど、来年くらいは本当に〝全国〟の二文字が見え隠れするころかもね。

 もしもそうなったら、インターハイの会場にくらいは応援に行きたいなと、素直な気持ちでそう考えている。

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