四日間の半ば合宿と言ってもいい勉強会が終わって、今日は自宅でゆっくりと復習作業に勤しむ。
なんだかんだで、部屋に引きこもってひとりで勉強しているよりは捗ったような気はする。
ことここまで来たら〝伸びている実感〟なんて皆無に等しいけれど、いつも躓いていた問題をスムーズに対処できるようになった気がする――というくらいの伸びしろは実感できた。
受験なんてのは、さらにその上をいく理不尽な問題の欲張り詰め合わせセットみたいなものだ。
だからよく言われるのは「引き際を考える」ということ。
問題を取捨選択して、解ける問題を解き、捨てる問題は最初から捨てる。
その「解ける」幅をどれだけ広げることができるのか。
現役という限られた時間の中で準備をすることを考えると、たいそうな博打だなと私は思う。
受験には運も必要だ。
お昼を過ぎて。
ちょっと小腹もすいてきたかな……と思ったころに、部屋の扉がノックされる。
なんだ、昼ご飯かな。
私は雑に「はーい」と返事してしまったけれど、浅はかな行為だったと後で後悔することになる。
そもそも、母親なら部屋の前まで来ないで階下から私の名前を呼ぶだろう。姉ならノックなんてしない。
かろうじて父親なら可能性があるけれど……年頃の娘の部屋ということもあってか、ずいぶんと前から寄り付くことはなくなった。
距離を取ってるつもりはないけど、人並みに気を遣ってくれているんだろう。
じゃあ、誰ならノックなんてするのかという話になる。
百歩譲って、姉が私の散々の訴えに心を入れ替えてくれた?
残念ながらあり得ない。
だとしたら――なんて推理の暇は必要なく、扉が開けば答えは現れる。
同時に、雪雲の切れ間からこの正月初めての陽が差し込む。
「こんにちわ。勉強中かな。偉い偉い」
そう言って続先輩は、ふわふわの長髪をなびかせて笑った。
「……何してるんです?」
「この後に明ちゃんと東京に帰るから、ここで待ち合わせ」
「その姉は?」
「お昼ご飯の準備をしてるよ。だから私が星ちゃんのこと呼びに来たんだ」
「ご飯の準備? アレが?」
「うん。買って来たお惣菜だけど」
ああ、そういう。
あの三食カップラーメンどころかフルグラでも済ませてしまいそうな姉が、料理なんてするはずが無いと思った。
安堵した私の姿を見て、先輩はクスリと笑う。
「星ちゃんは明ちゃんのことどう見てるのか分からないけど、あっちじゃご飯は交代で作ってるんだよ」
「えぇ……何作るんです、ウチの」
「肉じゃがとか、きんぴらとか、ぶり大根とか」
「見事に醤油と酒と砂糖味……」
ザ・田舎の味付け。
たぶんそれしか知らないんだろうな。
「レシピ本でも見れば、何でも作れそうなのに」
「たぶん、問題なく作れると思うよ。でもなんとなく和食系を作るなら明ちゃん、洋食系を作るなら私って分担になってる」
そういうことね。
ふたりぐらしなら、得意なことを分担した方が効率が良いか。
それよりも、実の姉の私生活的なところを聞かされるのは、なんだかむず痒いものがある。
恥ずかしい……とも違うけど。
ううん、まあまあ恥ずかしいな。
「東京に来たら、たまにご飯食べにおいでね」
「いや、流石にそれは……遠慮しときます」
なんか、生々しそうでもっと恥ずか死んでしまいそうな気がする。
続先輩はちょっと残念そうにしていたけれど、すぐ気を取り直したようにふわりと笑みを浮かべた。
「あと二ヶ月だね」
その言葉が何を指しているのか、私はすぐに理解する。
だから、自分自身に言い聞かせる意味も込めて、ハッキリと頷き返す。
「はい」
「順調なのかな?」
「どうでしょう」
たぶん、順調なんかじゃない。
目の前のことをやるので精一杯で、なんにも、ちっとも。
それでも約束をしたのだから、残り二ヶ月――卒業式までにはすべての決着をつける。
最終的には無策で体当たりをするしかないかもしれないけれど……それでも、この恋を終わらせるんだ。
先に繋がるか、そこで途絶えるかは、分からないけど。
「もしダメなときは、星ちゃんに私のこと、お姉ちゃんって呼んでもらおうかな」
「はい?」
「あ、でもそれだと明ちゃんと被っちゃうか。じゃあ続お姉ちゃんがいいかも」
「呼びませんよ。そもそもアレのこともそんな風に呼んでないですし」
「昔はよく『お姉ちゃん、お姉ちゃん』ってくっついて離れなかったって、明ちゃんが言ってたよ?」
何を言ってるんだあの女は。
本人のいないところで、ここまで姉のヘイトが高まったことはかつてない。
「言いません」
少し強めに言っておく。
「ううん……ま、それは後々でいいか。星ちゃんには受験も頑張って貰わなきゃいけないしね」
「勉強を見て貰ったことは感謝してます」
「『は』が多いよ。でも、今はそれでもいいかな」
そんな話をしている間に、廊下の向こうからいい匂いが漂ってくる。
中華系かな。
そろそろご飯の支度ができたらしい。
「次にこうして会えるのは、二月に入ってからかな」
「もう少しゆっくりしてきても良いんですよ」
「あっちに残らなきゃいけないときは、大学のことが忙しくて、ゆっくりする暇がない時かな」
先輩は苦笑する。
忙しさを憂いているというよりは、こっちに帰って来れない可能性を嘆いているような表情。
これだからたぶん彼女は、あの姉の隣に釣り合っているどころか、支え合っていられるんだろう。
生徒会長と副会長だったころからずっと。
だからこそ、ユリの告白に答えを出さなかった彼女を憎んで勝負を持ちかけた。
答えなんて決まっていたはずなのに、どこまでも宙ぶらりんになってしまうユリが可哀そうで。
ちゃんと、彼女の恋を終わらせたくって。
でも、終わりが新しい始まりになるとは限らない。
終わったまま続くものも、世の中にはいくらでもある。
新しい一歩を始めるためには、行動を伴わなければならない。
本当なら、私が手を引くべきだった一歩。
だけどその役目は、あのクリスマスの夜の宍戸さんが取って代わってくれた。
ユリは、どう返事をするつもりなのだろう。
その時私は、彼女にどう接するべきなんだろう。
状況はただ、先輩たちがまだ学校にいた頃の状況に、戻ってしまっただけのような気もしていた。