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1月5日 犬童ハウスへようこそ

 勉強会の会場も一周し、今日は最後の地である犬童家に集合する。

 玄関口をくぐると、ユリが両手を広げて私たちを出迎える。


「ようこそ犬童ハウスへ!」


 それからそそくさと足元にスリッパを並べる。


「そこまでかしこまらなくてもいいのに」

「いやぁ、こんなに大勢のお客さん久しぶりだから、力が入っちゃって」

「お父さんは元気?」

「元気元気。仕事も始まって、今日もコルセット巻いて会社に行ったよ」


 それはまたお疲れ様だ。

 ユリのお父さんは私たちが二十五日にクリスマス会した後に、退院の挨拶に来てくれた。

 ユリがウチで過ごしたのは約ひと月半。

 たいしたおもてなしはできてなかったのだけど、形式ばったカッチリとしたご挨拶だった。


 リビングに通された私たちは、テーブルに勉強道具を広げて準備を始める。

 その間ユリは、飲み物を運んだり、お菓子を運んだり、キッチンとリビングとを落ち着きなく行き来していた。


「ユリさん、そんなお構いなく」


 心炉が声をかけると、ユリはにへらと苦笑して頬を掻く。


「いやぁ、なんだか落ち着かなくって」

「落ち着かないって、自分の家でしょ」

「ここ最近ずっとおもてなされていたから、あたしのおもてなし力が行き場を求めて荒ぶってるんだよ」


 おもてなし力ってなんなんだ。

 それに、ウチに居た時もご飯つくってくれたり、結構よくしてもらった気がするんだけど……それでも彼女なりに気は遣っていたのはわかる。

 ちゃらんぽらんなように見えて、いろいろちゃんと考えてるのを私は知ってるつもりだよ。


「明ちゃんもありがとうね。お部屋貸してくれて」

「いやいや、いいよ。久しぶりに帰って来た部屋が、自分が出てったまま手つかずなのって、それはそれで寂しいもんなんだよ」


 姉は何でもないことのように言うけど、私だったら自分のいないところで部屋を勝手に使われるのってなんか嫌だな。

 家を出て行ったあとで、空き部屋として倉庫代わりに使うとかならまだいいけど。


 とはいえ、両親も姉の部屋をそのまんま残しているのは、あの家をまだ「帰ってくる場所」と認識しているからなんだろう。

 仮にも彼女はウチの第一子だ。

 家を出て行くというのも初めての経験となる。

 たぶんこのまま首都圏やらどっかで仕事を見つけて、帰っては来ないんだろうなって私なんかは思っているけど、両親たちにとってはまだ「ちょっと長めの合宿に行ってる」くらいの感覚なのかもしれない。


 親の心、子知らずなんていうけど、理解しようとしてできるものじゃない。

 これは、自分も保護者にならないと分からないことなんだと思う。


「私も今だから言えるけど、ユリちゃんの地元に残りたいなって気持ちはちょっと分かるかも」


 続先輩がそんなことを口にする。


「どうしても、軽いホームシックみたいなのはあるよね。強く『帰りたい』って思うわけじゃないんだけど、まだ今の街に住み慣れてない感じがするっていうか」

「その辺は年季だろうね。今のところも、あと一年くらいだろうし」


 姉が同意するように頷く。

 ふたりは今ルームシェアをしているわけだけど、順当にいけば三年からキャンパスが変わるので、それに合わせて引っ越しの予定を立てているらしい。

 たった二年で引っ越すって、なかなかのストレスのような気がするんだけどどうだろう。

 私もそうしなきゃいけないのかなと思うと、少しだけ憂鬱になる。


 最初から各キャンパスの中間点に下宿を構えるって手もあるんだろうけど……それはそれで通学が面倒になってしまいそうだ。

 一時の重い面倒を取るか、長期的な軽い面倒を取るか。

 どっちを取るかはその人次第だ。


「ひとりぐらし自体は憧れはあるんだけどねー」


 ようやくキッチンとの往復を終えたユリが、自分の勉強道具を引っ張り出しながら呟く。


「でも、せめて自分のことは自分でできるようになってからかなぁ」

「そうはいっても、ユリはもう何でもできそうだけど」

「うーん、生活費とか?」


 そういう意味での「自分のことは~」ね。


「就職して、自分の力で生活できるようになって、それで必要性に迫られたらかなぁ」

「ユリさん、そういうところカッチリしてますよね」

「いやぁそれほどでも」


 心炉のそれは、半分は褒めてないと思うよ。

 ただ指摘するのも面倒なので軽くスルーしておいてあげた。


「先輩たち、明日東京に戻るんでしたっけ?」


 ユリの問いに、続先輩が頷く。


「週末に大学の集まりがあってね。でも、後期は一月いっぱいだから、またすぐ帰って来ると思うな」


 そこまで言ってから、先輩は何かいいことを思いついた様子で表情をほころばせる。


「また二次試験の勉強も手伝えるね」

「いや、せっかくの大学の春休みを満喫してくださいよ」


 なんで私たちより、OGふたりのほうが受験にやる気になってるのさ。

 二ヶ月もある春休みで、どこでも好きに遊びに行ったら良いじゃないか。

 すると、先輩たちじゃなくてなんでかユリが「あっ!」と声をあげた。


「そうだ卒業旅行! そろそろ準備しなきゃ!」

「え、これから受験ってときにそれ言う?」


 こっちは、目の前のことでいっぱいいっぱいだよ。

 でも、ユリにとっては大事なことらしく、拳を振り上げって力説する。


「安いツアーはすぐ埋まっちゃうんだよ! パスポートも取らなきゃだし」

「パスポートって、どこ行くんですか?」

「バリ! 去年、先輩たち楽しそうだったから!」


 それ、本気だったんだね。

 卒業旅行くらい場所はどこでも良いけどさ。

 バイト代も残してあるし。


「良いとこだったよー。観光地もばらけてないし。街のオイルエステとか、一回千円くらいだから、毎日通ってたね」


 先駆者たる姉が、懐かしみながら答えた。

 オイルエステ千円は、ちょっと魅力……かも。

 お土産で箱一杯詰め込んで来た化粧品も質が良かったしね。

 それでいて安いから遠慮せずにたっぷり使えてお肌も整う。

 高い化粧品は遠慮して使用料をケチっちゃうから、高いくせにあんまり効いてないように感じちゃったりするんだよね。


「心炉ちゃんも行くよね?」

「今聞かされたものを、当然のように聞かれても困るんですが」


 心炉は呆れつつも、ため息ひとつですぐにほんのり笑顔をうかべる。


「まあ、親に話はしてみます。パスポートも確か期限内のがあったはずですし」

「別に無理はしなくていいんだよ」


 そう添えてあげると、心炉はぎょっとした顔をしてから、なぜか怒ったように眉をひそめた。


「無理はしてません! その……わ、私も行きたいです」

「あ、そう……なら良いんだけど」


 だったら、もっと嬉しそうにして欲しいんだけど。

 これだから素直じゃない子は――なんて言葉は、盛大なブーメランになるので投げずに懐にしまい込んでおくことにした。

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