冬休みも終盤戦に入った。
この三連休が明けたら学校が始まる。
今まではただの祝日でしかなかった「成人の日」も、少しずつ他人事ではなくなってくる。
二年後には、私もレンタルの振袖なんかを着て出席してるんだろうな――なんてことを、画面の向こうで着物を着付けるアヤセを見ながらぼんやりと考えていた。
「なあ、特に話すことないなら切って良いか?」
袴の位置を合わせていた彼女が、ふとカメラを振り返って言う。
「何となく着付けって見てて面白いから大丈夫」
「そんな、突然の性癖をばらされても」
「何言ってんの。馬鹿じゃない」
勉強になるなぁって見てただけじゃないか。
着物を上手に着られる人の動作って、無駄がなく優雅で美しい。
確かに、それをビデオ通話で無言で眺めるってのはどうかと私も思うけど。
「明日はそれ着て出るの?」
「そうじゃなかったら、前日にこうして合わせてみたりしないだろ」
アヤセがいるのは、いつもの彼女の部屋じゃなくって、小ぎれいな旅館の一室だ。
書道の全国大会のため、岡山に前日入りしている彼女と通話を繋いでいるわけである。
「明日だってのに、あんまり緊張してないね?」
「まーな。私にとっちゃロスタイムみたいなもんだし。やれるだけのことをやるだけよ」
勇ましいことを口にして、アヤセは袴の帯をキュッと結ぶ。
剣道の袴の雑な蝶結びとは違う、着物の帯みたいな綺麗なリボン結びだった。
「二年後は、私にもそれ頼むね」
「二年後……ああ成人式? いや、それだったら美容院とかに頼めよ」
「なんかアヤセにやってもらった方が楽そうだなって」
「私が楽ではないんだが?」
そんな悪態も話半分で、襟の合わせ目やらを整え終えたアヤセは、カメラに向かって前に後ろにポーズをとってみせる。
「どうよ?」
「うーん。思えば見慣れた感じ」
思えば、袴姿ってお店でたまに見てたな。
柄はよそ行き用だろうから、華やかできれいなものになっているけど。
「じゃあ、これならどうだ」
そう言って、アヤセは袖をぐるりと〝たすき〟でまとめ上げる。
「なんか、やる気に満ちてる感じがする」
「流石に袖が邪魔になるからな。明日は基本的にこの状態だ」
「明日のはネットで見れるんだっけ」
「見れる見れる」
「じゃあURL送っといてよ」
「それくらい自分で調べろよ……まあ、良いけど。これ脱いだらな」
アヤセはため息をつきながら、袴の結び目を丁寧に解いていく。
「そのまま練習とかしないの?」
「パフォの練習ならさっきジャージでやったわ。これは本当に着付けの練習。明日、手間取るわけにはいかねーからな」
「着付け役の本領発揮だね。むしろアヤセが抜けたあとどうすんの」
「できるだけの引継ぎはしとるよ。でも、いざって時に私が手間取るわけにはいかんから、そのための今の練習だ」
彼女なりに、いろいろと考えてはいるんだろう。
ここで三年生が狼狽えることがないように――下級生たちにとっては、それが何よりの鼓舞となるのかもしれない。
「今更だけど、アヤセはよく大会に出ようなんて思ったね。三年のこの時期に」
「あー、うん、まあな」
アヤセは、歯切れ悪く笑いながら頷く。
「腕がなまらないように何か書いてはおきたかったし……そういう意味ではちょうどいいと思ってな。入試の面接の話のタネにもなったし」
袴の下の振袖も脱ぎ終えて、アヤセは下に着ていた半袖のジャージ姿となる。
一見寒そうだけど、たぶん暖房はガンガンにきかせているんだろう。
そのままの姿で着物を丁寧に畳んでいく。
「あとはまあ、みんなが受験頑張ってる横でぼーっとしてたくもなかったしな。私は私で何か打ち込めるもんが欲しかったってのもある」
「アヤセってそういうところ繊細だよね。やる必要なんてないのに、放課後も一緒に勉強してたし」
「それはマジで、成績が下がったら入学取り消しの可能性はあるんだって」
「それってよっぽどの時でしょ」
「んー。そうだけどなぁ」
着物をたたみ終えて、アヤセはそれらを保管用の和紙の包みにしまい込む。
それで全部終わったのか、ようやく長袖のジャージを上に羽織りながら、スマホの前まで戻って来た。
「とりあえず、お前らが入試で頑張れるだけの活躍をしてくるよ」
「勝算はあんの?」
「いいや、まったく」
画面の向こうでアヤセがケタケタと笑う。
「参加できることに意義があるレベルよ。だが大会自体がお祭りみたいなもんだから、その辺りはパフォーマンス書道の良いところだな」
「ユリたちのチアみたいなもんか」
「そーそー。もちろん全力でやるし、賞も貰えたら嬉しいけどな」
参加することに意義がある大会は、去年までの私ならよく分からなかったことだろう。
勝ち負けがあって、一喜一憂することもある。
それが大会ってものだと思っていたから。
でも、直近でクリコンなんて舞台も経験させてもらったし、その日のために頑張って全部出し切るっていうのも悪くないのかもしれないなって、今はそんなふうにも思える。
しばらくして、トーク画面にアヤセからURLが送られてきた。
サムネイルを見るに、明日の大会のライブ配信のアドレスのようだった。
それをブックマークにはりつけながら、小さく笑みを落とす。
「残念会でも祝勝会でも、帰ったら何かしら労ったげるよ」
「くそぅ、星はこういうときいつも偉そうだよな。でも楽しみにしとく。ついでにお前らの受験の壮行式だな」
「そうだよ。推薦組にはしっかり送り出して貰わないと」
そう笑い合って、その日の通話は早めに切り上げられた。
特に理由もなく、なんとなく話をしたかっただけ。
私の方も受験が近づいて、いくらかナーバスになっているのかもしれない。
そういう意味だと、明日大会に臨む彼女から、覚悟や勢いのようなものを分けて貰いたかったのかもしれない。
せっかくURLも貰ったし、明日はちゃんと画面越しに応援してやるか。
正真正銘の、在学中の彼女の最後の雄姿になるわけだから。