今日は、アヤセがウチに来ていた。
ユリも心炉も一緒じゃなくて、珍しくひとりだけ。
わざわざウチまできて何をやっているのかと言ったら、人のベッドを占領してダラダラ漫画を読んでいた。
「あんた、受験生の部屋になにしに来たのさ」
「あー、暇つぶし。これ五巻どこ?」
「五巻だけ電子で買った」
「どういう買い方してんだよ。スマホ貸して」
「嫌だけど」
あまりに傍若無人な物言いに、私は完全に愛想を尽かして机にかじりつく。
「しゃーない。ヤマダの顛末を想像しながら六巻に飛ぶか……」
アヤセはのそのそとベッドから起き上がると、カラーボックスに並んだ漫画の六巻から先を、ごそっと掴めるだけ掴んで取り出した。
「課題も部活もねーからさ。暇なんだよ」
「部活? あー、まだ大会あるんだっけ」
「年始にな。ほとんど書初めイベントみてーなもんだ」
「ふーん」
じゃあ、年末年始くらいは英気を養いたいのかとは思うけど、別にウチでだらけなくっていいじゃないか。
話したいだけなら、別に通話でもなんでもすればいいし――って、日中はスマホの電源切ってるんだった。
夕食時に電源を入れると、毎日鬼のように通知が入っている。
「今日は明先輩は?」
「高校んときの友達と会うんだって」
「続先輩?」
「あの人は家族旅行中」
「なーんだ、つまらん」
アヤセはそう言い放って、ベッドに身を投げ出した。
しばらくして、ぱらぱらと漫画をめくる音が響く。
定期的に響く紙擦れの音は、環境音としては心地よかった。
「お前らさぁ……いつの間にそんなドロドロした感じになってたの? 傍目にゃ全然気づかなかったんだけど」
「本題はそれか」
小さくため息をついて、ゆっくりとアヤセに向き直る。
うすうすそんな気はしていたよ。
そういうところは下手くそなんだよね、こいつ。
口先だけは上手なくせに。
「別にドロドロはしてないよ。さらっさらの、トリートメントみたいな関係」
「トリートメント自体は、ドロッドロっていうかベタッベタだろ」
「上げ足取るんじゃないよ」
「悪い悪い。でもさー、マジで全然気づかなかったよな。私、何見てたんだろうなー」
「うわべだけを見てたんだよ」
「あー、その言い方は傷つくわ」
「でも、それで良かったよ。おかげで楽しく友達できたわけだし」
「うーむ……なら、良しとするか」
アヤセが苦笑する。
「しかし、大変じゃんよ。ライバルひとり増えちゃったし」
「ああ……まあ、それは前から知ってたし」
「はあー?」
アヤセは、思いっきりずっこけながらくたびれたような悲鳴をあげた。
「なんだよそれー。コンソメダブルパンチだわー」
「ケッコー、コケッコー」
「うー、コッケイだわ」
「ふっ、なにそれくだらな」
「互いに、ギャグセンス大して変わんねーじゃねーかよ」
互いに失笑を溢しながら、「ふぅ」とため息ひとつの間をとる。
アヤセは漫画を傍らに置いて、ごしごしと目頭をこすった。
「よーし。この際だから、他に私の知らないことあったら全部話せ」
「んなこと言われても、そもそも何を知らないのか知らないんだけど」
「自慢じゃないが、たぶん何も知らん!」
ほんとに自慢にならないよ。
開き直りっぷりは恐れ入るけど。
「別に何もないと思うけど……私が生徒会長になったのは、ユリをちゃんと失恋させるためとか?」
「はい?」
「あ……ウチの姉と続先輩は付き合ってる」
「おいおい」
「あと……これは勘だけど、琴平さんと雲類鷲さんも付き合ってる」
「はー」
アヤセはもぞもぞとベッドの縁に腰かけると、燃え尽きたジョーみたいな恰好で薄く笑みを浮かべた。
「私って、つくづく何も見て無かったんだな……」
「気にしすぎぃよりはいいでしょ」
「そうは言ってもよぉ。やっぱ私らって、年頃の女の子じゃん?」
「『じゃん?』って言われても」
「つーかよ! 普段からJK三人も集まって恋バナひとつ無いのが、そもそもおかしかったんだよ!」
「いやぁ……それは、ままあることじゃない?」
「そこから疑うべきだったー!」
雄叫びを上げながらもだえる彼女は、ほとんど聞く耳を持ってなかった。
「そういうアヤセは何かネタないの? ギブアンドテイクでしょ」
「この鈍感さでネタあるとお思いですか?」
「じゃあ、アヤセ自身の赤裸々恋愛トーク」
「いやいやいや、常々、恋に恋する乙女だったじゃん、私」
「今なくたって、昔ならあったでしょ。あ、じゃあ、初恋は?」
「えー」
アヤセはこの上なく嫌そうな顔をして、視線を泳がせる。
だが、しばらくしてから観念したように、ぽつりと呟いた。
「たぶん、幼稚園の時の先生?」
「へえ、どんなん」
「ショートカットのさぁ、爽やかイケメンだったんだよなぁ。アイドルグループとかに居そうな」
「アヤセって、面食いだよね」
「そんなことねーと思うけど……ただ、男だと思ってたんだよなぁ」
「ジャニ系じゃなくてヅカ系だったの?」
「そう。イベントでお泊り会やった時に発覚してさ、そらもうびっくりしたわ」
「てか、普通に気づくタイミングあるでしょ」
「恋は盲目ぅ。イェス☆」
やけにウザったくウインクを飛ばしてきたので、蚊を払うみたいに手のひらで払ってやる。
「それでも好きなことは好きだったと思うんだよな。だから結局、人を好きなんだな、私」
「さわやかイケメンならね」
「陰気な元生徒会長とは逆のな」
「はは、ぬかしおる」
割とマジトーンでどつき合ってから、アヤセはもう一度念を押すように、握りこぶしでトンと私の胸元を小突いた。
「まあ、骨拾いは任せろ」
「なんで玉砕前提なのよ」
「いやぁ、ありゃ難儀だろ。私だって、三年つきあってて、未だにつかみどころわかんねーぞ」
「まあねぇ」
アホみたいな恋をしてる自覚なら、散々やってるよ。
だけどこうやって、「アホみたい」って愚痴って笑える相手がいることが、今までと違うんだ。正直、宍戸さんのおかげですっかりタイミングを逃してしまったクリスマスの告白だけど、まだ私は戦える。
そんな気にさせられた。