年が明けた。
あちこちから「あけましておめでとう」の声が上がり、参拝列がぞろぞろと動き始める。
大きな神社の場合、巨大な賽銭箱と一緒に本坪鈴も何本がぶら下がっているもので、一度に四~五人が一緒にお参りできる仕様になってる。
だから、列さえ動き始めたら流れは案外早い。
十分も立たないうちに順番がやってきたので、さくっと参拝を済ませて参道の人混みから脱出する。
「改めて、あけましておめでとうございます」
心炉がそう言って頭を下げたので、つられてみんなで新年の挨拶を交す。
待機列じゃまともに挨拶もできなかったので、改めてといった感じだ。
「おみくじでも引いてくか?」
「うーん……私はやめとくかな。今年に限っては、微妙な結果だとヘコみそう」
アヤセの提案に、私は苦笑して返した。
受験本番を控えているとどうしてもね。
合格した後なら、大学生活を占って引いても良いんだけど。
「はい、大吉!」
そんなこと言ってる間に、いつの間にかユリがおみくじを掲げていた。
「あたし、初詣だと大吉以外出したことないんだよね」
「なに、その無駄な強運」
本当だとしたら、逆におみくじの意味をなしてないんじゃないかな。
もしくは、毎年正月に運を使い果たしているのか……。
「初詣シーズンは、凶がなくて大吉が多めに入ってるとか、都市伝説ありますよね」
「聞いたことはあるけど、私そもそも凶を見たこと無いんだが」
「逆にレア感ありますよね」
「よし、引くか」
「いや、だから私は」
なんて抵抗は、JKの同調圧力の中では無意味である。
私たちの間にどろどろした力関係はないけど……どっちかと言えば、こいつらと一緒ならいいかなっていう、そういう同調圧力。
「そういう訳でほい、大吉」
「私も大吉です」
当たり前のようにさらっと大吉を引いてくるふたりの横で、私は自分のおみくじを広げる。
「……小吉」
「おう……考えうる限りで一番微妙」
一緒に覗き込んでいたユリが、なんとも率直な意見を述べてくれた。
だから引くの嫌だって言ったのに。
半ば無理矢理連れん込んだアヤセも、眉間にしわを寄せながらコメントに困った様子だった。
「まあ、ここから運気が上がる見込みアリってことで」
「まだ下があるんだから、今が上り調子か下がり調子か分かんないじゃん」
「お前、結構そういうとこ悲観的だよな」
「最悪を想定しておいた方が、いざという時のショックが減るだけ」
期待には、上手く行っても行かなくても、落差が生まれる。
でも最悪は最も悪いわけだから、どんな結果でもたいていプラスになる。
想定通りの最悪でも、プラマイゼロ。
心は安寧。
それが私の処世術。
だけどまあ……ヘコむものはヘコむよね。
小吉て。
凶の方が諦めがつくよ。
「と、とりあえずお隣に行きましょうか。身じろぎせずに立ちっぱなしだったので、流石に身体が冷えました」
心が薬師堂の方を指さすと、ユリは首が千切れんばかりに上下に振る。
「甘酒! あと、夜店何出てるかな?」
「行きゃ分かるだろ」
次々増える参拝客の流れに逆らって神社を後にする。
こんなにたくさんの人、この街のどこに住んでいたんだろうね。
ウチの姉たちみたいに、帰省した人もいるんだろうけど。
首都圏の盆と正月は、街から人が消えるという。
消えるって言ってもオフィス街とか学生街の話で、繁華街は相変わらずの人混みなんだろうけど。
薬師堂の方へつくと、神社と同様の参拝客のほかに、提灯に照らされた夜店が立ち並んでいた。
初夏にある縁日の時ほどではないけれど、参道となっている林の中にずらっと並ぶ出店の列はなかなか壮観だ。
ビビットカラーなテントが目を引く巡業屋台じゃなくって、飾り気のない地元商工会の屋台っぽいのもポイントが高い。
肝心のラインナップはと言えば、甘酒やお雑煮といったお正月らしいものに加えて、定番の玉こんや串焼き、もつ煮。
たこ焼きは無いけど、どんどん焼きはある。
あとは正月飾りとか、乾物屋さんとか、初市の先駆けみたいなのもちらほら。
そっちは、女子高生には用事がないかな。
「こんぶ! こんぶ超安い! みて!」
いた、用事あるやつ。
ユリが乾物の屋台を指さしながら、ぐいぐいとコートの袖を引っ張って来る。
「ごめん。それが安いのかどうか、私には分からない」
「安いんだよー。買ってって今週はおでんにしようかな」
初詣に来て夕飯のメニュー考えるやつ初めて見たよ。
ウチはしばらく、おせちと餅だろうな……なんて考えていたら、お腹が減ってきてしまった。
こんな時間に食べたらいろいろまずいけど、もうもうと湯気をあげる屋台の鍋は、ビジュアルも香りも抗いがたいものがある。
「お前ら、せっかく来たのに何も食わんの?」
いつの間にか、アヤセがもつ煮の入った小さなお椀をすすっていた。
くそ、こいつこれ見よがしに。
いや、別に見せびらかすつもりはないんだろうけど。
でも、この冷え切った身体にもつ煮の一杯は悪魔的な旨さだろうね。
食堂を通って、お腹を中から温めるアツアツの汁。
考えただけで唾が出る。
でも思い出せ。
私は乙女だ。
これから帰って寝ようって時に、もつ煮の一杯は身体にとっても心にとっても贅肉となる。
だからせめて――
財布を握りしめたところで、その手を横からひしりと掴まれた。
驚いて見上げると、姉が隣に立ってた。
「玉こんなら――とか思ってるでしょう」
「げ……まだ居たの」
私の今年初嫌味をものともせず、姉は財布を開こうとした私の手をぐいぐいと押さえつける。
「ダメだなぁ。正月だよ。めでたいんだよ。欲望の開放がヘタ。星が食べたいのは玉こんじゃなくて、アツアツのもつ煮。お雑煮。それとも串焼きかなぁ」
「玉こんも普通に食べたいけど」
「玉こん片手に、アツアツの汁をすすりたくはないのかい? 豚バラの串を頬張りたくないのかい? その財布の中身は何のためにあるんだい?」
ぐぬぬ……この姉、的確に私の胃袋を掴んでくる。
しかも掴むどころか、跳ねるカエルの玩具のエアポンプみたいに、ぐいぐい握りしめてくる。
年末にバイト貯金を少しおろして来たのまで知ってるし。
そして結局、出店横の飲食スペースのテーブルの上に、串ものの器ともつ煮の入ったお椀が並んだうえに、左手で玉こんの串を握りしめていた。
その惨状を目にして、心炉は呆れたように目を細める。
「ずいぶん買いましたね」
「初詣行くために、ギリギリまで勉強してたから……」
年越しそばを食べるのも惜しんだぶんのツケが今やってきた感じ。流石に少し買い過ぎたのは反省している。
でも、なんか途中から気持ちよくなってくるんだよね……屋台にお金落とすのって。
「心炉、半分食べる?」
「結構です」
「食べて良いなら、あたし食べたい!」
横から入り込んで来たユリは、もちゃもちゃと雑煮のお餅をお頬張っていた。
「まだ食べるの?」
「見てたらお腹減って来た」
「いいよ。串もの外して半分食べな」
すると、ユリは喜んで串焼きを外し始めた。
ついでなので玉こんの串も渡してやると、それも丁寧に外してくれた。
その間、最初に私のことを煽ってくれたアヤセはと言うと、横に座った私の姉と、続先輩と一緒に雑談に花を咲かせていた。
「東京で初詣は行かないんすか?」
「人が多いからね。空いてから、観光がてら行ってみたいところはいろいろあるんだけど」
答えながら、続先輩が笑う。
ひとつ言葉を溢すたびに細く立ち上る白い息が、深夜の寒さを物語っていた。
骨の髄まで凍り付いた身体を解きほぐすように、もつ煮のスープをすする。
煮詰まってちょっと濃くなった味付けが、じんわりと身体に沁みる。
大晦日の夜にご飯をほぼ抜いたのは本当のことだ。
部屋で勉強してたら、気づいたら集合時間が近づいていていた。
初詣は行きたかったから、その分の時間を前倒しするつもりで。
それだけやっても、闇雲に進んでいるようにしか感じられない。
受験ってこんなんだったっけ。
思えば上を目指すプレッシャーにさらされるのは、初めてのような気がする。
部活で「目指せ全国!」とかいうスローガンを掲げるのとはまた違う。
「わぁ、良いんですか!?」
急に血糖値が上がったせいか、ぼーっとしていた頭にユリの溌剌とした声が響く。
辺りに焦点を合わせると、机に身を乗り出すユリの姿があった。
「なに?」
「残りの冬休み中、先輩たちが勉強見てくれるって!」
あ……そんな話してたの?
全然聞いてなかった。
半ば真偽を確かめるように続先輩のことを見ると、視線に気づいた彼女はニコリと微笑む。
「私たちで役に立てるなら、いくらでも頼ってね」
「はあ……」
お腹いっぱいなのと、眠いのとで、曖昧な返事を返してしまう。
「この子、お姉ちゃんの教えはいらないって言ったのに!」
「あんたの教えはいらない」
「ひどすぎる……」
勝手にヘコんだ姉は放っておいて、私はお椀の最後の一滴を飲みほした。
正直気は進まない……けど、使えるものはなんでも使う。
とっくにそういう段階なんだって思う。
年が越したなら、もう遮るものは何もない。
このまま、走り抜けるだけだ。